「宇田川源流」 東日本大震災及び津波の災害から9年立った現在の復興に関する考え方
「宇田川源流」 東日本大震災及び津波の災害から9年立った現在の復興に関する考え方
あの日から9年たつ。もちろん、あの日とは、東日本大震災とそれに伴う津波の被害である。その被害に遭って2万人を超える人が犠牲になり、今でも数千人が行方不明のままになっているのである。
私はあの時、ちょうど菅直人首相が外国人から献金をもらっていたということを新聞の一面に書かれ、外国人献金に関して国会の予算委員会で追及されるところの取材の前で、元国会議員秘書の方の事務所でくつろいでいたときであったと思う。少し音がして、その後その音が揺れに変わった。1997年に、阪神大震災の直下型地震を経験している私にとって、この時の地震はそれほど大きなものには感じなかった。実際に、震度7の直下型と、当時の東京の震度5強とはかなりの違いがある。その違いをなんとなく感じていたものであり、そのためにほかの人が、机の下に隠れるなどしていたが、私は割れ物を床に置くなどの作業をしていたものである。
国会は休会、そして、その後与野党の申し入れによって一カ月間復旧と人命救助のために審議を停止することが申し入れられた。しかし、菅直人首相と枝野幸男官房長官は、官邸内に21もの委員会を作り、その一か月を全く無為に過ごしてしまい、救える命も救えなかったということが挙げられたのである。
まあ、この菅直人首相の態度そのものが、後に民主党が混乱する最大の原因であると言える。なおかつ、民主党を悪夢での政権であるというのは、まさに菅直人・枝野幸男コンビのなせる業であったと思われるのである。
さて、あれから9年。よく年末に民主党から自民党の政権が変わる。このことによって様々なことが前に進むようになったが、しかし、「初動」がうまくいかなかったものに関しては、最後まで様々なことに影響をするものである。実際に福島や東北三県の復興は、いまだに進んでいないというような感覚がある。
当時「津波のついたところは人を住めなくする」ということが民主党政権内で決められた。つまり、今まで住んでいたところに住むことができなくなった人が大半であり、新たな家や場合によっては新たな土地の造成が行われるまで、全く新たな家ができなくなってしまったのである。地縁血縁を完全に無視したこれらの政策は、いまだに大きな影響を残しているのである。
20年度までに復興は3割、福島は深刻「完了見通せず」/被災3県42首長アンケート
東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の計42市町村のうち、国の「復興・創生期間」が終わる2020年度末までに「復興が完了」と考える首長は約3割(13人)にとどまることが、河北新報社のアンケートで分かった。21年度以降も、多くの首長が復興関連の事業を継続する意向を示した。
結果はグラフの通り。県別では、岩手の2人が既に復興が「完了した」と回答。震災10年となる「20年度末まで」は岩手2人、宮城9人の計11人(26%)だった。「被災者の心のケアは長い時間を要する」と前置きしつつ、20年度末での復興完了を見込む首長もいた。
一方、東京電力福島第1原発事故の影響が色濃い福島(回答者15人)のうち、6人が25年度以降、4人が「見通せない」と答え、原発事故の深刻さが改めて浮き彫りとなった。
復興関連の道路など「20年度末までに完成しないハード整備(国、県の事業含む)がある」との回答は全体で19人(45%)、福島に限ると約9割の13人に上った。
復興・創生期間終了後の21年度以降、被災地で必要と考えられる取り組み(複数回答)について、半数以上の首長が「商工業振興や雇用創出」と「コミュニティーの再生」を挙げた。
21年度以降の復興の課題について、石巻市の亀山紘市長は「災害公営住宅で暮らす高齢世帯の生活安定に向けた支援」と指摘。宮古市の山本正徳市長は「漁業の水揚げ回復、水産加工の原魚不足や価格高騰」を挙げた。
福島県葛尾村の篠木弘村長は「地域の担い手、特に若者が少なく、コミュニティーの存続に致命的な状況をもたらしかねない」と危機感を示した。
政府は昨年12月、復興庁の設置期限を10年延長し、31年3月とする新たな復興の基本方針を決定した。地震・津波被災地は21年度から5年間で事業完了を目指し、原発事故の被災地は当面10年間で本格的な復興を進める。
(小沢邦嘉)
<調査の方法>
東日本大震災で津波被害を受けたり、東京電力福島第1原発事故に伴い避難区域が設定されたりした岩手12、宮城と福島各15の計42市町村の首長を対象に1、2月に実施。質問をメールで送り、全首長から回答を得た。
河北新報2020年03月08日11時26分
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kahoku/politics/kahoku-01_20200308_73016
阪神大震災であっても、また熊本地震、千葉県や広島県の豪雨災害、そして東北大震災にしても、我々が願うことは、間違いなく復興である。
残念ながらなくなってしまった方や壊れてしまったものを元通りにするということは不可能であるし、また、それらを失ってしまったことに関して、誰かに責任転嫁し、攻撃したい気持ちはあるものの、天災であればそのようなこともできず、そのような中で日々の生活を取り戻さなければならないということになる。その辛さはかなり大きなものである。
しかし、そのような中でも復興しなければならない。
元通りにならない場合の復興は「将来の希望」である。つまり、政治や地方自治体は、被災地の人々にどれくらいの希望を与えることができるかということが大きな問題である。しかし、上記にもあるように、菅直人・枝野幸男コンビによる初動のミスと、政治パフォーマンスに終始した内容は、あまりにも大きな深い傷をの残しすぎたのではないか。
その影響は現在もまだ残っている。
県別では、岩手の2人が既に復興が「完了した」と回答。震災10年となる「20年度末まで」は岩手2人、宮城9人の計11人(26%)だった。「被災者の心のケアは長い時間を要する」と前置きしつつ、20年度末での復興完了を見込む首長もいた。<上記より抜粋>
実際に心のケアそのものに時間がかかるのは当然であるとして、その心のケアをするための希望がないというのが大きな問題ではないのか。もちろん福島原発そのものが大きな影響があることは間違いがないが、しかし、いつまでも、元の場所が広大な更地が広がっているだけで、何も開発できていない現状は、そこに新たな命の声が聞こえないことから、様々なひずみがある。
まさに「人の心がわかっていない」政治を初動で行ってしまったことこそ、大きなものであり、そのことをまた何円かけても修正できないことも大きな政治の問題である。しかし、同時にその大きな政治の問題よりももっと大きなものが「若者離れ」であろう。
まさにと市一極集中の現在の問題が、そのまま復興問題に大ききかかわっているのではないか。
この復興の問題は「令和の新たな街づくり」の問題であり、そしてそこには若者の力が必要なのであるが、それがうまくゆかない。つまり「住んではいけない地区」があることが「自由を制限している」ということになるのである。自由を制限された土地に、発展はない。
その中でどのような復興をするのか。今年こそ復興を完了してもらいたい。
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