「日曜小説」 マンホールの中で 3 第二章 1

「日曜小説」 マンホールの中で 3

第二章 1

 あれから一週間たっても次郎吉は来なかった。このような事件の時は必ず一週間おきに善之助の家に来るのであったが、なぜか来なかったのである。

「あいつ、まさか郷田連合の事務所に入ったんじゃないだろうな」

 善之助はそのように心配したのであるが、しかし目の見えない老人にとって暴力団の事務所に単身で乗り込むことなどはとてもできるようなものではない。ましてや、誰かほかの人を誘えるものでもない。そもそも泥棒に猫の置物の行方を探ってもらっているなどということは、口が裂けても一般の人に話せるようなものではないのである。

 そしてそのことは、一般人と同じように警察に言うこともできない。もちろん助けてくれといって郷田連合の事務所に警察を差し向けることはできる。しかし、その場合は次郎吉も窃盗罪または住居不法侵入の罪で逮捕されることを意味する。それは、今までどれくらいの余罪があるかはわからないが、少なくとも、善之助が次郎吉を「売った」形になってしまうのだ。そのようなことはできないのである。

 ではどうしたらよいのか。

 こういうときに、善之助は全く自分が無力であるということを感じる。本当に自分は無力である。目が見えないということを自分は自分なりのポジティブに考えていた。目が見えないからこそ見える世界があることも間違いはない。しかし、そのような話ではないのだ。何か行動するときはやはり目が見えて、耳が聞こえ、そして五体満足である必要がある。実際に、あの事件、そう善之助がマンホールに落ちたときから、善之助自身足の具合がおかしくなってしまっており、普通に歩くことはできても、走ることはできない。目が見えていない、前も確認できない、そのうえ、足も悪くて歩くことができないなどというのは、これは何の役にも立たないということではないのか。

 毎日毎日、自問自答する日々が続いた。

「警察に言ったが、郷田連合の周辺も何もおかしなことはなかったそうだ」

 独り言でつぶやいた。他に話を聞いてくれる人はいない。いつもひとりであったが、しかし、次郎吉がくるようになってからは、一人なのに何か楽しい日々であった。しかし、その次郎吉が来なくなることはなんとなくより一層孤独の闇が自分に襲い掛かってくるようであった。

「次郎吉はどこに行ったのだ」

「ここだよ」

 突然、前から声がした。

「次郎吉か」

「ああ、久しぶり、2週間くらいたったかな」

「いや、まさか郷田連合のところにでも行って捕まったかと思った。」

「そうか、心配かけたな。悪い」

 次郎吉はなんとなく不機嫌なのか、あまり言葉数が多くなかった。

「どこに行っていたのだ」

「ああ、東山資金を調べていた」

 ぶっきらぼうな答えだった。何かがあったに違いない。しかし、善之助は、次郎吉が自分から話すのを待った。

「何かがおかしいんだ。爺さん。俺と昇が東山資金を追いかけていた時は、五つの宝石といっていた。その宝石が、ジュエリー・エスにあったから昇はあそこに盗みに行ったんだ。そこまではこの前話したよな」

「ああ」

 何と答えていいのか。何か変な答えをしてしまえば、またいなくなってしまうのではないか。善之助はその恐怖の方が大きかった。それだけになんも言えなかった。

「それで、爺さんが言っていた猫の置物は三つだ。警察と、爺さんのところと東山の家。三つにひとつづつ宝石が入っていたと考えて、ついでにそれ以外の一つが郷田連合の事務所のあったとしても、それでももう一つがないんだよ」

「確かにそうだ」

「それで、そもそも宝石が五つ必要なのか、それともそうではないのか調べてきた」

「調べるってどこで」

「そんなもの、決まってるだろう。東山の家の地下室だよ」

 そういえば、昇と次郎吉が二人でいたとき、東山の家の地下室に忍び込んだということを言っていた。その地下室などというものがまだあったのか。

「地下室があったのか」

「ああ、それが、地下室どころではなかったんだ」

 次郎吉の声は明らかに疲れていた。そういえば何か生臭い。

「大丈夫か」

「目が見えないからわからないかもしれないが、地下室があんなになっているとは思わなかった。正信が犠牲になった洪水で、地下室もほとんどが水没したらしい。そのまま東山の家の人は地下室を掃除していなかったらしく、すごい状態だった。紙や木材は一部腐ったりカビが生えていたりしていたよ。まあ、東山の家の人に教えてあげることはしないけどな」

 泥棒が入って、地下の部屋を掃除した方がいいですよとはなかなか教えないだろう。そこに何かがあったということもあるし、またそこに他人である泥棒が入ったということにもなる。そもそも今の東山の家の人は、地下室があることを知っているのであろうか。善之助はかなり疑問であった。もしかしたら、今の住人たちが全く知らない地下室があって、その地下室を次郎吉が出入りしているのかもしれないのである。

「そこで、問題はそれではないんだ。洪水で木でできていた家具がすべて倒れていたんだ。まあ、木の方が軽いから洪水になれば浮くからな。そのために、その地下室の中では物が移動していて、昇と一緒に入った時にはなかった扉が出てきたんだ」

「地下室の扉」

「ああ、要するに今の東山の家人が知らないかもしれない地下室があり、その地下室はかなりきれいに整頓されていたんだが、洪水で家具が動いてしまい、その家具の後ろから秘密の扉が出てきたということなんだ。その扉の中には、迷路のような洞窟があって、そこで迷っていたよ」

「迷路のような」

「ああ、もしかしたら、昔生きていた東山という将軍は、自宅の近に要塞を作って、そこを基地にしてアメリカ軍を迎え撃つつもりであったのかもしれない。爺さんには見えないかもしれないが、こんなものが出てきたよ。」

 そういうと次郎吉は机の上に何か硬い素材の物をおいた。何か金属音である。

「なんだ」

「銃弾」

「銃弾だと」

「ああ、それも軽く戦争ができそうな感じの量だった。もちろんここには一つ二つしか持ってきていないがね。ついでに言えば、これも洪水で被害に遭ったらしく、全て水にぬれていたよ」

 なんとなく次郎吉は笑った。

「地下要塞か」

「ああ、かなり大きいな。それで当然にその中に軍資金があるのではないかと思って、しばらくその地下の迷宮を彷徨っていたんだが」

「その間水とか食料はどうした」

「迷宮の中に保存されていた。あれならば数百人が一カ月くらいは籠れるのではないかな」

 なるほどと思った。まさに戦争の地下要塞なのである。堡塁とか基地と呼ばれるところであろう。

「そしていろいろなところに出口があるらしくてな。八幡神社の倉庫の裏から帰ってきた」

「ええ、それは」

「ああ、広いだろ」

「他にもあるのか」

「出入口のことか、まだ全部は見ていない。でも中に資金はなかったみたい。その代わり司令部らしいところがあった。もう一度そこに行こうと思ったが、こんなの知っていたかどうか、ちょっと爺さんに確認しようと思って一度戻ってきたんだ。次は八幡神社から入れるしな」

 なるほどと善之助は思った。他の入り口があるならば、何も急いでそこを調べる必要はないのである。

「では、私はその地下迷宮について調べてみよう」

「ああ、軍の古い資料とかが必要だから誰かに見てもらってくれるか。俺はもう一度司令部に言ってみてくるよ」

「なんだか楽しくなってきたな」

 善之助は、先ほどまで孤独に押しつぶされそうだったのがウソのように喜んだ。

宇田川源流

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