「宇田川源流」 マスコミによって「文春砲」などと呼ばれている週刊文春に決定的に欠落している「国家観」

「宇田川源流」 マスコミによって「文春砲」などと呼ばれている週刊文春に決定的に欠落している「国家観」


 週刊文春の報道が物議をかもしている。もちろん、その報道内容にをもとに物議があるということは良いが、その文春が報道をすること自体がどうなのかということになっているのである。

 そもそも、マスコミ報道に関しては、このブログの前身である宇田川的ニュースのC級解説の中で、500回を超える連載をしていた「マスコミ批判に関する一考」のなかで様々に書いてきていた。

事実の報道に関しては、全くその報道を批判する気はないのであるが、「中立性」「公平性」ということに関して、日本のマスコミがおかしいということを連載していた。各新聞社などの組織や編集と記者の役割の違いなどから、その構造的な問題までを含め、日本のマスコミのおかしさに関して書いていたと思う。

逆に言えば、500回も連載できるほど、日本のマスコミはおかしかったということになるし、また、日本のマスコミはそのおかしさをそのままに今まで来ているということになるのである。

 「マスコミ批判に関する一考」を止めて何年か経つのであるが、実際に、マスコミが中立性・公平性をしっかり保てるようになった訳ではない。その間マスコミ報道を見ていて、その中で「文春砲」などが割れるようになった。

 かなりの内部資料が入っていて、何回も繰り返し報道するということになっているのではないか。もちろん意外性などがあるが、しかし、その報道姿勢は「文春砲」といわれるようになってから悪化しているような気がする。

 ではあえて言う。

 「何が目的なのか? 日本をどのようにしたいのか?」

 週刊誌にそのような高尚な目的などあろうはずがない。しかし、その影響力が大きいのであればそのような観点での報道も必要なのではないか。全くそのような観点もなく、他人のプライバシーを暴くということ自体がおかしなものではないのか。有名人であるから「私信」を公開してよいなどという法はない。そして、そのことによって変えられる「日本」に関してどう思っているのであろうか。

 要するに、この報道は「読まれて話題になればよい」という観点、言い換えれば「自己の利益」ということが優先しており、「国家観」などがないということになるのでないか。私が個人的に感じる違和感は、そこに由来しているのではないかと思う。

文春の五輪内部資料報道、橋本会長「業務妨害」と批判

 東京オリンピック(五輪)・パラリンピック大会組織委員会の橋本聖子会長は2日、開閉会式の演出内容を明らかにした週刊文春の記事について、発行元の文芸春秋に書面で厳重抗議をしたことを明らかにした。

 この日の定例会見では、「報道の自由を制限するということでは全くない。ただ今回は280ページに及ぶ内部資料が(文春側に)入手されており、組織委の秘密情報を意図的に拡散し、業務を妨害したと判断した」と話した。

 組織委が今回抗議したのは、4月1日発売の週刊文春と3月31日配信の「文春オンライン」の記事。演出チームの元メンバーだった振付師のMIKIKOさんが国際オリンピック委員会(IOC)にプレゼンした内部資料を入手して報じたもので、演出内容や画像が掲載されていた。

 抗議の文書は1日に橋本会長名で文芸春秋に出した。橋本会長は「文芸春秋から、まだ(抗議に対する文春側からの)文書が届いていないものですから、届いたなかで、また改めてしっかりと組織委として対応を考えていきたい」とした。

 組織委は抗議文のなかで、演出内容が機密性の高い情報で、「検討段階の内容でも開会式演出の価値は大きく毀損(きそん)される」と指摘。内部資料が写真で掲載されて販売されたことについて「著作権侵害」とみて、雑誌の回収やオンライン記事の削除、資料の廃棄を求めている。

2021年4月2日 18時22分 朝日新聞デジタル

https://news.livedoor.com/article/detail/19960352/


 個人的な意見から言って、東京オリンピックということに関して、それほど強い感慨はない。そのために開催に関して何か情熱を感じるということもないし、また、どんな不正があっても、許して推進すべきというようなこともない。であるから五輪の大会組織委員会に関してのマイナス報道を規制するというようなことを言うつもりはない。

 しかし、昨今の五輪に関する報道は、また強烈な違和感を感じるものでしかない。五輪関係に関しては「森元首相の切り取り発言」「佐々木氏の内部私信暴露報道」そのうえで今回の内部プレゼン資料の暴露」である。いずれも「内部」の発言をそのまま出しているものである。

 そもそも五輪組織委員会は国の経費で行っている組織でありみなし公務員である。その内部資料がこのように出てくるということは、「機密保護法」に違反する疑いがあり、そのようなことを出すこと自体がおかしい。

 まあ、そのような法律的なことを言わなくても、では文春の中の内部会議というのはそんなに「品行方正」に行われているのであろうか。どこもそうであるが、内部資料というものは内輪の内容であり、そのために、タブーであるとかそういうことは関係なく、場を盛り上げたり自由な発想を出すために、過激なことを言ったりということはよくある話である。

つまり、文春の報道によって「内部会議における言論の自由を奪う」ということとなってしまっており、そのことによって様々な事、例えば東京オリンピックがつまらないものになってしまう。では、そのつまらない大会になった時に文芸春秋社は何らかの責任を負うつもりはあるのであろうか。

 そこである。「国家観がない」というのは、「自分の報道における結果に対しての責任を全く考えない」ということであり、それこそ「売れればよい」「自社の事しか考えない」というような報道につながるものでしかないのである。言論において「自由と無責任をはき違えている」というのはこのようなことなのかもしれない。

 文春などは、自社の内部会議や編集会議の中身を公開してはいかがであろうか。このような報道をするほど立派な会議をしているのであろうか。「自分の事を棚に上げて、二重基準」で騒ぎ立てる。まさに、そのような無責任政党が、この文春の記事を取り上げて、大仰に騒ぐのが見えてくるのではないか。まさに「文春の無責任野党化」が、著しいというような感じに見えてきて仕方がない。

 何度もいうが、その報道の内容に「国家観」が存在するのか。マスコミ側が全くダメなので、読者側のモラルが問われることになる。

宇田川源流

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