「宇田川源流 日本万歳!」 幽霊の寿命まで考える日本人の着眼点とそれが議論になる日本人の文化性
「宇田川源流 日本万歳!」 幽霊の寿命まで考える日本人の着眼点とそれが議論になる日本人の文化性
月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。日本人が日本人の素晴らしいとっころに気づきそして日本人の考え方や日本人として誇りを思い出して、その感覚から自分たちに自信を持ってもらいたいと思う事から、この連載を続けている。
もともとは、土日の休みの間、ゆっくりと英気を養って、もう少しと思うときに、ラッシュ電車の中に揺られて、これから一週間頑張らなければならないというときに、何か自分たちの支えになるものがなければと思う。人間はなんのために頑張るのかということが問われるこの時代に、日本人としての誇りということを考えてみてはいかがかと思うのである。
特に、現在のコロナウイルス禍の中で、日本人はいつの間にか不満や批判を言うことが普通になってしまっている。漠然とした恐怖に対して、それに対抗しうるのは自信を持った行動と、自分たちの誇りであり、細心の注意を払いながらも大胆に行動を資することが必要であり小心者となってはいけない。その時の行動を後押しするものこそ、日本人の誇りではないかと思うのである。
現在オンラインサロン「陰謀渦巻く世界の中であなたが生き残る方法」で、「日本人とは何か」という特集を組んでいるのであるが、その中で「日本人のリーダー像は、強引に何かを指導するのではなく、いるかいないかわからないような状況で何かいざとなった時に出てきてその場を収攬する」というようなリーダーが求められているということをやっている。まさに「困った時の神頼み」であり、困ったとき以外はあまり出てきてほしくないというのが「神」なのである。
さて、今日の「日本万歳!」はもう一つ「出てきてほしくない者」を考えてみたい。出てきてほしくないがそれでも身近なものとして考えている。そのことが日本人の特性を見ることができるのではないか。
日本の幽霊の寿命は400年!?証拠に「関ヶ原近辺で目撃される落ち武者の霊が激減」…衝撃のツイートが話題
歴史的な戦場として知られる関ヶ原…目撃される落ち武者の霊が減っているといいますが 幽霊に寿命があるなんて、みなさん考えたことはありますか? 実は「日本の幽霊の寿命は400年と考えられる」ことを紹介するツイートが、最近話題になっています。
岐阜県の関ヶ原近辺では、「関ヶ原の戦い」で命を落とした落ち武者の霊が多く目撃されていたそうですが、20年ほど前から姿が激減しているのだそう。関ヶ原の戦いが起きたのは西暦1600年といい、激減した時期との差はまさに400年…。リプライ欄には「道理で原始人の幽霊が見えないわけだ」「エネルギーにも寿命はあるもんな」と、見えたり感じたりしている人たちの「実感」が続々と寄せられています。
投稿したのは、大阪在住のライター・井之上みこと(@1stp_inowe)さんです。小説などにも取り組まれていて、現在はチャットノベルアプリ「TELLER」で、オカルト系ライトノベル「カタヅケ屋霊異記」を無料公開されています。
そんなオカルトに詳しい井之上さんのツイート。7月26日に投稿されると、8月1日までに11万件を超す「いいね」がついています。あらためて全文紹介するとこんな感じです。
◇ ◇
日本の幽霊の寿命は約400年と考えられています
理由は20年ほど前から、関ヶ原近辺で多く目撃された落武者の霊が激減したこと
20年前から400年遡ると、1600年
関ヶ原の戦いがあった年です
現在目撃される霊も、服装や髪型が江戸時代の特徴を持つ霊や、開国後の戦争による戦死者が多いですよねー
◇ ◇
衝撃の投稿について、井之上さんに聞きました。
――幽霊に寿命があることはどこで知られたのですか。
2016年夏のことですが、「長浜ものがたり大賞」という、地方小説賞に投稿させていただいた際に、市役所の方とネタになりそうな場所を回るロケハンツアーが組まれていたんです。
その時に、当時担当の方が「ここ数年落ち武者の霊がいなくなったって、地元のおばあちゃんたちが言うんですよ」「一気にいなくなってるから、400年くらいが寿命なのかなぁって」と教えてくれました。「こういう話も作品のネタに使えますか?」って感じで…。
あと2017年に関ヶ原に観光に行った際にも、同じような話を観光案内の方にお聞きしました。ほかのオカルト好き仲間も当たり前のように「霊の寿命は400年」と認識しているので、各自いろんな場所で仕入れてくるんでしょうね。
――なるほど…。井之上さんご自身は変化を実感されたりしていましたか?
私はごくごく一般人です!なんとなくイヤな場所を感じることはありますが、見たりっていうのはなかなか…。霊や怪異とのコミュニケーションなんて夢のまた夢ですね!
京都・西陣の出身で、戦国とはあまり縁のない場所ということもあり、日常の中で変化を感じるということもないです。(400年説を当てはめれば、出身地では)明治のころまで応仁の乱の霊が見られたかもしれない…と思うと、ちょっとワクワクしたりしますけど。
――小説などを書かれている立場から、幽霊に寿命があるのはなぜだと思われますか? 400年という期間も微妙で、気になりますよね…。
なぜなんでしょうね!未練の元がなくなったのか、それだけの期間で魂の残滓がすり減ってしまうのか。真相は結局、我々が死んでからしか分かりそうにもないです。ただ、いろいろと想像することはできますので、そこがオカルトの楽しい部分だと思っています!
でも個人的には、未練を残して400年現世に留まるより、早く成仏できるような生き方をしたいとは思いますね。
――今回のような話題を投稿されたのはなぜですか。
投稿した7月26日が「幽霊の日」だったんです。幽霊に関係する雑学をいくつかツイートしたんですが、まさかあんなにバズるとは…。梅雨明けが遅く、ジメジメと暑い日が続く中だったので、みなさんいろいろと関心を持たれたのかなと思います。
――リプライ欄を見ていると、「ギネスブックに2000年前のローマ帝国の兵士の幽霊が載っている」「鎌倉時代後期の落武者には1度だけ出会った」などなど、より長寿な幽霊のことを紹介してくれる人もいましたね。
私もとても興味を惹かれました!国外の件にはあまり明るくないので、詳しいことは分かりませんが、国内では平安貴族の霊を見たという方もおられるそうで…。
――それらの霊はなぜ長く存在できるのでしょうね…。
例えばなにかしら重大な任務を受けて、それを強固に守っている霊だったり、亡くなった後でも「この場を守らなければならない」と強い責任を負っている霊だったり…。未練と言うより、より強く現世に固執する理由があるような霊かもしれませんね。
――そういうお話を聞くと、幽霊ってなにかのエネルギーみたいな感じがしてきます。
あと、平将門公や崇徳院陛下、菅原道真公のいわゆる日本三大怨霊などは、畏怖が信仰に変じて神格を得ていらっしゃいますので、信仰と畏怖がある限り権能と祟りをもって留まっておられると思います。
早良親王殿下や蘇我入鹿様も、同じ理由で留まってらっしゃるのではないかと…。祟りがなくても、当然、故人に失礼なことをすべきではないですけど!
――縄文時代の遺跡を掘っている人から、もし当時の幽霊に会えたら「(どんなふうに暮らしているのかなど)聞きたいことがいっぱいある」とのコメントがありましたね。井之上さんが会ってみたい幽霊はいますか?。
お会いできるなら、小野篁様に是非お目通りしたいです!小野妹子様の子孫で、生きたまま毎晩冥府に通って閻魔大王様の補佐を務めたとの伝説のある方です。実は私、閻魔大王が大好きなので、そのあたりの話をたくさん伺いたいです!
(まいどなニュース・川上 隆宏)
2020年8月1日 15時30分 まいどなニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/18667100/
記事が長かったが、なかなか面白い記事であると思う。まあ、実際に、日本という国は400年ごとに何か大きなことが出てきている。
関ケ原の合戦を起点に(上記がその記事なので)400年後は2000年、まさに現在であり、3・11などの地震が頻発し、水害なども出てきている。400年前は1200年、ちょうど鎌倉時代になり貴族の世の中から武士が行うようになった。その400年前は800年、長岡京の怨霊事件が発生し、平安京に移した時、つまり、天皇中心の体制から公家体制に変わったところである。その前西暦400年といえば、伝説期になり物部氏が物部神道を起こしながら蘇我氏に駆逐されたころである。
このように考えると、「災害」「戦争」というのではなく、日本という国は400年ごとに何か大きな「民俗的な節目」が出てきている。あえて「民『俗』的」と書いていることにお気づきと思うが、実際に様々な「民間の価値観の変化」が起きているのである。当然に価値観が変化すれば、それまでの伝説などの解釈も変わるということになる。実際に現代、江戸時代のような価値観ではないし、当然に怨霊などを真剣に信じる人の割合は平安時代のそれとは大きく異なる。医学や科学の世代多は全く異なるということになるのである。
このように価値観の変化が「日本の霊性の変化」ということになり、当然にそれらの変化そのものが「幽霊の寿命」ということになるのではないか。まさにそのような感覚が必要であり、歴史的に見ての解釈が必要であるということになる。逆にそのように関上げると「一つの王朝が継続していながらその王朝の中で徐々に日本人の感性や霊性が変わってきている」ということが実感できるのではないかという気がする。
つまり「幽霊の寿命」などということを言うのは、一方で、「それだけ長い日本の歴史」ということを考えることと同時に、その歴史がすべて日本の朝廷の下で行われたものであり、同一王朝であるから強制的に全く異なる価値観を押し付けられることなく日本は日本独自の価値観を持ち文化的発展を持ってきたということになる。
要するに、日本は「ナンバーワン」ではなく、世界において「オンリーワン」の存在であり、そのことが幽霊などと言うことにも表れているということになる。
また、幽霊というのは、世界定期には、「忌み嫌われる」存在である。キリスト教では「ゴースト」というような感覚は「悪魔」というように、マイナスのイメージでとらえられる。しかし、日本の場合は「怨霊」が「神」に変化することも少なくない。菅原道真などが現在も天満宮として受験期にはかなりの人がゆくことになる。そのように日本は「幽霊」をマイナスのイメージでとらえているのではなく、自分たちの仲間としてとらえている。ある意味で「いたずらっ子」のような感覚である。そのために、彼らを受け入れるというようなこともしっかりとできるのであり、受け入れているから寿命がわかるということになるのである。
日本のすばらしさは「幽霊を受け入れる」そしてその文化性や国民性が一つの王朝の下でずっと継続し歴史を刻んでいるということであり、その文化の中で育った我々は、知らず知らずのうちに受け入れる力をしっかりと持っているということになるのではないか。
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