「宇田川源流 日本万歳!」 戦後75年間毎年続く慰霊の日に「私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え」ることを国民に訴える天皇陛下
「宇田川源流 日本万歳!」 戦後75年間毎年続く慰霊の日に「私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え」ることを国民に訴える天皇陛下
毎週月曜日は「日本万歳!」である。日本人のすばらしさや日本人の新しい感覚などを入れて、その中で日本人のすばらしさを体験できること、我々が再確認できることを改めてここに文章として書き、そして皆さんに共有していただいて、日本人としての誇りを持っていただきたいと思っているのである。
特に今週は、先週がお盆休みであり、休みを取られていた方が多いと思う。しかし、今年はコロナウイルス禍によって、普段の夏のように、何か新しいことを行ったり、あるいは何か特別な体験を求めるようなことはなく、どちらかといえば、コロナウイルスの緊急事態宣言の時のように、何もせずにいたのがほとんどではないかという気がするのである。
実際にネットなどを見ていると「家の中にずっと言えるのは、緊急事態宣言で外出自粛を求められているときと同じで面白くない」などという人もいるし、また、「熱いからクーラーの電気代ばかりがかさんで休みであることがあまりうれしくない」などという言葉を散見する。
しかしそれはどうであろうか。実際にそもそも「お盆休み」とは、先祖が家に戻ってきて、一緒に過ごす数日間であり、単に気温が高いから休むとか、あるいは、どこかに長期旅行に行くというようなものではなく、一族とか、先祖とか、歴史とか、自分がなぜ存在するかということなどを再確認するべき時ではないかと思う。
夏の暑さの中で、現代社会では長期休み、要するにサマーバケーションというような感覚が強くなってきている人がいるが、このようなコロナウイルス禍の時こそ、改めて先祖とか、家族とかということをよく考えなおしてみればよいのではないか。
いずれにせよ、暑い夏の中、また本日から仕事であると思うと、コロナウイルスとか、休みが休んだ気にならないとか、様々な感慨があり、その中でやる気がなくなってしまっているのである。
しかし、では、今から75年前の今日はどうであっただろうか。昭和20年8月17日、それまで買ってると信じて「欲しがりません勝つまでは」の標語の下で爆弾や機銃掃射の雨の中でも生き抜いてきた人々が、二日前に玉音放送を聞いて、暑い夏の中どのように考えていたであろうか。
新型コロナに「私たち皆が手を共に携えて」 天皇陛下が「おことば」で言及
75回目の終戦の日にあたる2020年8月15日に東京・北の丸公園の日本武道館で行われた政府主催の全国戦没者追悼式で、天皇陛下が新型コロナウイルスの感染拡大に言及した。天皇陛下は、専門家から新型コロナについて説明を受ける際に所感を述べ、その内容を宮内庁が発表したことはあったが、公の場での発言は初めて。
「おことば」の内容は基本的には毎年同じ内容で、例年は3つの段落から構成されている。それが20年は4つの段落で構成。3番目の段落を新型コロナの問題にあて、「私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え」ることなどを呼びかけた。特定の問題をめぐって、「おことば」の内容が大幅に変化するのはきわめて異例だ。
参列した遺族は去年の1割未満
19年4月に退位した上皇さまは1989年以来、天皇として「おことば」を述べてきた。戦後70年の2015年から「深い反省とともに」という表現が、最後の臨席となった18年には「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」の一節が加わった。天皇陛下が初めて隣席した19年の「おことば」では、この2つの表現を含む内容の大半を踏襲。上皇さまの平和への願いを受け継いだ。それが20年にはさらに大きく変化した。文字数も19年の290文字から20年は392文字と、35%ほど増えた。
新型コロナウイルスの影響で、式典も大きく変化した。19年は全47都道府県から遺族が参列したが、20年は20府県が参列を見送った。座席の間隔は大きく開けられ、遺族の参列者数も、19年の4989人から20年は300人未満と1割未満に減少した。参列者はマスク着用が求められ、武道館へ入る際には検温も行われた。国歌斉唱は行われず、演奏だけになった。
式典には天皇皇后両陛下、安倍晋三首相、93歳から12歳までの遺族らが参列し、日中戦争と第2次世界大戦で犠牲になった約310万人を追悼した。
天皇陛下「おことば」全文
天皇陛下の「おことば」全文は次のとおり。
「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来75年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」
(J-CASTニュース編集部 工藤博司)
2020年08月15日 12時15分 J-CASTニュース
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12144-760986/
私の父の話で恐縮であるが、昭和20年8月15日、父の話によると「信じられなかった」ということを言っていた。何でもよく話してくれる父であったが、それでもその日の話はほとんど話さなかったことが記憶にある。意外と切り替えが早く、すぐに闇市などの用心棒を買って出るなど活動的にしていたと、叔父に聞いたことがあるが、しかし、それでもその切り替えができるまではなかなか大変であったのではないか。ちなみに父は昭和2年生まれですでに鬼籍に入っている。
想像するに、ちょうど哲学者ニーチェが「神が死んだ」というのと同じように、日本はその日に「自分の信じるものを失った」ということである。実際に、家族が戦争や戦禍の犠牲になってしまったり家財を焼失するというのもかなり厳しいことであると思うし、筆舌に尽くしがたいものであるが、しかし、自分の信じていたものがすべて崩壊し、何もやることのなくなった虚無感というのは、それらの悲しみと同等かそれを上回るものではないかと思う。同時に、いままで敵と思っていたアメリカ兵がやってくるということに関して、どのような思いで見ていたのであろうか。
その日から先週の土曜日で75年たつ。
ところで、世界で「敗戦した」国はたくさんある。しかし、「敗戦したことを教訓にして今後も戦争を繰り返さないという式典を行う国」はどれくらいあるのであろうか。例えば、日清戦争・日露戦争・などがあるが、中国はその日を「国恥記念日」として「復讐する日」つまり「戦争を再度行う記念日」というようにしているのであり、敗戦の日の意味合いが全く異なる。
実際に日本もそのようにすべきであるということも考えなければならないしまた、「戦争をしない」ことはできていても「戦争を起こさせない」ということはどうやって行うのかということが全く語られていないことに大きな問題があるのではないか。
「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、新たな苦難に直面していますが、私たち皆が手を共に携えて、この困難な状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。」<上記より抜粋>
天皇陛下にとっては二回目の慰霊の日であり、同時に、今回はコロナウイルス禍の中での特別な、つまり、参加者などを制限した内容であったということになる。その中で、そのコロナウイルスの話を入れ、「困難な状況を乗り越え、幸せと平和を希求し続ける」ということを言うのである。
やはり日本の天皇は素晴らしい。「打ち勝つ」のではなく「乗り越える」という表現の内容がすべてを物語っているのではないか。これが日本国であると改めて思うものである。我々も、このような心で物事に対処しなければならないのではないか。そのように考えるのである。コロナウイルス禍の中で、どうしてもストレスがたまり、様々な問題を作りがちであるが、しかし、そのようなことを考えないように、乗り越えることを考えるべきであるという言葉の通り、日本国民は改めて結束しなければならないのではないかと思う。
やはり日本人でよかったと思うものである。
0コメント