「宇田川源流 日本万歳!」 「望」を詠む令和初の歌会始の儀に皇后陛下御出席のありがたさ
「宇田川源流 日本万歳!」 「望」を詠む令和初の歌会始の儀に皇后陛下御出席のありがたさ
月曜日は「日本万歳!」を毎週書いている。日本のすばらしさをどれだけ我々は知っているであろうか。
思えば学校などでは「日本はいかに悪い国であったか」ということばかりを教え込まれ、また、社会に出てからもマスコミなどは「日本がいかに悪い国なのか」「韓国や中国はいかに素晴らしい国か」というようなことばかりを報道しており、それに感化されている人が非常に多いような気がする。
グルメとかガイドとかあるいは、どのような思想を持っているかもわからないような芸能人が、韓国グルメとか、韓国でのファッションなどを紹介している番組を見ると、基本的にはチャンネルを変えるようにしている。それは「韓国が嫌い」ということもあるが、実際に「テレビ用の撮影でしかない」ということを私自身が知っているからである。
日本でのこれらの「テレビ用」といわれる撮影は、基本的に店の美しさや、あるいは人の入りなどはあまり変わらず、素材や盛り付けが少し変わったような状況であったということが普通である。
しかし、韓国や中国の店の紹介の場合、まあ、店構えはさすがに変えられないものの、「店の中の掃除」や「テーブル上の品物」などがあまりにも違う場合があり、そのために、実際にその店に行ってみると、あまりの違いに驚いたり、または店があまりにも汚くて、その店がわからなくなってしまうことがある。
マスコミなどの報道が、あまりにもひどいので、実際に行ってみた人の話に聞けば、メニューそのものも違ったりというようなことも少なくない。まあ、どれだけ日本人を騙せば気が済むのか。韓国のこれらの店だけではなく、テレビや芸能人を含めての話である。
さて、日本の素晴らしさは、当然に国のトップにおいてもその姿勢が出てくる。日本の国のトップといえば、当然に天皇・皇后両陛下である。その両陛下今年の歌会始の儀が行われた。
令和初の歌会始、「望」を詠む 雅子さま17年ぶり出席
新年恒例の「歌会始の儀」が16日、皇居・宮殿で行われた。令和最初の題は「望」。天皇、皇后両陛下や皇族方の他、一般公募の1万5324首から選ばれた入選者10人らの歌が伝統的な節回しで披露された。皇后雅子さまは2003年以来17年ぶりに出席された。
天皇陛下は子供たちの将来が明るくあってほしいとの願いを歌にした。両陛下は「こどもの日」にちなんだ施設訪問を行っており、19年は都内の保育園で園児たちと触れ合った。
皇后さまは各地の被災地で若者が復旧に献身的に取り組み、人々に希望や勇気を与えていることを頼もしく思った気持ちを表現した。両陛下は19年末、台風19号で被災した宮城、福島両県で被災者を見舞い、高校生のボランティアらをねぎらっている。
秋篠宮さまは祖父の昭和天皇に誘われ、栃木県の那須御用邸の屋上から眺めた夜を歌にした。きれいな空に多くの星が輝き、心を躍らせた当時を振り返った。
秋篠宮妃紀子さまは19年9月に訪れた岩手県釜石市で東日本大震災後に移転した小中学校に続く階段にあったヒマワリの鉢植えを見たことを詠んだ。ヒマワリは阪神大震災で亡くなった神戸市の小学生の自宅跡に咲き、復興のシンボルとして各地に広がった「はるかのひまわり」で、上皇さまも19年の歌会始で詠んでいる。同年4月に退位した上皇さまと上皇后美智子さまは今回から出席していない。【稲垣衆史】
◇天皇陛下
学舎(まなびや)にひびかふ子らの弾む声さやけくあれとひたすら望む
◇皇后雅子さま
災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす
◇秋篠宮さま
祖父(おほぢ)宮(みや)と望みし那須の高処(たかど)より煌めく銀河に心躍らす
◇秋篠宮妃紀子さま
高台に移れる校舎のきざはしに子らの咲かせし向日葵(ひまはり)望む
来年の題は「実」です。募集要領は、その他の皇族方や入選者の歌とともに、17日朝刊とニュースサイトに掲載します。
毎日新聞2020年01月16日11時47分
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/mainichi/nation/mainichi-20200116k0000m040081000c
歌会始の儀で、もっとも注目であったのが、「雅子皇后陛下が出席されるかどうか」ということである。
そもそも、上記の記事のあまりにもおかしいのは、まあ、日本のことを正確に伝えられない毎日新聞あるから仕方がないのかもしれないが、何故「皇后雅子さま」と書ているのであろうか。基本的には「雅子皇后陛下」「秋篠宮殿下」「紀子秋篠宮妃殿下」と書くべきであり、その辺の肩書や敬称のつけ方もこの新聞社は知らない。
このような新聞社が正確な情報を伝えられているとも思わないのであるが、和歌を改ざんするようなことはしないであろうからこのままこの記事を使う。というか、その肩書のことを書きたかったから他の新聞ではなくあえて毎日新聞を取り上げた。まあ、これらの言葉の使い方を、本来は日本語のプロであるはずの新聞社が使えなくなってきていることはあまりにも寂しいことである。
さて、歌会始の儀に関しては雅子皇后陛下は「御病気」のために、長年ご出席あそばされなかった。その年数は17年であるという。皇后になられて、初めの歌会始の儀でいかがなものかとも思ったが、やはりしっかりとご出席されている。そのすばらしさにまず感動ではないか。
さて、天皇陛下の歌は、「子供たちの元気な声に将来の望みが明るい」とうたわれ、この国の国民として子供たちを大事にすべきという強いメッセージがあるのではないかと推察される。また、その声を聴かれて、天皇陛下が国の将来を明るいものと感じていただけることに、非常にありがたく感じるものではないか。
そして皇后陛下はいかがなものか。
「災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす」<上記より抜粋>
平成は災害の時代といわれてしまった。まあ、上皇陛下にとってどのように感じられていたかは別にして、少なくとも皇后陛下においては、災害そのものを悲しむだけではなく、その災害から再度立ち上がる人々の姿に着目されていらっしゃるということがよくわかる。そこに、若いボランティアが多く集まるということで、皇后陛下は、日本人の「助け合い」とか「絆」ということを感じられたのではなかろうか。
日本という国が、「個人個人の力」ではなく「個人個人が助け合い大きなまとまりとなって古いものを興し、そして新しいものを作る」ということを非常に強く詠われている歌に、非常に感動するものである。
「集団を形成する」「国民として協力し合う」ということの重要性が、しっかりと伝わってくる。そしてその重要なことが「若い力に成し遂げられていること」こそ「望み」であると表現されているのである。
令和初の歌会始として天皇陛下、皇后陛下ともに、「若い力」と「希望」を詠われ、そしてその先が明るいということを示唆されている。非常に素晴らしいし日本人として明るいのではないか。
天皇皇后両陛下が、このように国の将来を考え、また、国民のことを見ていてくださるのはありがたいことではないか。ああ、日本に生まれて本当に良かった。
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