「日曜小説」 マンホールの中で 3 第三章 3
「日曜小説」 マンホールの中で 3
第三章 3
「爺さん。小林さんのところの宝石が出てきたよ。しかし……」
「何を言うんだ。自分で売っておきながら」
深夜の善之助の家には、この日も次郎吉が来ていた。最近連日という感じになっている。一週間ごとに来ていたはずであったが、今はそれどころではなかったのだ。
小林さんのところの宝石というのは、以前相談をうけた小林という不動産屋さんのお婆さんの家の、以前から伝わる宝石のことである。相談の報酬として、ダミーの物を置きながら、次郎吉が拝借してしまったのである。次郎吉ほどの腕ならば再度盗み返せばよいが、まさに泥棒やあまり日の目を見ない人々の世界である「鼠の国」といわれる人々の集団の掟があり、その掟の中で、鼠の国の中では仕事をしてはいけないというようになっているのである。
さて、次郎吉はその宝石を「鼠の国の泥棒マーケット」に出品してしまった。一度出品してしまった以上、そのものを泥棒マーケットから盗み出してはいけないということになっている。ある意味当然な掟である。実際に「鼠の国」には、普通の世界で言う風俗業ややくざ、殺し屋、詐欺師、泥棒など様々な人間たちがいる。一時の気の迷いでそのようなことをしたものではなく、しっかりと稼業としてその仕事をついている、いわば「その道のプロ」ばかりである。その中で、お互いが仕事をかけているようでは話にならない。殺し屋のプロもいれば泥棒のプロもいる。お互いがお互いを殺し合ったり盗んでいては意味がないのであるから、当然に、その中にはルールができる。つまり、「鼠の国の中では仕事をしてはいけない」というものである。ある意味でセーフティーゾーンのような場所であり、また、ある意味では情報交換をすることができる場所である。そして鼠の国の外に出れば、そこは、お互いに殺し合っても、鼠の国の中ではそのようなことはしないというようになっているのである。
では掟を破ればどのようになるのか。
当然に「鼠の国」のメンバー全員から報復されることになる。日本中とは言わないまでも、鼠の国に入っているメンバーすべての泥棒と殺し屋から狙われ、また組織から追われる。基本的には、警察に逃げ込むか、あるいは外国に行って他のマフィアなどの組織に入るか、あるいは一人ですべてを敵に回して対抗するか、いずれかしかない。もちろん、鼠の国を抜けることは問題はないし、鼠の国の外でお互いが殺し合っても何の咎めもない。鼠の国といわれる、共有のスペースや指定されたホテルなどの施設の中だけの話である。ある意味、その中は治外法権になって言えるというような感じである。
「なるほど、それでこれまで時間がかかったわけか」
「ああ、そうなんだ。さすがに俺も掟を破ることはできないからな」
次郎吉は、ひとしきり説明すると、そのような話をした。なお、ホテルの名前などは全くいわなったが、マンホールの中に「鼠の国」といわれる交友できる場所があるらしい。さすがに、警察やほかの組織もマンホールの中からそのような地下組織があるとは誰も思っていない。
「どんなところだ」
「なに、時代劇で出てくる吉原がそのまま地下に入ってしまったような感じだよ。」
「吉原、あんな大きな建物がたくさん並んでいるということか」
「ああ、たぶん街ひとつ入っている規模だと思うよ。遊ぶ目的の女もいるし、情報交換をするためのサロンもある。中で商売をやっている人間もいれば、町中の監視カメラにハッキングしてみている奴もいる。ドローンを飛ばして毎日偵察しているものもいれば、警察や市役所、国の政府や外国の大使館に出入りして情報をとってきて売っている奴、様々いるよ」
「中で情報や宝石などの盗品の売買はありなのか」
「ああ、もちろん。そこの元締めというか何人かの親分がいて、その親分の許可がある者が商売できる。まあ、許可制だな。その許可を持っている人間は商売ができるということになっているんだ。もちろん男や女を買う場合もあれば、何か組んで仕事をするときに、その人の斡旋なんかもある。それもすべて許可した人間がやる。許可されたものは、その許可された範囲で仕事をするという感じになっているんだ」
「そこで偽物を売ったり、嘘の情報を流せばどうなる」
善之助は興味津々である。いや、たぶん善之助だけではなくても、この鼠の国を知らない人は、みな情報を欲しがっているに違いない。誰でもがこの話を聞きたいと思っているのに違いないのである。
「まあ、偽物は偽物として売っているから問題はないし、情報も確実かどうかはランク付けされている。だからウソの情報も嘘であるという前提で取引されることになっているんだ。もちろん、本物と思って嘘を言ってしまう場合もある。大使館の元が嘘を言うこともあるからね。でもそれは問題がない。つまり○○の大使館の人がこういった、ということが事実ならばそれでよいということになっているんだ。逆に、それが嘘だった場合は商売する許可が取り上げられることになる。まあ、あそこで商売できなくなった人間は、どこでも商売できないから困るよね」
「でも、情報屋なんてそんなにいないだろう」
「いや、やりたい奴はたくさんいるよ。それに宝石屋も情報屋も複数いるから、一人くらいいなくなっても関係はないんだ」
町というよりは、一つの国になっているような感じである。
「一度行ってみたいな」
「元締めから招待状がなければ入れないよ。まあ、鼠の国の住人は別だけどね。その話の一部を聞き齧って、外で自慢している人とか、その中の情報を見て陰謀論とかネットで書いている奴が少なくないけど、本物の人は基本的には何も言わない。まあ、本物程静かで、バカなことを言っている人間をあざ笑っている感じだよね」
「そうなのか」
「まあ、爺さんはネットなんか見ないから、知らないとは思うけど、バカな人間は少なくないよ」
次郎吉は、何となくそういった。たぶん、ここでこのようなことを言っていることも本来ならば禁止されている行為なのであろう。鼠の国というようなある意味秘密結社というか、それなりの場所があり、組織がありそれだけの人材が集まるというのはすごいものなのだ。それは、たぶん日本の警察などが知っているよりもはるかに大規模で、大きな組織、いや秘密結社なのであろう。
「で、本題戻そう。そこで宝石を買っていったということは、当然に、鼠の国の人間か、そこに招待された人しか買うことができない、つまり、小林さんとか川上さんのような一般の人が買っていったというものではないということだな」
「ああ、そうだ。それも最も厄介な人間が買っていったから、困っているんだ」
「困る、次郎吉が困るというのはどういうことだ」
「買っていった相手だよ」
「だれだ」
次郎吉は一度そこで大きく息を吸った。そして吐く息とともに思いつめたように言ったのである。
「郷田の親分」
「えっ」
郷田、まさか郷田連合の。善之助は驚いた。
「そうだ。郷田連合の親分、郷田雅和が買っていったんだ」
「郷田連合は鼠の国の住人だったのか」
「ああ、暴力団組織の親分だから、入っていてもおかしくはない。下の方の構成員やチンピラ、暴走族などは入っていないかもしれないが、郷田は歴史のある任侠組織だから入っているとは思わなかったよ」
「ということは、まず次郎吉は郷田がメンバーと知らずに宝石屋に盗みに入ったのか」
「まあ、当時は知らなかったし、また、もし今郷田の事務所に盗みに入ったとしても、それは、鼠の国の外の話だから、掟に反するものではない。だから別に入るのは構わないのであるが、しかし」
「しかしなんだ」
「郷田が、ヨン、つまり、四個セットの四色の宝石だけを買っていったらしい。つまり、小林さんのコレクションを全部買ったわけではないんだ。」
「ということは」
「郷田雅和という親分は、東山資金のことを知っているということなんだ」
二人はため息をつくしかなかった。
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