「宇田川源流」 霞が関官僚をうまく使いこなせない「革命気取り」の立憲民主党の人々は民主党政権と同じ轍を踏むまで行けるか
「宇田川源流」 霞が関官僚をうまく使いこなせない「革命気取り」の立憲民主党の人々は民主党政権と同じ轍を踏むまで行けるか
とにかく反対しかしないし、また、その使っている言葉や論理などは全く週刊誌の取材と変わらない、政策論議は全くできないというような人い状況が続いているのが、立憲民主党の国会質問である。
さて、国会の基本的な話を先にしておこう。
まずは小西という議員が質問通告をしなかったのは「参議院予算委員会」である。なぜ衆参の両議院の予算委員会で、なぜスキャンダルの話ばかりが行われるのであろうか。基本的に予算というのは行政全般にあり、予算が無ければ行政は動かないということになっている。そのことから、行瑛の全般に関して何でも聞けることになっている。もう一つは、日本国憲法を読んでいただければわかるが、国会は唯一の立法機関である。しかし、同時に憲法の後ろの方に「予算」という章があり、国会で行政の予算を審議することになっている。つまり「予算」だけは独立した内容になっているのであり、また行戦全般になるので、必ずNHKの国会中継が入ることになる。
つまり「野党が与党の印象を悪くするためには、予算委員会でスキャンダルを暴く」ということになり、これは、昭和の時代から日本社会党がずっと行ってきていた戦術である。
しかし、「スキャンダルばかり」になったのは、小選挙区になってからであり、中選挙区制の時は一人の議員を落としても、自分がしっかりと政策を語らなければ、他の人が当選してしまうということになってしまっていたのであるが、小選挙区になれば「51%だけ」を得票すれば、それでよくなる。つまり相手の票数を減らせば自分が相対的に浮き上がるということになるのである。
そのことから品性も、政策も全くない政党が出来上がったということになるのではないか。
その代表的な議員の中の一人が小西洋之である。まあ、その内容は単純に行政や官僚の内容を曽於ママ全て総理大臣に責任を押し付け、そのうえ、その内容を政局論に持ち込む。そしてそのことを強引に持ってゆくために質問通告など「国会の中のルール」を無視し、なおかつ何様のつもりか知らないが、自らが法律であるかのような誘導尋問を行う。
その内容は、森友学園事件では元財務局の官僚を自殺に追い込み、また今回は不当に残業をさせる結果になっているのである。
立民のエース「小西洋之」が総務省に猛抗議 「質問通告」を巡り
目下、霞が関の官僚から大ヒンシュクを買っているのは、立憲民主党の小西洋之参院議員(49)である。
2010年に総務省の官僚から政界進出を果たし、現在2期目の小西議員。
「彼が注目を集めたのはなんといっても、13年の参院予算委員会での一幕。憲法の条文などを尋ねる“クイズ”を連発して安倍晋三総理を激昂させ、“唯一、総理をキレさせる男”の異名を取りました」(政治部記者)
今国会でも「東北新社」の外資規制違反問題に切り込み、官僚たちから怨嗟の声が漏れるのも頷ける。
ところが、今回の“ヒンシュク”は、少し事情が異なるようで、
「国会議員が質問に立つ場合、事前に役所に対し“質問通告”が行われるのですが、小西議員の質問通告が物議を醸している」(同)
一体、どういうことか。
「小西議員は5日と8日の参院予算委で質疑に立ったのですが、彼の質問通告を受けた総務省の女性課長が直後にダウン。小西議員の度重なる電話と、質問を取りまとめるための深夜残業で心身が擦り切れてしまったともっぱらの噂です」(同)
だが、小西議員に尋ねてみると、事実無根と全否定。
いわく、
「3月2日に担当課長に来てもらい、外資規制違反問題について確認事項のメモを渡しているんです。ただ、その後は“確認中”というばかりで回答がなかった」
4日の夕方になって、回答がなされたというが、
「その際に、私なりの温情というか、2日のメモをもって質問通告とするからと伝えました。数も10問ないくらい。時間的にも問題どころか“大変助かります”と感謝までされました」(同)
8日の質疑についても、
「本当は質問に立つ予定はなかったんですが、5日に(自分が)凄い質問をやったので、立民の執行部に“テレビ(中継)入りの枠を空けたから”と言われて。質問通告も普通の百戦錬磨の官僚ならダウンするほどのものじゃありません。総務省には『担当課長の体調不良を私のせいにする誹謗中傷があるのなら“むしろ小西議員は配慮して下さった”と職場中に触れ回ってほしい』と抗議しました」(同)
一方、当の女性課長は、
「体調を崩してお休みを頂いたのは事実です。(小西議員の質問通告については)すみませんが、自分の方からはコメントを差し控えたいと思います」
“感謝の言葉”は聞かれずじまいなのである。
「週刊新潮」2021年3月25日号 掲載
2021年03月27日 05時57分 デイリー新潮
> https://news.nifty.com/article/domestic/government/12280-1014198/
働き方改革を提唱したのは、不当に残業が多くなった電通の女性社員が自殺をしたことによることがきっかけ位になっている。そのことから副業などを認め、また、働き方を変えてゆき自由な暮らしを行うということを推奨してきたはずであるが、どうも立憲民主党の議員にはそのようなことは全く受け入れられないらしい。
立憲民主党ではないが、福島瑞穂議員は、インタビューの中で、警察は丸腰で凶悪犯に立ち向かい、死んでもそれは警察官なのだから仕方がないなどということを言っている。彼ら野党の「官僚差別」は人権ということは全く考えられない状況になている。まあ、警察官も自衛官も、またその家族もみな「人間」であり「国民」であるということが完全に抜け落ちている。彼らの認識では「敵か味方」というようなことにしかない。その人々が「憲法9条」とか「平和主義」などといっているのであるから滑稽を通り越して悲しくなってくるのではないか。それどころか、そのような狂った二重基準を工程いsて投票する人がいること自体があまりにもおかしなものではないか。
「小西議員は5日と8日の参院予算委で質疑に立ったのですが、彼の質問通告を受けた総務省の女性課長が直後にダウン。小西議員の度重なる電話と、質問を取りまとめるための深夜残業で心身が擦り切れてしまったともっぱらの噂です」<上記より抜粋>
まあ、官僚というのは、基本的には行政の担当官であって、立法府による予算がないと話にならない。そのことから考えると、予算を審議する国会議員の「行政調査権」に対して答えなければならない。国会の議員会館を歩いていれば、分厚い資料をカバン一杯、場合によってはカバンのほかに紙袋にまで入れて持ち歩く官僚を見ることはそんなに難しくない。国会の入館徽章の色が黄色くなっているのが官僚なのであるが、まあ、その顔色や表情を見ればうまくいったかどうかはよくわかる。基本的に野党の部屋から出てきた官僚のほとんどは疲れ切った表情をしている。
さて、なぜそのようになるのであろうか。
単純に国会議員というものの考え方が全く異なる。国民の代表としてしっかりと政策を実現するというのであれば、官僚との間でも政策議論になる。つまり、疲れはしても、お互いが学びになっていて政策が深まる。しかし、単なるスキャンダルの追及であれば話は別だ。単純に「攻める」「責任を取らせる」というだけではなく「政局に持ち込む」ということになるのであり、そのことの負担は官僚からすれば野党からは責められ、与党からは官僚に発言や行動で責任を取らされたというようになって、問題が生じる。当然に一人がそのようになれば仲間や上司も影響が出て処分されることになる。この状態では精神的に追い詰められて当然である。
さて、この状態で立件民主党が(あり得ない話だが)政権を取った場合どうなるであろうか。当然に官僚が味方するはずはなく、そのことによって行政が滞る。つまり、現在の立憲民主党の「スキャンダル」は「政権を取るための選挙」には小選挙区制という中で話にはなっても、その後の政権運営を考えての事ではないということになる。
もちろん、「政権を取れれば」ということであるが、今のままではまた民主党政権の時のように全体が滞ることが目に見えているのに、そのような政党に投票する人がいるのであろうか。イデオロギーは別にして、日本の事を考える人は投票はしないであろう。
つまり、今のままでは野党は、その存在意義もなくなってしまっているということであり、その象徴的存在が小西参議院議員ということになるのではないか。
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