「宇田川源流」【大河ドラマ青天を衝け】 幕末なのにいきなり徳川家康が出てくる演出に徳川慶喜の遠乗り

「宇田川源流」【大河ドラマ青天を衝け】 幕末なのにいきなり徳川家康が出てくる演出に徳川慶喜の遠乗り


 先週までは明智光秀を主人公としていた「麒麟がくる」であったが、2月14日からは2021年の大河ドラマである「青天を衝け」が始まった。「青天を衝け」は、日本資本主義の父と言われている渋沢栄一の一生を通して、日本経済の基礎をつくったその背景や幕末の群像について描くドラマである。

日本が、幕末から明治になり、そしてその明治の中で徐々に欧米に打って出て近代日本が出てくる中で、渋沢栄一の果たした役割は大きい。実際に、今まで大河ドラマといえば「為政者」を扱うということが多かったのであるが、ある意味で「経済人」を扱う大河ドラマは珍しいのではないか。そのように考えられるものだ。

しかし、「渋沢栄一」という人物、多くの人が渋沢栄一という名前はよく知っているし、また、記入や資本主義ということはよくしっている。しかし、その渋沢栄一が、どのような一生を送り、幕末、または明治に入ってからどのようなエピソードがあるのかはなかなか知らない。もちろん、市井の研究家を含め、研究している人や尊敬している人は少なくないのであるが、しかし、一般にはなかなか知らない人ばかりなのではないか。

実際に、埼玉県の現在の深谷市、当時の血洗島村出身で、そのまま徳川慶喜に従い、そして徳川慶喜と共に、上の寛永寺、そして水戸に移動し、その後日本で学び、パリに留学して日本の金融や資本主義を立ち上げる。その中には「文化的衝撃」や「社会の変化」ということは非常に多くあるが、しかし、合戦や死というようなことは少ない。せいぜい徳川慶喜に推挙してくれた平岡円四郎が暗殺されるくらいではないか。そのような「人の生死」をあまり描くことのない大河ドラマはいかがなものなのであろうか。そのように考えれば、退屈かもしれないが、その内容や視聴者の反応というのはなかなか注目できるものではないかと思っている。

その意味で今回の配薬というのは非常に興味があった。

『青天を衝け』“慶喜”草なぎ剛、早くも登場 「かっこいい」「想像以上に威厳ある」の声

 俳優の吉沢亮が主演を務める大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合/毎週日曜20時ほか)第1回が14日に放送。第1回では早くも徳川慶喜を演じる草なぎ剛が登場。徳川幕府最後の将軍を体現するその威厳ある佇まいに、「かっこいい」「オーラあるなあ」「めっちゃハマり役の予感…」といった声が寄せられた。

 大河ドラマ第60作となる本作は、約500の企業を育てた上、約600の社会公共事業に関わった「日本資本主義の父」渋沢栄一が、幕末から明治へと移行する時代の大過に翻弄(ほんろう)され、挫折を繰り返しながらも青天を衝くかのように高い志を持って未来を切り開いた生涯を描く。栄一役の吉沢、徳川慶喜役の草なぎのほか、豪華キャストが集結。連続テレビ小説『あさが来た』などの大森美香が脚本を担当する。

 第1回冒頭、草むらに隠れ、走ってきた馬群を固唾を呑んで見守る栄一(吉沢)と従兄の喜作(高良健吾)。栄一が馬群の前に飛び出して名乗り上げるも、一度は無視されて突破されてしまう。必死に追いかけた末、栄一が「徳川のお命は尽きてございます!」と訴えたところでようやく馬群が止まり、栄一と喜作を取り囲む。

 馬上の人物が「そなた、今なんと申した」と鋭い声で問いただすと、これにひざと付いた栄一が「すでに徳川のお命は尽きてございます。あなた様は賢明なる水戸烈公の御子。もし、もし天下に事のあった時、あなた様がその大事なお役目を果たされたいとお思いならば、どうかどうか! この渋沢をお取り立てくださいませ!」と訴えたのだった。

 ここで、「徳川慶喜」のテロップとともに馬上の草なぎがアップで映ると、ファンからはネット上に「草なぎ慶喜良い……」「早速草なぎ慶喜」「草なぎくんだ」「草なぎ慶喜?!!!!」といった声が寄せられた。

 慶喜が「言いたいことはそれだけか」と突き放すように問うと、にらみかえすように馬上を見上げた栄一は「否、まだ山ほどござりまする!」と訴える。その表情をじっと見つめていた慶喜は「この者たちを明日、屋敷へ呼べ。これ以上、馬の邪魔をされては困る」と言い残し、走り去っていったのだった。

 第1回より早くも登場した草なぎ演じる慶喜。登場時間はわずか3分だったが、その存在感に「草なぎ慶喜、想像以上に威厳あるな」「かっこいいじゃないか草なぎ慶喜」「やっぱ草なぎ君ってオーラあるなあ」といった声が寄せられたほか、「草なぎ君の慶喜、めっちゃハマり役の予感…」といった期待の声も寄せられていた。

2021/2/14 クランクイン

https://www.crank-in.net/news/86235/1

 その意味では、さすがに冒頭で驚いたのは「徳川家康」の登場である。北大路欣也さん演じる徳川家康が大河ドラマの冒頭、「こんばんわ、徳川家康です」という言葉とともに出てきたのは、さすがに驚くというか、ある意味滑稽にも見える。もちろん「幕末」つまり「江戸幕府」というものの終わりを描くにあたり「幕府を作った人」が自分の子孫や自分の家臣を語ることに関しては別に異論はないが、しかし、もう少し何かやり方があったのではないか。現代流の「こんばんわ」という出演はいかにもなんとなく違和感があった。

その次に出てきたのが徳川慶喜(草彅剛)である。

この徳川慶喜と、渋沢栄一(吉沢亮)は、なんといっても「江戸幕府を終わらせた人」と「明治以降の日本の資本主義を作った人」である。この冒頭の出会いこそが、「江戸時代と明治時代の橋渡し」の瞬間であったのではないかという気がするのである。

ドラマそのものとしては、初回は子供時代である。そのために、まだまだ子供の頃のエピソードでしかない。腕白で遠慮のない子供であった渋沢栄一と、その親や家族がどのような人物だったか、つまり、渋沢栄一がどのような場所で育ったのかということがポイントとなる。幼少時代のエピソードや育ち方こそが、渋沢栄一という人物の基礎を作る物であり、その基礎があってこそ、様々な考え方が出てくるということになったのであろう。

また、その後罪人として送られてくる砲術家高島秋帆(玉木宏)とであう。

高島秋帆は、清国で起きたアヘン戦争に衝撃を受け、日本でも欧米に対抗するための砲術が必要ということを上申し、西洋砲術を学ぶ。幕府からは砲術の専門家として重用され、秋帆は幕府に火砲の近代化を訴える『天保上書』という意見書を提出して天保12年5月9日(1841年6月27日)、武蔵国徳丸ヶ原(現在の東京都板橋区高島平)で日本初となる洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行なった。阿部正弘からは「火技中興洋兵開基」と讃えられた。幕命により江川英龍や下曽根信敦に洋式砲術を伝授し、さらにその門人へと高島流砲術は広まった。

しかし、翌天保13年(1842年)、長崎会所の長年にわたる杜撰な運営の責任者として長崎奉行・伊沢政義に逮捕・投獄され、高島家は断絶となった。幕府から重用されつつ脇荷貿易によって十万石の大名に匹敵する資金力を持つ秋帆を鳥居耀蔵が妬み「密貿易をしている」という讒訴をしたためというのが通説だ。この鳥居耀蔵は、天保の改革の時に、水野忠邦の片腕として権勢をふるいながら、天保の改革の上知令で反対運動が起きると、最も最初にうらぎり、讒言して水野忠邦を追い落とす人物である。

嘉永6年(1853年)、ペリー来航による社会情勢の変化により赦免されて出獄。幽閉中に鎖国・海防政策の誤りに気付き、開国・交易説に転じており、開国・通商をすべきとする『嘉永上書』を幕府に提出。攘夷論の少なくない世論もあってその後は幕府の富士見宝蔵番兼講武所支配および師範となり、幕府の砲術訓練の指導に尽力する。

この幽囚先が、武蔵国岡部藩、現在の深谷市であり、渋沢栄一の生家のある場所である。岡部藩主安部信宝は、徳川譜代の家臣の家柄であり、幽囚といいながらも領内での自由は保障し、多くの藩が秋帆に砲術を習いに来ている。そのような中で渋沢栄一は学んでいったということなのであろう。

このようにして人間ができてくるというような話なのではないか。

さて、この大河ドラマがどのような展開になるのか、かなり興味がある。

宇田川源流

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