「宇田川源流」 イスラム教とフランス政府の対立の根底にある「差別」と「考えたかの相違」は埋まるのか?

「宇田川源流」 イスラム教とフランス政府の対立の根底にある「差別」と「考えたかの相違」は埋まるのか?


 あえて「埋まるのか?」というような内容にした。実際にその答えは「当分の間埋まらないのではないか」という気がしてならない。フランスという国がそのプライドの高さと自分たち以外の文化や価値観を受け入れる内容がなければ、基本的にはそれらが埋まるようなことはあり得ないのである。もちろん、イスラム教徒の方も他の解決方法があると思うが、もともと「白人と奴隷」の歴史があり、その奴隷が抵抗するというような感覚から考えてみると、日本人のような甘い考え委にならないのが普通であろう。

宗教という考え方の相違は、現在の日本人の多くの人々が感じている「命が一番大事」という価値観で判断することのできない判断基準によって動かされている。つまり、「自分の存在」とか「来世」というような価値観があり「現世における神との関係性」によって、次の将来が変わるというような考え方になっているのであるから、その内容に関してはなかなか日本人には理解することができない。

さて、2016年のシャルルエブドにおける銃乱射事件に関しては、かなり様々な意味において「言論の自由」ということが言われるようになった。実際に「イスラム教の神を冒涜すること」と「言論の自由」とが二律背反の関係なのか、そうではないのかということが大きな問題になるのではないか。このことの延長戦が、2020年の10月に起きた「フランスの学校教員殺害事件」ということになるのであり、その殺害に関しては、シャルルエブド事件と同様に「神の冒涜と言論の自由」ということを教育の場として行っていただけのことであったという。

日本人の間には「禁忌」という言葉がある。どんなに親しかろうと、その集団の中で人気者であっても禁忌に触れたものは、一定の「罰」を受けることになる。特に神域に多いことであるが、神社の境内でやってはいけないことなど、なんとなく様々なことがある。「罰当たり」という単語があるが、まさにその「罰当たり」の制裁を人間がしてしまうのが「イスラムの過激派」なのではないか。

フランス首相「敵はイスラム過激派」、ニース教会襲撃の追悼式で

【11月8日 AFP】フランスのジャン・カステックス(Jean Castex)首相は7日、地中海沿岸の都市ニース(Nice)で男が刃物で次々に人を襲い、3人が死亡した事件の追悼式に出席し、犠牲者に哀悼の意を示すとともに、「敵はイスラム過激派だ」と訴えた。

 カステックス氏はニースで行われた追悼式で、「敵は分かっており、名前まで特定されている。イスラム過激派だ」と述べた。さらに、ニースは2016年7月14日に起きた、革命記念日の花火の見物客にトラックが突入し86人が死亡した事件にも言及し、同市はすでに「大きな犠牲」を払ってきたと振り返った。

 カステックス氏はイスラム過激派を、「コーラン(イスラム教の聖典)を曲解することでイスラム教をゆがめる政治的イデオロギー」と呼び、テロの標的にされるのはいつもフランスだと訴えた。

 フランスに到着したばかりのチュニジア人移民による犯行とみられている今回の事件を受け、エマニュエル・マクロン(Emmanuel Macron)大統領は、出入国審査のないシェンゲン(Schengen)圏に属する国と属さない国の境界の警備強化を求めるようになった。

 オーストリア首都ウィーンで2日、4人が死亡した銃撃事件が発生したことを受け、フランスは、欧州連合(EU)に加盟する国との国境で警備の人員を倍増し、テロ警戒レベルを3段階の最高に引き上げた。

 また、フランスの閣僚らは、北アフリカの旧植民地であるチュニジアとアルジェリアに対し、フランスでテロで有罪判決を受けた自国民を引き取るよう圧力をかけている。(c)AFP/Claudine RENAUD

2020年11月8日

https://www.afpbb.com/articles/-/3314604

イスラム教徒にはフランス人を殺す権利がある」 マレーシア前首相

【AFP=時事】マレーシアのマハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)前首相(95)は29日、フランス南部ニース(Nice)の教会で3人が死亡した刺殺事件が起きた後、「イスラム教徒にはフランス人を殺す権利がある」とツイッター(Twitter)に投稿した。フランス政府からの猛抗議を受けて、ツイッターは投稿を削除した。

 マレーシアのマハティール・モハマド前首相。首都クアラルンプールにて(2020年8月7日撮影)。c Vincent Thian / POOL / AFP マレーシアのマハティール・モハマド前首相。首都クアラルンプールにて(2020年8月7日撮影)。

 ニースでの事件発生後まもなく、マハティール氏はツイッターに連続投稿を行ったが、事件に直接言及はしなかった。ツイッターは当初、削除に応じなかったが、フランス政府からの猛抗議を受けて最終的に削除した。

 マハティール氏は、イスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の風刺画を学校の授業で見せたフランス人歴史教師が首を切断され殺害された事件に言及。この歴史教師殺害には同意できないとする一方、「他人に対する侮辱」は表現の自由に含まれないと主張した。

 マハティール氏は、「フランス人は、その歴史の中で大勢の人を殺してきた。多くはイスラム教徒だった。こうした過去の大量虐殺ゆえに、イスラム教徒には怒り、大勢のフランス人を殺す権利がある」「(それでも)一般的に、イスラム教徒は『目には目を』の報復律を実践してこなかったし、今もしていない。フランス人もするべきではない」と投稿した。

「フランス人は、他者の気持ちを尊重することを国民に教えるべきだ。フランス人は1人の怒れる人物の行為をイスラム教徒全員とイスラム教の責任にしている。ゆえにイスラム教徒にはフランス人を罰する権利がある」(マハティール氏)

 マハティール氏の投稿には「とんでもない」「恥ずべきもの」などと非難が殺到した。

【翻訳編集】AFPBB News

AFPBB News 2020/10/30 09:12

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/e3-80-8c-e3-82-a4-e3-82-b9-e3-83-a9-e3-83-a0-e6-95-99-e5-be-92-e3-81-ab-e3-81-af-e3-83-95-e3-83-a9-e3-83-b3-e3-82-b9-e4-ba-ba-e3-82-92-e6-ae-ba-e3-81-99-e6-a8-a9-e5-88-a9-e3-81-8c-e3-81-82-e3-82-8b-e3-80-8d-e3-83-9e-e3-83-ac-e3-83-bc-e3-82-b7-e3-82-a2-e5-89/ar-BB1awmrR

 私の思うところ、実際は「普段からの人間関係」で花かということが言える。つまり、イスラムの人々が相手でも「イスラム教に関して無知な人間に宗教や戒律を教える」ということはおかしな話ではない。異教徒であれば、当然にそれらを知らないのは当然のことであり、その当然のことが行われずにすぐに制裁になってしまうということは、根本的にはあり得ない。その場合は「布教」という行為はできなくなってしまい、「宗教戦争」しかありえないということになるからだ。

つまり、このような事件が起きるのは、当然に「フランスの人々は、イスラム教徒にとって敵である」という認識があり、「布教の対象として、または、宗教を説明する対象としてフランス人を見ていない」ということに他ならないのである。

そのことをうまく説明したのが、マハティール前首相の言葉であろう。

「フランス人は、その歴史の中で大勢の人を殺してきた。多くはイスラム教徒だった。こうした過去の大量虐殺ゆえに、イスラム教徒には怒り、大勢のフランス人を殺す権利がある」「(それでも)一般的に、イスラム教徒は『目には目を』の報復律を実践してこなかったし、今もしていない。フランス人もするべきではない」<上記より抜粋>

この主張が100%正しいということを言っているわけではない。しかし、ある意味において、イスラム教徒は、フランス人に対して特別な悪意の感情を持っているということを端的に示している。そしてそれが「歴史上」の問題でありなおかつ「何年も解決されないものとして現在も残っている」ということを意味しているのである。もちろん「人を殺す権利」などということは存在しないと思う。しかし、「神々の価値観をわからないということの表現として最も強いものを使った」ということに他ならないのではないか。

「フランス人は、他者の気持ちを尊重することを国民に教えるべきだ。フランス人は1人の怒れる人物の行為をイスラム教徒全員とイスラム教の責任にしている。ゆえにイスラム教徒にはフランス人を罰する権利がある」(マハティール氏)<上記より抜粋>

実際にこの投稿には批判的な反論が殺到したとあるが、しかし、よくよく考えてみると「神を冒涜した」ということに関して「フランス人はよく考えるべきである」という主張までは正しいのかもしれない。多様性の価値観のなかで、相手を揶揄してわらものにするということが、どのような屈辱であるのか、それは「植民地時代にそのようなことをしてきた」ということかもしれないが、一方で、現在独立国になり宗教も独立している状況のイスラム教を主宗教としている国々に対して、その宗教を認めず、いつまでも宗主国たる態度で接していては問題があるということになるのではないか。その疑問を呈することは特におかしなことではないと思われる。

一方で、マクロン大統領もあまり大きく間違えたことは言っていない。実際に、「イスラム過激派(原理主義者)」が現在の世界において正しいとは思えないし、そのことをほかの押し付けるということ、そして強要しうまくゆかない場合に殺してしまうというのは価値観としておかしいのである。これもマハティール首相が主張しているのと全く同じことであると思われる。問題は「イスラム過激派」と「普通のイスラム教徒」を同一視してよいのか、そしてそのことが風刺にイスラム教を使ってよいのかということを考えるべきではないか。そのことをしっかりと「フランスとしての国家のスタンス」を出さなければあ、やはりマハティールのような主張が出てきてしまい対立が深まるのではないか。

世界には様々な考え方がある。戦わなければならないときはあるにしても、それまでは「いかに考え方の違う人間を許容するか」ということに尽きるのではないかと考えられるのである。

宇田川源流

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