「宇田川源流」 令和二年の年初放談「デジタルと少子化時代に入った日本の経済」
「宇田川源流」 令和二年の年初放談「デジタルと少子化時代に入った日本の経済」
昨日までは野党の政治ということで、政治に関しての物であった。この年初放談も、まあ政治に関しての内容を書いていると、あまり良い話にはならない。はっきり言って「政治」は現在のところ「与党でも野党でもなく、興味がない」という人が少なくないからなのである。まあ、国や政府と仕事をしていなければ、あまり関係がないということになるのである。
そのように考えて、経済の年初放談も行うようにしたのであるが、私自身が経済の専門家ではないので、何とも言いようがない。
しかし、ひとついえることは、ある程度政治と経済は連動しており、その政治の動きに応じて「景気」の「気」の部分が大きく左右されるということになるのである。そのように考えた場合、この経済も「政治的な考え方から見た経済」という意味であれば、ある程度読むことのできる内容になるのではないか。
まあ何度も言うようであるが、「年初放談」は「占い師でもない人が将来を予想する」ということであり、まあ当たるというような話ではないので、気軽に読んでいただきたいものなのである。
では昨年どんなことを考えていたか見てみよう。
<2019年日本経済の標語>
・ 日本国内の内需は相変わらず冷え切っている。その冷えたところに消費税増税が重なり、景気はますます悪化する。しかし、オリンピックや大阪万博における公共投資が膨らむために、表面的にはその景気悪化が隠れる形で、景気が持続しているように見えるような状態で、一部の関連業者が儲かるような構造になってゆく。
・ 国際的には米中貿易戦争及び米朝会談不調のあおりを受けて、日本海・東シナ海を挟んだ貿易が一瞬好調のように見えるものの悪化の一途をたどることになる。中国による不正競争及び韓国の反日的経済活動に政治的に対処しなければならない状態にまで落ち込むことになるのではないか。
・ 中東のシリア情勢などが落ち着くので、徐々に石油などの中東原材料市場が良くなってくる。石油は下げ止まりとなりアフリカ市場も解放されるが日本が中国との関係をうまく見切れないために、多くのチャンスを失うことになる。TPPでも同じようにマイナス面ばかりが強調され、うまく使う人がいないという様態になってしまうのではないか。
さて一つ目の標語である。
実際に消費税増税であまり景気は悪化しなかった。さすがに「上がる」と何度も言えあれ、今回は各企業もそれなりに準備をしていたし、またキャッシュレスというようじゃ「新規性」によってうまく経済効果が出た部分もあるのではないか。まあ、「キャッシュレス決済における公共投資」が、ここにあるオリンピックや、大阪万博による公共投資とみれば、確かに「景気が膨らんでいるように見える」ということにあるが、実際はどうなのであろうか。
まあ、この標語に関しては当たっているような当たっていないような感じである。査収的な結論として「一部の業者だけが」といっているが、実際にはそんな構造にはなっていない。もちろん、陰ではそのようになっているが、それが表に見えているような構造になっていないのが現状なのである。
そのように考えれば、一つ目の標語は「はずれ」ということになる。まあ「おしい」というような感じでもよいのかもしれない。
二つ目の標語に移ろう。
米中貿易戦争のあおりで、日中関係、日韓関係の貿易が悪化するところまでは全くその通りである。実際に、日韓関係も米中貿易戦争の煽りというような印象があるが、実際には韓国の文在寅政権のあまりにも失礼な外交によって安倍内閣が韓国を「無視した」だけの話なのであるが、そのような国際関係は経済は敏感に反応するのである。
まあ、「反日経済」といわれる中国と韓国の「ビジネスモデル」がうまくゆかなくなったということが言えるのかもしれない。そのような「国際関係による経済への影響」が大きく動き、日本がクローズアップされたことになった。
経団連などは、中国に今もご執心のようであるが、実際にどのような結末になるのであろうか。まあ、中国・韓国に傾倒した企業の業績が悪化していることは確かであり、そのことによって、今年の株主総会はある意味で楽しみということが言える。
その意味でこの二つ面標語に関しては「あたり」である。
三つ目の標語に移ろう。
シリア情勢は落ち着いた。また石油もさげどまったが、イラン情勢が悪化した。またアフリカ市場も解放されるというような状況ではなく、日本企業は「アフリカに進出をなかなかしない」というような状況になる。
まあここの標語にあるように中国との関係を見切ることができずに多くのチャンスを失ったということは、まさにその通りになっている。
TPPも同じでうまくその状況を使う人がいない。今年になってイギリスがTPPに参加するなど様々な動きがあるが、日本の人々は、私のブログで何度も言っているように全く取材をしていないマスコミによって左右されてしまっている。
そのことから、基本的には、世界情勢を見誤ってしまい、そのことによって多くのチャンスを失っている。そのためにいつまでたっても日本の経済が良くならない。マスコミの取材力の欠如、企業の現地力の欠如、そして国際政治の冷静な判断の欠如、この三つによって、日本の経済は悪化しているのであり、政治によって悪化しているわけではない。そのことがいまだに国民に浸透していないことが大きな問題なのである。
そのような意味でこの三つ目の標語も当たっているということになる。
さて、このように書いたうえで、日本の経済をもう一度見てみよう。
日本の経済は、大きく三つの部分において構成されている。ある意味で当たり前のことを言うのであるが、一応基本は大事なので見てみよう。
まずは「内需」つまり我々国民が買い物をするかどうかということである。そして二つ目が「製造」つまり、会社がどのようなものを作ったり、あるいはそのことによって他の会社に下請けを出したりということになる。そのような企業活動が雇用につながるということになる。そしてもう一つが「貿易」である。
まあ、内需以外のものが、「企業」と「海外の国家」というものが顧客になるということになるのだから、残りはそのような感じになる。
そのうえで二つの事項がその中で景気を左右する。一つは「相場」である。ある意味で「為替」や「石油相場」などがその経済に影響を与え、そしてその影響の中で価格が変動する。そしてもう一つが「税金」である。まあ税金は日本国憲法における国民の義務なのであるが、行政サービスをある意味で「無償の奉仕」であると考えてしまう人々は、税金が「ただ取られている」というような錯覚になっている。行政サービスは基本的には税金によって成り立っているということがあまりよくわかっていない。
さて、なぜこのようなことを書いたかといえば、「物を買う」これは「海外」と「国民」戸では「生活水準」及び「生活様式(宗教や民族紫衣または気候環境などが左右する)」という二つのことで大きく変わることになる。まあ、経済というのは「欲しいものがないと買わない」ということが大前提であり、そのうえで、「費用対効果」と「値ごろ感」が重要ということになる。
例えば、雪の北海道で冷房装置などは必要ないし、夏の沖縄で冬物のダウンジャケットなどは売っても誰も買わない。これと同じで、どんなにいいものであっても月収100ドルの国で、携帯電話が10000ドルといわれれば、欲しくても誰も買わなくなってしまう。まさにこのようなものだ。
各企業は、「常にほしいものがある」という状態にするために商品開発(デザインの変更などを含め)しなければならないし、また、そのためにサービスの提供を行ったり、あるいは広告宣伝を行うということになる。
そして、物価が安い場所などに行った場合は、その物価に合わせて値段を下げなければならないし、また、その値段が民族や生活習慣に合致していなければならないということ位なるのである。
しかし、日本は長引く不況と不況感(不況と不況感は違う)によって、新規商品開発やサービス提供が行われなくなり、また経済の先行き不透明感において企業が生き残りをかけて内部留保を多く作り、そのことによって、経済の負停滞が行われるようになってきたということになる。単純に言って「不透明感」と「先行きの不安」が経済を悪化させ、そのことによって「欲しいものを提供できなくなっている」ということが大きな問題になっているのである。
ではその不透明感は何か。単純に、日本の法体系も日本の社会も文化も、すべて明治時代に形成されている。
もちろん戦後新たな法体系ができているし、その法律に関する感覚も異なっているが、しかし、日本はその戦後も明治時代の文化を踏襲していた「戦前派」の人々によって作られた基本法とその法理概念によって形成されており、その修正法案がいつもできているということになる。
つまり「大家族制」「家長制」「男性社会」というようなことが中心になっている。まあ「男性社会」というのは「社会進出」の部分であり、基本的な家庭というものがあって、そこは女性が支配していた。ある意味で「男性社会」ではなく「家の外と中の分業制」であったということが言えるのではないか。
しかし、昭和の高度経済成長から考えて、その「大家族制」が崩壊し、また「家庭」も徐々になくなり、「個人主義」が横行する。まあ、「人権」ということを中心に物事を考えればそのようになり、日本の法律や憲法で考えられていた社会は当然になくなってしまうということになるのである。
その状況から「女性の社会進出=家庭の内外の分業制の崩壊」とそのことに基づく「家庭の崩壊」そして「少子化」が生まれてくることになるのである。
最近では「働き方改革」といって、会社という一つの組織体も否定されつつあり、いつの間にか「副業」を推奨するような状況になってしまっており、なおかつ子供や部下、後輩を育てるのに強い言葉を使えばハラスメントとなるというように「経験や年長者というようなメリット性の否定」まで出てきてしまっていることになるのである。
ここまで組織が崩壊し、個別になってしまえば、「弱肉強食」「各個撃破」というような形で国家そのものが完全になくなってしまうのは時間の問題であり、その中であれば「不安定感」「先行きの不透明感」は否めない。まあ、自分たちで少子化を作り、自分たちで不透明感を感じているのであるから、全く困ったものである。
そのうえ、その自分たちの権利意識で作り出した少子化を全く解消できず、それを政府に責任転嫁し、そのうえで、経済の悪化を棚上げしているのだから話にならないとしか言いようがない。根本的な解決を図らない限りにおいて、日本経済の隆盛は存在しないといえるのかもしれない。
その中で、「製造」ではなく「サービス」が中心と「相場」に頼った経済が出かがってくる。つまるところ「少子化になって仕事がないので、働きたいときだけ働いて暮らすような刹那的な生活」が蔓延するということになる。その時にちょうど良いのがデジタル通貨や、暗号通貨ということになるのではないか。
まさに「社会的分業制の崩壊」「少子化」「先行きの不透明感」「暗号通貨」というような流れになってきている。
ある意味で「少子化」「不透明感」の頂点でり、「暗号通貨やデジタル通貨の萌芽期」というのが今の日本経済なのではないか。
さてこのような流れから令和二年の経済を見てみよう。
<令和二年の経済の標語>
・ IR汚職問題から始まる「中国と組する人々や政治家の排除」というような流れができ、いわゆる「チャイナゲート」による日本経済の混乱ということが出てくる。チャイナゲートの中には、日本のマスコミやマスコミに多額の献金を行っている業界も含まれることになり、あまり報道はしないもののネット上で話題になり、日本と中国の経済の「裏側」の問題が出てくることにより、チャイナマネーによる景気の底座さえを失うことになる。
・ 少子化問題などはすべて棚上げされ、結局「憲法改正」まで何一つ根本的な問題は解決しない。その間に、団塊世代の引退が多くなり年金などの「保証制度の崩壊」の萌芽が現れ、その問題をもとに「世代間闘争」が出てくる。まさに現役世代と団塊世代、そして若者世代の闘争が様々な形で表面化し、経済に複雑な影響を与える。しかし、最終的にはデジタルに強い世代がうまく取り仕切るような方向性で動く。
・ 米中貿易戦争はオリンピックに向けて一度収束するものの、アメリカの大統領選挙で大きな動きが加わり、トランプ大統領再選後、より大きな米中貿易戦争となる。この時に、中国に与する日本企業の多くが、アメリカからパージされ、今までの大企業ということが全く通用しなくない企業価値観の再編の萌芽が出るが、しかし、その内容が固まらないまま令和二年を終える。
まあ、このような感じであろうか。単純に言って、日本の経済の「根本的な問題」を日本国民が政治と一丸となって解決する姿勢を出さなければならないが、そこに成功体験を持っている団塊世代の楽観論と権利意識がそれを邪魔し、結局日本の経済の停滞を引き起こすことになると思われる。まさに、あまり悪者にしたくはないが、「団塊世代」と「成功体験」がなくならない限り、日本の経済はうまくゆくことはない。また、その世代がいなくなったところでだれが経済を主導するのかはかなり大きな問題になるのではないか。
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