「宇田川源流 日本万歳!」 「当たり前の行動」で救助する一般人の普通の感覚こそ最大の日本人のすばらしさではないか

「宇田川源流 日本万歳!」 「当たり前の行動」で救助する一般人の普通の感覚こそ最大の日本人のすばらしさではないか


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。本日で11月も最終日、明日からは「師走」である。

このように12月というような数字の言い方ではなく季節や月によって違う呼び名があるというのも日本のすばらしさである。そしてその名前が日本のその季節の「世相」をあらわしている。

このように季節に従って、その年の様々な内容を表すというのは、ほかの国ではなかなかないのではないか。もちろん、季節がしっかりと四季があるかどうかなどということもあるのだが、しかし、それだけではなく、様々な世相を反映して、それを毎日の「呼称」の中に反映させて、そのまま季節を感じるというのは、やはり日本ながらの風流ではないのか。

「先生が走る」という12月の季節は、やはりその時の「先生」の威厳や普段の態度、そしてその先生も走らなければならないほど、様々な意味で「忙しい」ということを言っている。

しかし、「師走」という名前の中に「忙しい」とか「騒々しい」というような言葉は全く入っていない。先生の姿を見て、片方で自分たちの意志が示唆をあきらめながら、片方で先生が走る姿を見て珍しいと思いながらもなんとなく同じ人間を感じるおかしさである。そのような忙しさの中に楽しみがあるというような姿を垣間見させてくれる呼称ではないか。

さて、このように、現在でも使っている「何気ない日常」の中に、我々のすばらしさや、生活を過ごす知恵が隠されており、そして、その由来を説明すれば、現在でおその内容を考えて同じように考えることができるというのが、我々の日常なのではないか・

そのように考えた場合、「日本人の日常」「日本人の当たり前」の中には、様々な知恵や日本人のすばらしさが隠されているのではないか。それをなんとなく解説し、我々同じ日本人として誇りをもって今秋を過ごしていただきたいと思う。それがこの連載の企画なのである。

突然の爆風、吹き飛ぶガラス 「当たり前の行動」で血まみれの客救助

 郡山市の飲食店「しゃぶしゃぶ温野菜郡山新さくら通り店」で7月下旬に起きた爆発事故で、現場周辺で負傷者を救出するなど人命を救ったとして、郡山地方広域消防組合は近隣の企業など4事業者に感謝状を贈った。

 この事故では周辺の建物304棟が被害を受け、1人が死亡、19人が重軽傷を負った。

 感謝状を贈られたのは、通信設備会社「ニノテック」とニノテックの協力会社「公栄通信」、特別養護老人ホーム「イル・ヴィラージュ」、東邦銀行新さくら通り支店。それぞれ複数の人たちが協力するなどして、被災した建物から負傷者を安全な場所に搬送。応急手当ての資器材を持ち寄り、避難誘導などをした。

 同組合管理者の品川万里・郡山市長は「自ら被災され二次災害の不安がある中、危険を顧みずに率先して負傷者を救出、応急手当てを施されるなどの行為、行動に深く敬意と感謝を申し上げます」と評した。

 爆発した飲食店と道路を挟んで向かい側にある東邦銀行新さくら通り支店。営業開始の約3分前、菊地大樹支店長(49)ら行員33人が開店準備を進める中、突然の衝撃と爆風が2階建ての建物を襲った。

 店舗正面のガラス扉や道路に面した窓ガラスはすべて吹き飛んだ。入り口のATM(現金自動出入機)スペースには4人の来店客。顔面を複雑骨折した40代女性は出血がひどく、女性行員がタオルで止血しながら救急隊が来るまで抱きかかえ続けた。残る3人も額から出血したり左腕などに切り傷を負ったり。行員3人もけがをした。

 けが人の救護と速やかな誘導避難。「今思い返しても職務を全うできていたか思い悩む時がある」と菊地支店長。重症の女性は先月末に退院した。支店は事故当時のままだが、「少しずつ元の生活が戻ってきている気がします」と話す。

     ◇

 爆発時、公栄通信の佐藤好春さん(55)はニノテック本社で電話工事に行く準備をしていた。衝撃とともに室内のガラスが割れ、壁が吹き飛んだ。一緒にいた仲間はけがを負い、「何が起きたのか」と外に出ると、新さくら通りには通りにがれきが散乱していた。

 骨組みだけの飲食店のガスボンベからガスが噴き出していた。「危険だ」と思ったが、大破した新聞販売店に顔などから大量に出血した40代女性が男性に抱えられているのが見えた。

 「助けないと」ととっさに思い、ニノテックの社員と駆け寄った。社員が女性を安全な場所まで搬送するのを手伝い、佐藤さんはニノテックに戻って毛布やタオルを探し、女性の救護現場に急いだ。

 感謝状を受け取った後、佐藤さんは「当たり前の行動をしただけだが、大けがをした女性が助かってよかった」と振り返った。(見崎浩一)

     ◇

〈「しゃぶしゃぶ温野菜郡山新さくら通り店」爆発事故〉 郡山市島2丁目の同店で7月30日午前8時57分ごろ、爆発事故が起き、改装工事のため店内に入った現場責任者の男性(当時50)が死亡し、周辺の20~80代の男女19人が重軽傷を負った。郡山消防本部によると、建物の被害は周辺の数百メートルに及び、304棟(11月18日現在)で確認された。県警は店の厨房(ちゅうぼう)内で見つかったガス配管の腐食箇所からガスが漏れ、何らかの理由で引火、爆発した可能性が高いとみて、業務上過失致死傷容疑で調べている。

2020年11月21日 10時30分 朝日新聞デジタル

https://news.livedoor.com/article/detail/19257581/


 皆さんは、目の前に重傷者がいた場合どうするであろうか。現在はコロナウイルスであるので「重傷者」といっても、突然目の前で倒れてしまえば、どうしていいかわからない人が少なくないのかもしれない。

特に、なんだかわからないが倒れてしまった人などは、現在のコロナウイルス禍の中には、「病気を感染されてしまうかもしれない」などというようなことがあるので、なんとなく遠巻きにしてしまう可能性があるのかもしれない。そのほかにも「関わり合いがあって何か言われると困る」などの感覚もあるのかもしれないので、何とも言いようがないところもある。

しかし、では目の前で大惨事が起きて、それで傷ついて重傷者が出た場合はどうであろうか。要するに「なぜその人が傷を負っているのかがわかる状態」の場合、その場にいた場合日本人はどうするのであろうか。

これは統計やアンケートなどの内容があるわけではないので何とも言いようがないところがあるのだが、私の経験上、アジアの国々の中には、「自分の安全を守るためにその場から逃げてしまう」という人が、日本以外の国では多い。どの国とは言わないが、基本的には「一回爆発や事故が起きればすぐに二回目、三回目が起きてしまう」ということがあり、早くその現場から逃げなければ自分がまきこまれてしまうというのである。

また、ほかの国では「通りかかっただけなのに自分が犯人にされてしまう」というのである。まあ、それがどの国であるかはわからないが「触らぬ神に祟りなし」とはまさにそのような状況ではないのか。

それに対して、日本人の場合は、やはりすぐに助けに行く、少なくともその場の現場を記録したり公的な機関に報告をするということも少なくないのである。

 骨組みだけの飲食店のガスボンベからガスが噴き出していた。「危険だ」と思ったが、大破した新聞販売店に顔などから大量に出血した40代女性が男性に抱えられているのが見えた。「助けないと」ととっさに思い、ニノテックの社員と駆け寄った。社員が女性を安全な場所まで搬送するのを手伝い、佐藤さんはニノテックに戻って毛布やタオルを探し、女性の救護現場に急いだ。<上記より抜粋>

日本人の場合、頭の中では「二次被害があるかもしれない」「危険かもしれない」というような感覚はある。しかし、日本人の中には、ここにあるように「助けないといけない」という義務感と責任感を持ち、その危険を顧みずに救助活動を行う人が少なくない。アメリカなどでは、何か事故があった時には、消防士や警察官がそのような責任感を持っている人が多いが、日本人はそのような職業についていない状況でも、そのような感覚を普通に持っているのである。

これが日本人なんであろうなと思う。もちろん、歴史的に言えば、多くの人が性善説であるとか、村社会的であって、多くの人を助けることが日本人の感覚であるというようなことが普通だ。しかし、今普通のことができなくなってしまっている時に、その普通ののこと「当たり前のこと」を、体がそのまま動くというのは素晴らしいことではないのだろうか。

あなたも、そして私も、そのような感覚を持った日本人なのです。誇りをもって自分の行動に自信を持ちませんか?

宇田川源流

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