「日曜小説」 マンホールの中で 2 第三章 2

「日曜小説」 マンホールの中で 2

第三章 2

 久しぶりに、河口のマンホールに善之助が現れた。善之助が現れて、マンホールの横でステッキで独特のリズムを出すと、翌日マンホールの横のコンクリートの部屋に次郎吉が来るようになっている。

昔、何かの事務所か物置に使っていた部屋なのであろう。相変わらず、殺風景で何の装飾もない部屋なのであるが、目の見えない善之助にとっては、そのようなことは関係がない。ここで次郎吉と会って話せることの方が重要なのである。

「どうした、爺さん。何の用事だい」

「いや小林さんのことで」

「ほう、もう動いたか」

 次郎吉は何となく笑っていた。もちろん目の見えない善之助にはその表情を伺うことはできないが、それでも善之助が良い雰囲気であることは容易に察することができた。

「小林さんから今朝電話があって、相談したいことがあるというんだ。それで老人会の役員暇なものが集まって……」

「暇じゃない奴なんかいるのか」

「まあ、いないが……そんなところ突っ込まなくていいんだよ。そうじゃなくて、それで公民館の前の喫茶店で小林さんと会ったんだ」

「ほう、それで。まさか無くなっていた宝石が出てきたとか」

「そうなんだ。まあ、そういえば次郎吉が隠していたから、次郎吉さんが置いたんだろうけど、ありゃ驚いたね。まさかホストクラブにあるとは思わなかったよ」

 善之助は驚いた。次郎吉は、小林の嫁が、待ち切れずにホストクラブに行くタイミングを待っていたのだ。そして、その翌日に、隣町の駅前の交番に、ホストクラブの店員を装って、ホストクラブの忘れ物として届け出たのである。

「ちゃんと演技して持って行ったんだ。通常の忘れ物ならば、そのままお客さんが来た時に渡せばよいのであるが、中身をちょっと見たらあまりにも高級そうなものだったので怖くなって交番に届けたということにしておいた。そのうえ、届け出は、ホストクラブのお気に入りのホストの名前でね」

 そうなのだ、それもお気に入りのホストの名前をかたり、そして、次郎吉自身がホストクラブのホストになり切って交番に届けたのである。善之助の妄想は膨らんだ。次郎吉というのは、ホストと思えるほど、いい男なのであろうか。少なくとも、警察に行ってホストではないといわれるような顔ではないということは確かなようである。

「しかし、泥棒である君が警察に行くのは、勇気が必要だったんじゃないのか」

「爺さん、だいたい、どろぼうであるとして面が割れていれば、そりゃ行くのはかなり問題があるが、俺の場合は、面は割れていないし泥棒であるとばれてもいない。だいたい、わざわざ高価な落とし物を一つも盗まないで、持って行ってあげたんだから、警察が俺を泥棒と考える方がおかしい。泥棒ならばそれをもって換金に走るのが普通であろうが、俺はわざわざ届け出てあげたんだ」

「まあ、落とし物を届けに来た人を疑うってことはないなあ」

「そうだろ」

 善之助は納得した。だいたい心にやましいところのある人は、顔にそれが現れるものである。警察官であった善之助の経験から言えば、単純に、泥棒をやって居そうな人の顔には特徴がある。もちろん、麻薬や覚せい剤をやっている人は、顔だけではなく態度や足取りにその人の特徴が出てしまうものなのであり、また殺人鬼、特にサイコパスといわれる人々は、独特な目の光がある。泥棒は、基本的には目つきや挙動不審、そして呼び止められた時の行動で判断できるものである。

 つまり、次郎吉はそのような泥棒としての特徴はないということになるのであろう。一般人と全く同じ状況にあり、挙動不審も目つきの怪しさも、全くないというような感じなのに違いないのである。そのうえ堂々として落ち着いている。そのうえで、大量の宝石を「落とし物でございます」といって、届け出ているのであるから、疑わしいところは何もない。多少疑わしいところ、まあ、ホストであればチャラいところがあったとしても、それはホストであるからということで言い訳になってしまう。

「しかし、どうやって泥棒本来の目つきや怪しさを消したんだい」

 失礼と思いながらも、どうしても聞いてしまった。

だいたい、その泥棒としての身のこなしや目つきなどは、ある意味で職業的なものであって、意識して隠しているつもりでもなかなか隠せないものではないのか。もしも隠せないものであるならば、当然に泥棒としての本質ではない他のものがあるということになる。

一方、意識して隠せるのであれば、それは、意識を飛ばすことができ、二重人格者のように自分の人格を全く変えることのできる人ということになってしまう。

 いずれであったにしても、次郎吉は普通の泥棒ではない。

「そんなもの、だいたい自分が泥棒であると認識し、そのうえで、社会的に悪いことをしているということが、そのような目つきになる原因なんだ」

「そうだ」

「まあ、目つきが悪くなるとか、落ち着きがなくなるというのは、そもそも泥棒の中には二つの理由がある。一つ目は、爺さんが言うように、周囲から疑われているのではないかというようあ疑心暗鬼からくるものだよな。その疑心暗鬼は、基本的には自分が悪いことをしているということと、そのうえ、それが自分の欲や自分の利益のためにやっていて、社会のためになっていないということを自覚しているからなるし、また、捕まった場合の厳罰が、その人にとっては厳しい罰であるということを意味しているんだ。」

「確かにそうだ」

「つまり、俺のように、自分がやっていることは社会的には悪いことかも知れないし法的には問題があるかもしれない。しかし、それは社会的に必要なことであって、なおかつ、それが本来であれば社会的な正義であるということを意味していれば、当然にそのことに関して、恐れることはないし、また、それで罰せられたとしてもそれは自分のやったことの責任であるからある程度仕方がないし、そもそも、自分の技術が足りなくて社会に貢献できなかった、または、その行為が私利私欲によってなされたとみなされたということを意味しているのであって、厳罰という感覚はない。つまり、自分の行っている行為が社会的には正義であって、なおかつその正義が、自分の高い技術と無理のない範囲で行われていれば、当然に疑心暗鬼になることはないのだ」

 ほうと、善之助はため息をついた。要するに泥棒でありながら、その泥棒そのものが社会的な正義でありなおかつ、その正義を実現するための高い技術が存在し、その高い技術に裏うちされた正義の実現であるから、世間様に対して疑心暗鬼になる必要がないというのである。

まあ、今回の宝石の窃盗に関しても、金庫から盗み出した時点では「窃盗」である。しかし、それを落とし物として、届け出た行為は、実は窃盗ではない。返却の意思があるということである。まあ、その中に嫁さんを陥れるという別な目的があるということになるのだが、それも、基本的に次郎吉にしてみれば、全く依頼されたことであって本人の私利私欲に基づいて行われるものではないということになるのである。

 その状態であれば、何も悪いことをしているということではないのだから、びくびくして歩く必要はない。確かに「疑心暗鬼」という表現を使っているが、まさにそのような「心の中の鬼」が出てくる必要はないのである。

「もう一つは何だ」

「もう一つは技術の問題だ。泥棒の中には、私利私欲に駆られて、何かあればすぐに盗むとか、いつものように視察をしているような泥棒がいるんだ。まあ、職業だから、大きな仕事をするのではなく、コソ泥といわれるような部類は、年がら年中泥棒のことしか頭の中にはないんだ。つまり、余裕がない。人を見れば泥棒と思えならぬ、他人を見れば獲物と思えという感じだな。その感じで見ていれば、当然に挙動不審になる。俺の場合は、そのようなことはない。そもそもその辺の小さなものは盗まないし、困っている人からは盗まない。」

「確かにそうだ」

「現に、今回も盗んだってわざわざ返しに行っている。それどころか、電波発信機やカメラ、ハッキングなど、どっちかっていうと、盗むというよりは、小林の婆さんの家に、コストをかけているんだから、そりゃ、その辺のコソ泥と一緒にされちゃ困る」

 確かにそうである。善之助は思った。この次郎吉はなぜここまでして経費までかけてやってくれているのであろうか。逆にそのような高潔なところがあるから、泥棒らしくないのかもしれない。

「なるほど、つまり正義に対する考え方ということか」

「そうなんだ。まあ、あとは自分に自信があるかどうかということも関係あるかもしれないな」

 次郎吉の声は、何となく自信に満ちた感じであった。

「で、爺さん、小林さんはどうだったんだ」

「それが警察から連絡があったっていって、わざわざ隣町の警察所まで行ったらしい。何しろ高価なものだから、交番ではなくすぐに警察所に移送されたらしいからね」

「それで」

「どうしてこんなものが、ホストクラブに落ちていたのかということを聞かれたらしい」

「まあ、婆さんがホストクラブに通うわけもないから」

「そうだ。そこで、嫁さんがホストクラブに通っていることが明らかになったらしいんだ。それも、その落とし物の前の晩に、嫁さんがホストクラブに行っていたということなんだな。小林さん驚いていたよ。」

 まあ、次郎吉にしてみれば、わざわざ嫁さんがホストクラブに行くのを尾行し、その翌日に、わざわざ届けたのだから、間違いがない。

「それで小林さんは、家に帰ってから嫁さんを問い詰めたらしい。

「それで」

「自分はホストクラブなんて言ってないって」

「それでも警察が行ったのを確認しているんだろ」

 次郎吉は、ホストクラブの前の街灯に、防犯用のカメラがあることまで調べていた。

「そうだ。ところが嫁さんがそれを否定しているし、そのホストも、警察なんかに届け出ていないというといって……まあ、こっちは次郎吉さんが全部やっているってことは知っているんだが、他の役員の人々も何も知らないから、それは嫁さんが嘘をついているとか、そういうことになって、まあ大騒ぎだったんだ」

 善之助は何か楽しそうであった。

「で、どうなったんだい」

「結局、もう少し様子を見ようということになった」

「なるほど、じゃあ、それまでに何か他のことをしておけというおことだね」

「そうなんだ。このまま、嘘つきとかそういうことではなく」

「でも、もう少し遊ばないと、気が済まないなあ」

「その辺は任せるよ」

「ところで昨日、また違うことがあってね」

 次郎吉は楽しそうに話し始めた。

宇田川源流

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