「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 最終話で本能寺の変となるまでの「架空の登場人物」の描き出す見事な伏線

「宇田川源流」【大河ドラマ麒麟がくる】 最終話で本能寺の変となるまでの「架空の登場人物」の描き出す見事な伏線


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマに関して感想とかそういうことを書いている。とりあえず、何かと様々に関係していた「麒麟がくる」に関してお話をすることにしているのである。

それにしても今回の麒麟がくるに関して、最も積極的に明智光秀の大河度rまあ誘致に動いたのは京都府、亀岡市や福知山市など「旧丹波国」の人々なのであるが、ものの実ごとに丹波の国が出てこない展開というよりは、まあ、添え物的な内容になっている。気hん的には、京都の中で正親町天皇(坂東玉三郎)をめぐる織田信長(染谷将太)と足利義昭(滝藤賢一)に翻弄され揺れ動く明智光秀(長谷川博己)そこに自己の出世のために手段を選ばない羽柴秀吉(佐々木蔵之助)、菊丸(岡村隆史)を通して様子を見ている徳川家康(風間俊介)というような心理描写がかかれており、そこに丹波国はどのように影響を与えたのかということになる。「大きな群像劇にしたい」というNHKの落合プロデューサーの意向は、そのまま彼らの「生い立ちや天下や平和に対する考え方の違い」ということにつながり、その立場や考え方の違いが、すれ違いを生んで悲劇が起きる。

そもそも、げんだいのしゃかいのなかでもおなじで、人と人の争いというのは片方で欲望ということがぶつかることがあるが、片方で大義や正義ということの考え方の違い、路線対立ということがあり、その路線に人が集うということになるわけで、争いが大きくなるのである。

そのような「人間模様」や「社会」をしっかりと書いている大河度rまあであるからこそ「人の心の変化」や「生い立ちの違い」を書くことができ、時間経過に関してしっかりとした内容を出すことができるのである。そのように考えると、その「すれ違いの集大成」が「本能寺の変」ということになるのであるから、なかなか興味深い。2月7日が最終回であるというので、そこは興味深いところではないか。

「麒麟がくる」“菊丸”岡村隆史は光秀推し「長谷川さんと離れたくなかった 本当に寂しい」(ネタバレ有)

 俳優の長谷川博己(43)が主演を務めるNHK大河ドラマ「麒麟がくる」(日曜後8・00)は17日、第41話「月にのぼる者」が放送され、お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史(50)演じる忍び・菊丸が京を去った。

 <※以下、ネタバレ有>

 大河ドラマ59作目。第29作「太平記」(1991年)を手掛けた名手・池端俊策氏(75)のオリジナル脚本で、智将・明智光秀を大河初の主役に据え、その謎めいた半生を描く。

 第41話は、大坂本願寺、丹波と終わりの見えない戦に追われる光秀(長谷川)。追放された将軍・義昭(滝藤賢一)は、諸国の大名に対し「信長(染谷勝太)を倒し、幕府を再興せよ」と御内書を送り続けており、事態は混迷を極めていた。そして、秀吉(佐々木蔵之介)が光秀を訪ねる。光秀は自分に密偵をはべらせ、行方不明の名茶器「平蜘蛛(平雲)」を隠し持っていることを信長に報告し、さも裏切ったかのように仕向けた調略について秀吉を問いただす…という展開。

 秀吉が菊丸の正体に気付いたため、光秀は「秀吉殿の手下は動けば早い。すぐに京を離れる方がよい」と菊丸に忠告。菊丸は「三河のために命を捨ててもよいと思いながら、もうお役目を返上したい。三河へ帰っても、もう家で私を待つ者は誰もおらぬのです。皆、死に絶えまして」と複雑な胸中、駒(門脇麦)と薬を作る暮らしへの愛着を吐露した。しかし、駒たちを巻き込む前にと、光秀の忠告に従うことを決意。秀吉の手下を追い払い、京から姿を消した。

 岡村は番組公式ツイッターを通じ「劇中でも本心を語っていますが、菊丸は京を離れたくなかったんだと思います。でも、それ以上に、僕は長谷川さんと離れたくなかった(笑)。登場した時から長谷川さんとのシーンが多かったので、本当に寂しい。僕個人としては、光秀推しですから(笑)」と心境を明かした。

 最終回(第44話)まで残り3話。“菊丸”岡村の再登場はあるのか、注目される。

2021年01月17日 20時57分 スポニチアネックス

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12278-931629/

 さて、今回の麒麟がくるでは「架空の人物」がかなり様々な役割を担っている。今までも書いているが、実際に「架空」とはいうものの、正確には「記録に残っていない」ということでしかなく「いなかった」という証明は存在しないことになる。要するにそのような人物はいたかもしれないということになる。今回の麒麟がくるでは、東庵(堺正章)、駒(門脇麦)、菊丸(岡村隆史)、伊呂波太夫(尾野真千子)というところが架空の人物であり、それぞれ重要な役割を持っている。当然に、実際の歴史の中でも、歴史書や記録に名前が残っていない中でこのように影響を与えたものは少なくない。そのような人物をどのように生き生きと書き、また、活躍させ、そして退場させてゆくか、別れというも音を演出するのかということがドラマの中のカギになる。

今回では、菊丸と明智光秀の別れが一つのメインになる。同時に、祖の別れの際には、羽柴秀吉の「残虐性」というか、「なりふり構わずに自分の保身と信長に気にいられることを行う」ということが、そのままその中に入ってくることになる。光秀はそのことを知り、菊丸に忠告し、菊丸は別れを惜しみながら姿を消す。お互いが別れであるということを知りながら、離れてゆく友情はなかなか興味深い。

この秀吉の存在と信長の猜疑心、そして、「戦争のない多きな国を作る」ということの路線対立が、そしてそこに心理的に大きく絡む正親町天皇のおおみこころということがドラマをより大きく動かすことになる。

「本能寺の変はなぜ起きたのか」ということがよく話題になる。朝廷陰謀説や羽柴秀吉黒幕説、足利幕府再興説などが言われている。このほかにも怨恨説や四国長曾我部黒幕説などもあるが、今回は朝廷と羽柴と足赤が幕府ということがメインに動くことになる長曾我部は配役がないし、丹波も配役がないので、基本的には出てこないということになろう。このように考えると、光秀の大事にしていたものが何か、信長が目指していたものが何かということがしっかりと書かれていて面白い。そして「陰謀」と「怨恨」というような二つの人間が大きく動く要因の中に「人の死」ということがあり、その「死」に対して、どのように多くの人がアクセスをするのかということが、しっかりと書かれているのである。

残り3回。最後まで楽しみである。

宇田川源流

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