「宇田川源流」 【大河ドラマ麒麟がくる】初期のストーリーが伏線になっている大河ドラマにおける「本能寺の変の伏線」

「宇田川源流」 【大河ドラマ麒麟がくる】初期のストーリーが伏線になっている大河ドラマにおける「本能寺の変の伏線」


 NHK大河ドラマがおもしろい。はっきり言ってしまえば、ドラマもこの辺になると、創作ということが強くなってくる。ある意味で「歴史」というような話ではなくなってしまってきているのであるが、しかし、それでも様々な話が出てきているのではないか。

明智光秀が「本能寺の変」を起こした動機はなんであったのか。

そのようなことが様々な歴史書に書かれている。ある意味で「正親町天皇陰謀説」「将軍足利義昭陰謀説」「怨恨説」「秀吉陰謀説」などが中心になっていたような気がする。それ以外にも「四国陰謀説」「徳川家陰謀説康」など様々あるが、今回は「正親町天皇」「足利義昭」「羽柴秀吉」「徳川家康」というようなところの複合説に、どうも「濃姫関与」というようなことになるのではないか。まあ、この辺の説は、ドラマの作者が好きに説くか全体の流れから決めることであると思われるので、本能寺の変に向けて何を核かということが大きな内容になってくるような気がする。

ある意味で、人間が大きな人生の岐路の選択をするときに、何か一つの事しか理由がないということはない。複数のことが様々に存在するということになるのではないかという気がするのであるが、実際には何か一つの事しか言われない。まあ、今の世の中、人間が単純化してしまっているので、単純な理由で簡単に行動を起こしてしまう人が多いのかもしれない。しかし、実際には思い悩み、そして様々なことを考えて、行動を起こしている。そもそも明智光秀は軍隊だけでも、2万に近い人の命を預かっているのである。領民で言えば、もっと多くの人であろう。その責任などを考えれば、かなり迷ったに違いない。そして迷ったうえで様々なことを考え併せ、現代で言えばベストと思われる選択をしたのに違いない。

「陰謀」というのは、一番簡単なのは、「思い込ませる」ということで行われるのである。しかし、「麒麟がくる」の中では「陰謀を誰かが仕掛けた」のではなく、心がすれ違ってそのようになってしまったというような構成になっている。

麒麟がくる:“あの干し柿”から30年、風間俊介「ここにつながっているとは…」 光秀に明かした家康の覚悟

 俳優の長谷川博己さん主演のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」(総合、日曜午後8時ほか)第42回「離れゆく心」が1月24日に放送され、風間俊介さん扮(ふん)する家康と、長谷川さん演じる光秀との密談が描かれた。人質として織田の館に留め置かれ、そこから逃げだそうとしたときに光秀と初めて出会った家康。「あれから30年。私は相も変わらず何かに束縛され、そこから逃げ出したい、己が思うがままに生きてみたいと願って暮らしております」と本心を明かす家康の姿があった。

 家康は、光秀に「束縛するものとは何か」と問われ、「例えば、信長(染谷将太さん)様」と答えると、その信長から、自分の嫡男の信康を「殺せ」と命じられていることを告白。自らの行為で周囲を遠ざける最近の信長の振るまいに不信感を募らせ、「これでは天下は一つにまとまりませぬ」と光秀に訴えると、「あまりに理不尽な申されようがあれば己を貫くほかありません」「これには三河の誇りがかかっております」と覚悟を伝えた。

 風間さんは「家康はこのシーンで、明智様に自分の国や人生を賭けた決断を相談しますが、三河を束ねる一国のあるじとしてではなく、幼いころに干し柿をもらったことのある、戦国を生きる一人の男として相談しているのではないかと思います」と振り返る。

 また風間さんは「(家康が)肩書きや地位を脱ぎ捨てて話ができるのは、きっと明智様だけではないでしょうか」と推測し、「このシーンの会話は、竹千代が初めて明智様に会ったときの話から始まります。あの干し柿のシーンがここにつながっているとは……。『麒麟がくる』をすべてご覧いただいた後、もう一度初めから見直したら、また面白いのではないかと思います」と語った。

 「麒麟がくる」は59作目の大河ドラマ。1991年放送の「太平記」などで知られる池端俊策さんのオリジナル作。ドラマでは謎めいた明智光秀の前半生にも光を当て、戦国の英傑たちの運命も描く。放送は残り2回で、2月7日に最終回を迎える。

2021年01月24日 マンタンウエッブ

https://mantan-web.jp/article/20210124dog00m200017000c.html

 さて、そのすれ違いの要素が物語の中ではたくさんある。今回の「麒麟がくる」の中では、「将軍足利義昭」の扱いということがあり、その義昭に裸足で罪人のように京を追い出したということがある。

また「天皇」に対する考え方がある。今回の大河ドラマの中では、天皇ということがしっかりと書かれている。これはNHKのドラマの中ではかなり革命的な内容ではないかという気がする。その天皇に関して、「侵してはならない」という感覚と「うまくゆかなければ攘夷頂いても構わない存在」というような感覚と二つの考え方がぶつかる。もちろん、その内容は「平和」まあ、この時代ではそのような言い方はないので「戦のない世の中」ということが最も重要ではないか。

東京から大阪に行くには、新幹線、飛行機、自動車、バス、船、徒歩、自転車・・・などたくさんあるのである。最終的に大坂に行くという目的が同じであるからといって、その道筋や手段は全く異なるし、その時に、様々な関係者がかかわることになる。実際に目的は同じなのにその手段や道筋によって全く異なる話になり、そしてそれが対立の芽になってしまうのである。まさにそのことが、戦国時代の戦の内容であろうし、今でも多くの人々の争いの元なのではないかという気がするのである。

そして今回は「徳川家康」である。

まさか船で大坂沖に表れて明智光秀と対面するというようなことがあるとは全く思えなかった。それも「織田信長に命じられて築山殿と嫡男信康を殺せと命じられた」ということを相談しに来たのである。これに対して信長は「試した」という。まさに「人の命を犠牲にして忠誠心を試す」ということを平然と言うということになったのである。「忠誠心」つまり、「戦の中での結束」を試すために人の命を奪う。それは、「本末転倒」なのかもしれないのではないか。その矛盾を感じた光秀の表情はかなり注目である。

家康訳の風間俊介さんは、なかなか面白いことを言っている。

「家康はこのシーンで、明智様に自分の国や人生を賭けた決断を相談しますが、三河を束ねる一国のあるじとしてではなく、幼いころに干し柿をもらったことのある、戦国を生きる一人の男として相談しているのではないかと思います」<上記より抜粋>

大河ドラマの醍醐味は、まさに人の一生を追うように「子供の頃の話」私たち視聴者からすれば「年の初めの話」が、後になって伏線として出てくる問うことではないか。2時間くらいの映画では、申し訳ないが「記憶の掠れ方」が違うということになるのではないか。そのように考えれば、こちらは1年間の月日が、そしてドラマの中では30年間の月日が流れているのである。

そして、その時は「母のもとに帰りたい」という家康を「甕の中に隠してかくまう」ということになる。さすがに命の恩人ではないが、家康にとっては信用できる人物が光秀であったことは間違いがない。史実でも東美濃と三河は、峠を越えて簡単に行き来できる場所であり、松平(吉良氏の一族)と明智(土岐市の一族)は、この辺の豪族である妻木氏や遠山氏などを含めて様々な意味で多くの交流があったといえるのである。そのような史実は別にしても人間の関係とはこのようなものであるということが言えるのではないか。

「信用される光秀」と「人の心が離れてゆく信長」という対比がうまくできており、そして光秀の話が様々に出てくるのではないか。

このような「時間」と「人物」の対比が、しっかりと書かれてゆき、それが本能寺の変の伏線になっているのである。いや、なかなか面白い。

宇田川源流

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