「宇田川源流」【土曜日のエロ】 令和になって「家庭訪問」が無くなった理由はコミュニケーションと遊び慣れがないからでは?

「宇田川源流」【土曜日のエロ】 令和になって「家庭訪問」が無くなった理由はコミュニケーションと遊び慣れがないからでは?


 今週も土曜日のエロの日になった。土曜日というのは、明日も休みであり、夜更かししても特にとがめられることがない。そのためになんとなく気分が楽な日である。このような日に、人間の本質である「エロ」を追及するのは。なかなか意義があることではないかというような気がしているのである。まあ、私は昔より「テロよりエロ」というようなことを言い、またエロが流行しているときは常に平和な時である。そのように考えれば、「エロ」を様々なことでかつようできるはずではないか。

 さて、そのように思いながら今週のニュースを見てみると、なかなか興味深いことに「小室圭氏の言い訳書」が出てきた。まあ一応敬意説明書というのであろうか。

 基本的に「書面で説明」というのは誠意がこもっているように見えるのであるが、実際には、「反論や質問を許さない」」ということであり、同時に「一方的な言い分だけを伝えている」ということに過ぎないのであって「一方向コミュニケーション」でしかないのである。

基本的に、政治家などはプレスリリースを出しながら、必ず記者会見を行うのは、そのような「質問から逃げている」という印象をなくすためである。

 本来のブログでこの小室氏の事は取り上げるつもりはないので、ここでしか話すようなつもりはないので、まあ、その文書の中身に関してはあまり触れるつもりはないのであるが、まあ、中身も自己正当化だけであるということのようだ。

単純に、「当事者」があり「相手があること」でありながら、その相手のことなどを全く出さず、また相手からの書面などもなく一方的な見解を伸べることにどれだけの意味があるのだろうか。単純に「パフォーマンス」といわれても仕方がないような感じではないのか。

 まあ、あまり良い印象にはなら居ないのが現状なのではないか。

 さて本日の話に移ろう。


先生と保護者が禁断の関係に……令和の学校から家庭訪問を消滅させた「仰天の昼顔事件簿」

 親になり子供が学齢に達すると、「自分が子供の頃といろいろ違うなあ」とジェネレーション・ギャップを感じる保護者は多い。子供と30歳の差があれば、同じ学年で自分が経験したことは30年前の常識だ。違うのが当然と言えば当然だが、そうした変化は必ずしも「進化」ではないこともある。例えば、事故を恐れて次々と遊具が減っていることや、近隣からのクレームがあるからとチャイムを廃止したり、土の校庭を舗装してしまうなどは、子供のためになっているか疑問も感じるところだろう。

『週刊ポスト』(4月5日発売号)では、「令和の学校から消えたもの」を特集している。遊具では、ブランコやシーソー、回旋塔などが消えつつあり、理科の実験で必ずお目にかかったアルコールランプやマッチも「危険だ」としてあまり使われなくなっている。

 そうした変化のなかで、親世代が驚くもののひとつが「家庭訪問」だ。最近の学校では、家庭訪問そのものをしないところも多い。共働き家庭が多くて現実的に難しいということもあるし、教師だとしても家に入れたくない、家の中を見られたくないという保護者も増えている。希望する家庭だけ実施しているという学校もある。地方の中学校に勤めるベテラン教員が語る。

「今いる中学校は家庭訪問をしていますが、隣の中学校はやめましたね。うちでもやめようという声はあります。理由はいろいろありますが、家庭訪問をやると、その期間は4時間授業とかにせざるを得なくなる。子供にしっかり勉強を、と言っているのにそれはどうなのかという意見がひとつ。あと、共働き家庭だと、学校側が決めた時間に家にいなければならないことを嫌がるケースもある。残念ながら、今のご時世では先生という存在があまり親から信頼されていない。先生と話しても意味ないという親御さんも増えているし、そういうなかで家庭訪問をしたくないという先生も少なくない」

 家庭訪問を実施している学校でも、玄関先で済ませるのが令和の常識で、お茶やお菓子をもらうことを禁止している学校も多い。特定の家庭と親しい関係にあると噂されたり、親同士が「先生接待」を競うようなトラブルを避けたいからだ。ただし、前出のベテラン教員は家庭訪問の意義も訴える。

「私は生活指導主事という立場だったことが長いので特にそう感じるのかもしれませんが、家庭訪問はすごく大事です。家庭の様子、親御さんの人柄を知って、保護者とすぐに話ができる関係を作っておくと、生徒に何かあった時にスムーズに対処できます。もしものケースがなければ無駄になるかもしれませんが、保護者と教師が信頼を築く機会は今後もあったほうがいいと思います。ただ、プライバシーへの配慮も重視されるなかで、家庭の込み入った事情に踏み込んだ話はしにくいことも悩みです」

 まじめな教師と保護者ならば何の問題もないはずだが、どちらかの能力や人格に問題があったり、相性が悪かったりすれば、百害あって一利なしなんてことにもなりかねないようだ。ただし、学校側が家庭訪問を避けたい事情のなかには、むしろ教員と保護者の相性が「良すぎる」ことへの懸念もあるという。長年、現場教員の養成に携わってきた教育評論家の石川幸夫氏が明かす。

「これは教育に関わる者としてあまり言いたくないことですが、家庭訪問をきっかけに保護者と先生が男女の仲になることが結構あるのです。十指に余る例を知っています。なかには駆け落ちしてしまったケースまである。つい数年前にもひとつありましたね。もっとも、家庭訪問をなくせば防げるわけではなくて、この10年くらいは保護者が子供の相談で学校に訪ねてきて、そこから先生と男女関係に、というパターンが増えているように思います。これは男性教諭、女性教諭どちらもあります」

 教師だから「聖職者」だというのは幻想だとしても、たしかに学校としては決して起こしたくない不祥事に違いない。令和の学校と家庭のコミュニケーションには、様々な障害とリスクがあるようだ。

2021年4月4日 7時5分 NEWSポストセブン


 最近の学校では「家庭訪問」がなくなっているという。まあ片方で「教育」や「家庭教育」ということを言いながら、片方で「学校が家庭と連携できていない」という話になるらしい。本来過程を見て、その過程の中から様々な話が出てくるはずなのであるが、そうではなく、「仲良くなりすぎて家庭訪問ができなくなる」ということのようである。

 「これは教育に関わる者としてあまり言いたくないことですが、家庭訪問をきっかけに保護者と先生が男女の仲になることが結構あるのです。十指に余る例を知っています。なかには駆け落ちしてしまったケースまである。つい数年前にもひとつありましたね。もっとも、家庭訪問をなくせば防げるわけではなくて、この10年くらいは保護者が子供の相談で学校に訪ねてきて、そこから先生と男女関係に、というパターンが増えているように思います。これは男性教諭、女性教諭どちらもあります」<上記より抜粋>

 まあ、家庭訪問が無くても出会いがあって、何かがあればそのようになるのは少なくない。実際に家庭訪問だけではなく、保護者会などで、他の保護者との間で男女の関係になるということがあるということも少なくない。基本的に「男性と女性」がいれば、そのような関係になるのはおかしな話ではないので、家庭訪問に限ったことではないのではないか。それも、自分の子供に対して真剣にやってくれるということに感動をしてしまうということはない話ではない。まあ、そのようなところで惹かれてしまうということがあっても不思議はないのだ。

 問題は「そのように魅力を感じたときにとどまることができない」ということなのではないか。もちろん、ここに書いてあるように「駆け落ち」まで行くということになれば、留まるどころの話ではないと思うが、実際のところはどうなのであろうか。

 現在の大人、まあ、小学生や中学生の親の世代は、ある意味で「出会い」が少なかったのか、あるいは「恋愛経験が少ない」のか、または家庭において不満があるのかということになるのであり、そのことから、このようなことが起きる。どこに満足を感じるかということが問題なのではないか。

 「足ることを知る」ということが見えてなければならないし、また、遊ぶならば「うまくばれないで遊ぶ」ということの技術が少ないような感じではないか。単純に、「遊び慣れてない」というように言ってしまえば良くないのかもしれない。

 まあ、もっと若い世代にこの「性欲」が広まってもらい、少子化が一気に解決できてくれればよいのであるが、どうもなかなかそのようになってくれないのが困ったものなのである。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000