「宇田川源流 日本万歳!」 日本で育った中国人が中国語を話したがらないという記事にある「日本のすばらしさ」

「宇田川源流 日本万歳!」 日本で育った中国人が中国語を話したがらないという記事にある「日本のすばらしさ」


 月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人が気づいていない日本のすばらしさを、ここで皆さんに紹介し、日本のすばらしさを再確認しようという企画である。

毎週月曜日になると、昨日までの休みでゆっくりしていた内容になってしまい、なかなか働こうという気にならない。そのような時に「日本人のすばらしさ」を自認して、自分たちが働くことが、日本や世界に貢献できている。自分が働くことで、日本が素晴らしくなり、世界が一つ前に進むというようなことを認識することによって、その内容を考えてみたらどうかと思うのである。

では、その日本のすばらしさとはいったい何であろうか。一つは日本の歴史の持つすばらしさがある。日本という国は、ギネスブックにも掲載されているほど、一つの王朝が長く日本を統べている。「統治する」と異様な硬い感じではない。

なんというのか、日本の人々は、天皇を上に仰ぐことを喜び誇りに思っている人が少なくない。まるで、神輿を担いで喜んでいるような、または、今年は中止になったが西宮恵比寿の福男になるために、門が開いた瞬間に走り出す人々のように、そこまで意識していなくても、なんとなく天皇がいることに悪い感情を抱かない、そのようなものであると思っているのではないか。

もう一つは、その王朝が長いことから文化や言語が統一し、また物流もしっかりとできているということではないか。王朝が安定しているということは文化も政治もある程度安定している。もちろん、戦国時代はあったが、では、戦国時代に隣の大名の領地に商業に行くことはできなかったのか、あるいは、人の往来は、まるで現在の韓国と北朝鮮のように完全にさえぎられていたのかといえばそうではないのである。

そのように考えれば、「王朝があること」そして「その歴史がしっかりと残っていること」が、そのまま、同じ程度の日本人の文化性や言語性が出てくるようになったのである。政治の安定が文化の安定になり、そして経済などの安定につながる。そのような相互の関係がわかっていない人は、本当に日本のことがわからない人なのではないか。

日本で子育てする中国人、「子が中国語を話したがらない」と悩み=中国

 長年日本で生活している中国人のなかには、日本で子育てをしている人もいるだろう。中国の動画サイト・西瓜視頻はこのほど、日本で育った中国人の子どもたちのなかには「中国語を話したがらない」子も多いとし、その理由を考察する動画を配信した。

 これは日本で働く中国人が配信した動画だが、配信者は最近、同じ会社で働く中国人の同僚から「子どもたちが中国語を話したがらないがどうしたら良いだろうか」と相談を受けたという。この同僚には16歳から10歳まで3人の子どもがいるそうだが、子どもたちに中国語で話しかけると「日本語で返答する」のだという。

 子どもたちの父親と母親は共に中国人で、家では中国語を使っており、子どもたちも中国語を聞き取る能力はあるが、それでも子どもたちは中国語を使おうとはしないそうだ。また、子どもたちに「中国語で話すように」とどれだけ言っても中国語では決して話そうとしないと伝えている。

 さらに、この子どもたちは中国の食べ物さえもあまり食べようとしないという状況に、配信者の同僚夫婦は焦りを感じており、このたび配信者を通して中国人の視聴者たちに状況改善のための提案を求めたようだ。

 提案を募ったこの動画に対し、ある中国人ユーザーは「中国人の子どもであっても、日本で育ち、日本の教育を受ければ日本人と同じ考え方をするようになるということだ。もし子どもたちが中国で小学校を卒業した後に日本での生活を始めていたら状況は違っていただろうに」とのコメントを寄せた。

 また、夫が日本人だという中国人女性は、子どもたちに対して家では中国語で話すように「強く要求している」ため、子どもたちは日本語と中国語を自在に使い分けて話すようになっているとコメントした。このほかにも日本で中国語を話すと差別されることがあるとし、子どもたちはたとえ家であっても中国語を話したがらないのだろうと主張するコメントも見受けられた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF)

2021年2月14日 22時12分 サーチナ

https://news.livedoor.com/article/detail/19696864/


 日本をわからない人というのは、「歴史」や「皇室」「伝統」「文化」を否定する。ある意味で「個人主義」になってしまい、「なぜ自分がここにいるのか」というようなことには全く関係なく「自分そのものの力」を誇示するようになってくる。「個人主義」であり、それが現在の差がないということになるのかもしない。

しかし、「根」のない人間は弱くなってしまう。そのことから、どうしてもある程度のステータスが出てきた人々は、その伝統や文化の起源になろうとする。ある意味で「世襲で権力の継承」を考えるようになるのである。

日本の場合は、「権力」と「権威」を分割する時期が早かった。実際に、明治時代の大日本国憲法であっても、天皇主権を決めているものの、実質的に議会に寄って物事が決められたのであり、それに天皇は基本的には反対しなかった。このことは律令時代も同じで、天皇が親政することは基本的には歴史上少なかったのではないか。片方で「伝統や文化」を持ちながら、それを担保して、実力者が力を発揮する。それが日本の社会ではないのか。日本のすばらしさというのは「本音と建前の使い分け」というような、悪い言い方になるが、それを良い方においても、うまく使い分けているところではないか。そのことから、「多様性」が認められるようになり、また大きな時代の流れの中で何でもできるようになってくるのである。

さて、そのような世界に「天皇」や「王」がいない、つまり「権威だけの存在」がない国からくるとどうなるのであろうか。

日本で育った中国人の子どもたちのなかには「中国語を話したがらない」子も多いとし、その理由を考察する<上記より抜粋>

まさに、純粋で日本のすばらしさを体験してしまうと、そこから抜け出ることはできなくなってしまうということになる。まさに、日本のすばらしさを体験すると他の事にはならない。

単純に「日本の世界で育っているからそれに慣れているのではないか」ということを言う。しかし、実際にはそのような単純なものではない。我々も外国に長く赴任した場合などがそうなるのであるが、例えば朝になった時に「おはよう」と思うのではなく「グッドモーニング」と思うのである。すでに頭の中で、思考がこの場合は英語になっているということになる。

物事の思考は、言語によって行われる。つまり、英語の脳になっているときは英語的な発想しかなく、日本語で「おはようございます」というような感覚が出てきているときは「日本の感覚でものを感がてえいる」ということになる。如期の中国人は、「日本語脳で考える方が楽である」ということに他ならない。

日本のことわざに「生みの親よりも育ての親」というものがあり、育つ環境によって人間は天性の才能よりも開花するものが異なるということが言われている。まさにそのようなことこそ、重要な内容なのではないか。

今後日本型教育ということばかりではなく「日本的な考え方」そして「日本語」が徐々に普及することが望まれる。

宇田川源流

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