「宇田川源流 日本万歳!」 富山出身111年ぶりの大関昇進朝乃山
「宇田川源流 日本万歳!」 富山出身111年ぶりの大関昇進朝乃山
月曜日は日本万歳。いつもならば、週末の楽しいひと時が終わり、月曜から働かなければならずブルーになり……と始めるところであるが、まあ今週の場合は少し違うようである。先週末、つまり一昨日と昨日は、東京では「外出自粛要請」ということである。まあ法律的に禁止されたわけでもなく、また食料品や薬品の買い物などでの外出は基本的に問題はないということになっていて、買い占めなどはしなように、小池知事が話をしていた。そのことから考えれば、基本的には、「要請」といいつつも実質的には「心理的なもの」でしかないものの、それでも、やはりあまり明るい週末ではなかった。
そのうえ、昨日の日曜日は、東京では雪が降った。今週四月になるというのに東京都内で雪が積もるというのは、もちろん過去に四月になって雪が降ったことがないというわけではないが、しかし、なかなかない感じである。ある意味で、「外出自粛」と「雪による外出する気が失せる」という感じが相まって、天から外出をするなといわれているような状況ではないか。
まあ、いずれにせよ「それほど楽しい週末」ではなかったのかもしれないと思う。しかし、そのことによってあまり多くの人が街に出なかったのではないかと予想される。映像やどうしても出なければならない人からの話によれば、どうも普段の3分の1程度の人でしかなかったということのようであり、若者の元気な人しかいなかったというようである。
さて、このような状況においてならば、なおさら「日本は素晴らしい」と思っていた方が日本人としての誇りを感じられるのではないかといい気がするのである。もちろん、何かを我慢するときというのはストレスがたまる。しかし、今回の内容は「自分が感染源になr名愛事」ということから、気が付かないうちに自分のエゴを無くし、そして多くの人のために我慢をするということを求められている。ある意味で、個人の権利を自分で少なくして、集団のために自粛するということになる。最近の日本人の中には少ない感情になってしまっているかもしれないが、そのような感情がまだ残っており、多くの人が外出を自粛したことに関しては、まずそのことだけでも日本人のすばらしさが残っているという感じがするのである。
朝乃山の大関昇進が正式決定
日本相撲協会は25日、夏場所(5月10日初日)の番付編成会議と臨時理事会を開き、関脇朝乃山関(26)(本名・石橋広暉(ひろき)、富山市出身、高砂部屋)の大関昇進を満場一致で決めた。富山県出身では1909年に昇進した元横綱の太刀山以来、111年ぶりの大関昇進。協会の使者が大阪市内の高砂部屋宿舎を訪れて昇進を伝えると、朝乃山関は「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と口上を述べた。
富山商高から近畿大を経て、2016年春場所、三段目付け出しで初土俵。1メートル88、177キロの恵まれた体格を生かし、平幕だった昨年夏場所で初優勝、同年九州場所からは三役で3場所連続2桁勝利を挙げ、大関の座をつかんだ。
2020年03月25日 09時11分 読売新聞
https://news.nifty.com/article/sports/sumo/12213-607453/
さて、「○○年ぶりに」ということで、じょうきに3月末での雪ということを書いたが、同じように「○○年ぶり」ということで言えば、最近では「大関朝乃山の昇進」であろう。まあ、かなり強引な話の持って行き方ではあるが、まあ、このブログなどはそんなものであろう。
さて、少し情報を。朝乃山英樹。1994年(平成6年)3月1日生まれは、富山県富山市呉羽町出身で、高砂部屋所属の現役大相撲力士。本名は石橋広暉だそうだ。富山県立富山商業高等学校相撲部監督の浦山英樹に「富商に来い。俺が強くしてやる」と声をかけられて同高校に進学したというエピソードがあり、この浦山監督を師と仰いでいる。高校時代からプロ入りを意識しつつ近畿大学経営学部経営学科に進学すると団体戦でも活躍した。大学1年生の3月には高砂部屋が春場所の前に行う恒例行事である近大との合同稽古で当時幕下であった朝弁慶と稽古を行い、この時を石橋は「あれだけ重い人が思い切りぶつかってくるなんて、それまで経験したことありませんでした。まさしく戦車です。受け止められなくて吹っ飛ばされましたよ」と入幕後に述懐している。全日本選手権をもって大学生としての全ての試合が終了した後は、大学2年次に受けた近畿大学OBの若松親方(元幕内・朝乃若)の勧誘が決め手となり、12月24日に高砂部屋への入門を発表した。入門に当たり、1年後の春には関取になって富山に帰りたいと抱負を語った。若松に勧誘された経緯について石橋は「最初は、若松親方が玉木を誘っているのを横で、直立不動で聞いているだけだったんですけど、気が付いたら自分も誘われていたっていう感じです」と話している。本来は勧誘を受けてもなお入門するつもりは無く、卒業後は富山に帰郷するつもりであったが、恩師の浦山から「お前には富山に就職先はない。高砂部屋に入れ」と言われており、石橋は後に「若松親方と浦山監督とで話を進めていたようです。監督にしてみれば、教え子が関取になっていないので寂しかったんじゃないかなと思います」と分析している。
2019年5月場所に初優勝。富山県からは大正5年夏場所の横綱・太刀山以来103年ぶり、三役経験のない力士の優勝は昭和36年夏場所の佐田の山以来58年ぶりとなる快挙を挙げた。さらにこれが「令和」初の幕内最高優勝となり、来日していたドナルド・トランプ大統領から「アメリカ合衆国大統領杯」を授与され、初代受賞者になった。ちょうどトランプ大統領が相撲を観戦し、特別賞を出したことは記憶に新しい。この時に日本人の力士が優勝でよかったとなんとなく思っていて、その時のブログも書いたと思う。
大関昇進伝達式では口上として「大関の名に恥じぬよう、相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」と述べた。
浦山は死去する直前に「横綱になれるのは一握りだが、その一握りになれる可能性がおまえにはある。富山のスーパースターになりなさい」と朝乃山に手紙を書いたと伝わる。恩師が朝乃山へ寄せた期待の程がうかがえるエピソードである。朝乃山の下の名前である「英樹」は本名ではない。本名は「広暉」であるが、四股名として登録する名前を「英樹」としているのは恩師である浦山英樹への敬意によるものである。
なんとなくこのような感じで見ているとなかなか地元愛とか、「故郷に錦を飾る」という日本人が好きなタイプの力士であることがわかる。この朝乃山に関しては、富山県でファンが多く、私の義理父などは、その兄弟や親族と朝乃山の勇将や大関昇進で電話をしていた。まあ、稀勢の里がなんとなく応援するがwかあらすれば不完全燃焼であったために早く横綱になることが望まれる。
日本人の大関、いいなあ。
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