「宇田川源流 日本万歳!」 70年以上前の大型旋盤を最近まで現役で使っていた日本の技術力とモノを大事にする「心」
「宇田川源流 日本万歳!」 70年以上前の大型旋盤を最近まで現役で使っていた日本の技術力とモノを大事にする「心」
月曜日は「日本万歳!」である。毎週月曜日になると、なかなか仕事をしたくなくなってしまうところがある。土日に充実した週末を過ごした人ほど、そのような感覚になってしまうものである。
最近「GoToキャンペーン」が話題になっているが、このキャンペーンは「トラベル」「イーツ」「商店街」「イベント」と、人々が「楽しむ」楽しむためのものが多い。人間は、テレワークなどで仕事はできるが、一方で人間が感覚と本能で生きる動物である以上、やはり「充実した感覚」特に、日本人のような感性の非常に鋭い民族は、当然に、その感性を磨くようなことこそ、もっとも重要視する人が少なくない。その「感性の充実」を行うことは、そのまま仕事とは異なるものである。
仕事そのものがテレワークでよくなるということは、実際には「仕事」というものは、「効率を重視する」ということであり、その効率の重視によって利益を多くしているのである。しかし、人間の一生というのは、基本的に「効率」ではない。「ゆとり」と「精神の充実」が重要であり、その充実するための道具は人それぞれである。
いずれにせよ「稼ぐ」という効率性とは違い、基本的には「無駄」と「ゆとり」からしか生まれないものである。そして「無駄」と「ゆとり」があるから、多くの人はその内容を考えるのであり、また新たな労働力の再生産ができるのである。
実際に「ゆとり」があった方が精神の充実がなされるのであるが、しかしそれでは生活ができなくなってしまう。そのために、効率性の中に身を置くということになるのであるが、それはそれで精神的には苦しいものである。
そのような中で、日本、そして日本人のすばらしさを再確認することによって、自らも日本人であることから自信と誇りという、別角度の「ゆとり」を持っていただくことが本文の目的である。
今回は「戦艦大和」である。
戦艦「大和」主砲製造した巨大旋盤、念願の展示へ…大和ミュージアムに兵庫の企業が寄付
大和ミュージアム(広島県呉市)は、兵庫県の企業から、旧日本海軍の戦艦「大和」の主砲などを製造する際に使われたとされるドイツ製の超大型旋盤の寄付を受ける。2005年のミュージアム開館前にも「展示の目玉」として寄付を熱望したが、当時はまだ現役で稼働していてかなわなかった。旋盤の“退役”に伴って寄付が実現し、同ミュージアムは「念願がかなった」と歓迎。来年以降、屋外での展示を目指す。(上羽宏幸)
旋盤は金属塊や部品などを回転させながら削る機械。旧呉海軍工廠こうしょうで建造された大和は1940年8月に進水したが、旧日本海軍は38年にドイツ・ワグナー社製の巨大旋盤2台を輸入している。世界最大級の主砲(口径46センチ、長さ20・7メートル、重さ166トン)の製造には、同工廠に設置された巨大旋盤が使われたとされる。
旋盤の幅、高さは各5メートル、重さが約210トンで、金属塊などを取り付けて回転させる部分「面盤」の直径も3・2メートルある。面盤が反対側に設置された刃物に向けて金属塊を押し込んで切削する仕組みで、大和を建造した当時は長身の工作物も加工できるように、面盤と刃物側との両端は長さ40メートルに及んだという。
終戦後に1台は破壊されたが、もう1台は53年に神戸製鋼所に払い下げられ、その後、機械部品製造会社「きしろ」(兵庫県明石市)が買い取った。同社は2013年まで播磨工場(同県播磨町)で大型船舶用エンジンのクランクシャフト製造に使っていた。同工場の設備更新に伴い、19年11月に寄付の申し出があったという。
戦艦大和の10分の1模型。デッキには巨大な主砲が鎮座する(広島県呉市で)
呉市議会9月定例会では、旋盤の調査費や輸送費などに1億5000万円を盛り込んだ20年度一般会計補正予算が可決された。旋盤は、同工廠で金属などの強度試験に使われ、11年に広島大から譲り受けて保管中の大型試験機(長さ28メートル、幅4・4メートル、高さ5メートル、重さ420トン)とともに、来年にも屋外で展示することにしている。
同ミュージアムは「大和や同工廠ゆかりのものが時の経過と共に失われている中、寄付をいただきありがたい。世界最大とうたわれた戦艦を建造する際に使われた機械もまた巨大だったことを実感してもらえれば」としている。
2020/10/09 12:50 読売新聞
https://www.yomiuri.co.jp/national/20201007-OYT1T50122/
私の個人的なことを言わせていただければ、私の歴史の興味は「宇宙戦艦ヤマト」から始まっている。
宇宙戦艦ヤマトの第一話に、太平洋戦争末期の戦艦大和が描かれている。その戦艦大和が出撃するときに、おじいさんの船に乗っている少年が、そのおじいさんに「よく覚えておけ、あれが男の船だ」といわれるのである。次のシーンで、大和は運かのごとく迫ったグラマン戦闘機や爆撃機に集中砲火を食らい、そして静かに沈んでゆく。そのとき、大和の艦長(当時は有賀幸作であったと思う)か、あるいは司令長官(伊藤整一か)が、体が浮かないように舵に身体を結び付けて敬礼して沈んでゆくのである。その大和が時を経て改装され、宇宙戦艦ヤマトになるというのであるが、私自身そのアニメに感動し、大和のことを当時なりに調べたものである。
「大和(ヤマト)」という響きは、日本人にとって「大和民族」「大和朝廷」など、日本そのものを表す響きを持っており、その名前を冠した「戦艦大和」は文字通り日本の象徴的な船であったと思う。そのように考えると、大和が沈んだことによって組織的な抵抗を失い、そして敗戦するしかない状態になったというのも、何かの暗示なのかもしれない。
さて、この大和は、まだ空母艦載機が主流ではない大艦巨砲主義において、世界に秘密にして作られた戦艦である。当時の46センチ砲は、世界最大であり、それを合計9門も装備した船は、大砲発射後の再現性など当時の最高の技術がすべて詰まっていたと考えられる。しかし。その極秘が過ぎて、ほとんど資料が残っていないというのも皮肉なものである。
さて、その大和の世界最大級の主砲(口径46センチ、長さ20・7メートル、重さ166トン)の製造には、同工廠に設置された巨大旋盤が使われたとされ、旋盤の“退役”に伴って寄付されたという。
つまり、つい先日まで、その旋盤が現役で使われていたということになる。
旋盤は金属塊や部品などを回転させながら削る機械。旧呉海軍工廠こうしょうで建造された大和は1940年8月に進水したが、旧日本海軍は38年にドイツ・ワグナー社製の巨大旋盤2台を輸入している。世界最大級の主砲(口径46センチ、長さ20・7メートル、重さ166トン)の製造には、同工廠に設置された巨大旋盤が使われたとされる。<上記より抜粋>
つまり、この世界最大級の主砲を作ろうと思えば、それが今でも可能であるということになる。同時にその道具を使える技師も今はまだ存在しているということになるのである。もちろん作る必要性はないし、できたところでセンチメンタルな感情にしかならないが、しかし、日本の技術力を考えるにあたり、「75年前に現在でも通用する技術を持っていた国」ということが言えるのである。
日本人は「毎日同じようなことをして、そのような素晴らしい環境の中にいるのでわからないが、何年も使える技術を自分たちで編み出す力を持った国民」であるということを誇りに思い、またその技術を今も大事に持っているということではないだろうか。それこそ、技術大国日本としての誇りそのものなのである。
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