「宇田川源流」 【土曜日のエロ】イギリスがヌード撮影のガイドラインで敬意あるヌードを定義という将来の危惧

「宇田川源流」 【土曜日のエロ】イギリスがヌード撮影のガイドラインで敬意あるヌードを定義という将来の危惧

 今週も土曜日のエロの日が鵜やってきた。実際に「土曜日」などということを言っていても、すでに今週は11月の最終日、明日から師走である。なんだか今年も早かった気がする。そろそろ、今年も終わりになってきた。

このブログでは毎年年の終わりには「十大ニュース」そして、来年の初めには「年初放談」として、その年の予想をしなければならないのであるが、その予想の内容に関して来年は様々なことを書かなければならないので、問題はどこまで書くか思案のしどころである。実際に、すべて書いてしまうというのもどうかと思うし、また全く外れるのもどうかと思う。しかしなんとなく書きたいので、ブログではないところで何か書いておこうかとも思うのである。

さて、そのような思案をしながら今週を振り返ってみると、今週の大きなネタといえばやはり、大阪の行方不明の小学校六年生少女の栃木県での発見ではないか。まあ、連日テレビで話題になっている刑事事件であるが、なんとなく時代が変わったと思う。

まずは、栃木県の30代の男が、茨城県の少女を自宅に「軟禁」していて、「その少女の話し相手になってほしいとSNSで誘われた」ために、大阪から在来線を10時間も乗り継いで、栃木に行ったというのである。ある意味途中で逃げることはいくらでもできたであろうし、10時間トイレもいかない、他の人と全く交流がないなどということはなかったはずである。また、そもそも茨城県の少女は、被害者本人が誘拐ではないといっているというのである。ある意味で「ストックホルム症候群」などもあるが、どのような関係なのかは不明だ。そのうえ、相手が誰だかわからないSNSでの誘いで、簡単に大阪から栃木まで行くのであろうか?

事件であり誘拐かどうかはわからないにしても少なくとも行方不明の少女が一人保護されたということは良いことなのであるが、このような事件の再発防止のためには「この事件の何が問題があり、何をどのように直せば再発防止ができるのか」さっぱりわからない事件ではないか。

そのように「よくわかるようにするためにはガイドラインが必要」なのであるが、そのよくわからない内容に関して、イギリスが「ヌード撮影のガイドライン」を作ったというのである。


「裸の撮影」ガイドラインを発表 イギリス映画業界団体

イギリスの映画・テレビ監督を代表する業界団体ディレクターズUKは21日、裸や擬似的な性行為のシーンに関するガイドラインを初めて発表した。俳優や性的表現の演出家などと、どのように協力すべきかを示している。

この前日には、ドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」に出演していたエミリア・クラーク氏が、同作品での裸のシーンは「つらかった」と告白。他の作品でも裸になるよう圧力を掛けられたと明らかにした。

 ディレクターズUKは声明で、「誰もが職場で安心感を得る権利がある。ハリウッドの大作であれ、ゴールデンタイムのドラマであれ、初出演の短編映画であれ、それは同じだ」としている。

エミリア・クラーク氏はドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」のデナーリス・ターガリエン役で服を脱ぐことを要求された

オーディションで全裸要求を禁止

ガイドラインでは、オーディションやコールバック(2次以降の審査)で全裸になることの要求を禁止している。また、最初のオーディションではセミヌードを求めてはいけないとしている。

「オーディションとはその性質上、力関係が不均衡であり」、「職を得るために不快な要求にも同意しなくてはならないと感じる俳優もいる」と、ディレクターズUKは説明している。

俳優に対しては、ビキニやトランクスなどを身に着けることや、オーディションに同伴者を連れてくることを奨励。また、セミヌードが要求されるオーディションは、48時間前までに俳優に通知し、全体の台本を渡すよう求めている。

制作側にはさらに、全裸やセミヌードを撮影する前には事前に書面で承諾を得ることを要求している。

「敬意ある環境をつくるべき」

新しいガイドラインは、米大物映画プロデューサーだったハービー・ワインスティーン被告の性的加害疑惑から始まった「#Me Too」運動を受けたもの。

イギリスの映画テレビ芸術アカデミー(BAFTA)やイギリス映画協会(BFI)、俳優などの労働組合Equity、キャスティング・ディレクターズ・ギルドといった業界団体からも支持を得ている。

ディレクターズUK映画委員会の会長を務めるスザンナ・ホワイト監督は、「制作サイドでクリエーティブ部門を主導する監督は、撮影現場にプロフェッショナルで敬意のある環境を整えなくてはならない」と指摘した。

「私たちは観客を引き込み影響を与えるような物語をつむぎたくてここにいる。そしてキャストやスタッフ全員が、特に繊細なシーンを作るときに、不安や搾取を感じたり、きちんと管理されていないと思うような立場に置かれてはいけない」

繊細なシーンにプロ意識を

ドラマ「ジェネレーション・キル」や「パレーズ・エンド」、「ブリーク・ハウス」などを手掛けたホワイト監督は、「私はキャリアを通じて、どうすれば繊細なシーンにプロ意識を持って臨めるのかを知っていることが、いかに大事かを見てきた」と語った。

「このガイドラインは、性的表現を監督する基準を定めており、映画やテレビの現場で安全な職場環境を育む一助になるだろう」

BAFTAも声明を発表し、ガイドラインは業界内の「虐待やハラスメント」に対処するために「非常に役立つもの」だと評価した。

「ディレクターズUKは課題をきちんと取り込み、ガイドラインにはさまざまな情報を盛り込んでいる。良くない行いを目撃した時にどう対処するのかだけでなく、虐待やハラスメントなど強制的な振る舞いが許されない環境を作るために何ができるのかを示すものになっている」

(英語記事 Nude scenes guidance launched for UK directors)

BBC 2019年11月22日

https://www.bbc.com/japanese/50512871


 さてさて、そもそもヌードシーンというのは、その内容が必要であるときには非常に素晴らしいが、ある意味でサービスカットのような「あまり必要がないのに、ヌードを入れた」というような作品があることも間違いがない。大作映画であっても日本では深夜のドラマなどでもそうであるが、現在女性の権利が大きくなり、テレビに女性のヌードが出ることはほとんどない。まあ、そのような官能的なシーンが存在しないで、片方で少子化が問題であるというようなことを言うのであるから、社会政策が権利重視で子供を産むというような感性が徐々にかき消されていることも事実であり、なおかつそれが「映画という芸術」の範囲内にも入ってしまってきているのであるから、いかがなものかと思う。

そもそも、今年の秋くらいに話題になったが、「言論の不自由」というのは、政治的なことや戦争のことではなく、「エロ」についてぜひ大々的にやってもらいたいものである。左翼思想家ではあったが、野坂昭如などは、そのような「本当の表現の自由」をしっかりと認識していた部分があったことは、現在の左翼活動家とは全く異なるものであったと思う。

さて、上記にある「ゲーム・オブ・スローンズ」とは、ジョージ・R・R・マーティン著のファンタジー小説シリーズ『氷と炎の歌』を原作としたHBOのテレビドラマシリーズ。プライムタイム・エミー賞、ゴールデングローブ賞など数多くの賞を受賞している。2018年現在、プライムタイム・エミー賞では通算で132賞にノミネートされそのうち47賞を受賞し、史上もっとも多くを獲得したドラマとなっている。

さて、このドラマは作品も面白いのであるが、ヌードシーンが多いことでも知られ、とりわけヌードになることが多かったのが、当時は23歳でこの作品に新人女優でデビューしたエミリア・クラークである。撮影が始まると、ヌードシーンを過剰に求められることで泣くことも多かったという。現在もネット上には彼女のヌードが非常に多く流れている。

さて、ここから上記のようにガイドラインができるのであるが、では、逆にこのドラマは「ヌードがなくて売れたのか」ということを考えてみよう。

例えば、日本でも「蛇にピアス」は、作品として「蹴りたい背中」とともに女性作家の芥川賞受賞ということで話題になった。しかし、映画化されて話題になったのは蛇にピアスの吉高由里子のヌードであった。当然に彼女のヌードを目当てに映画館に行った人も少なくないのではないか。同時に、そこにヌードがなければ、それでも、作品としては認知されているので、何とかなったと思うが、一方で、映画がそこまでヒットしたのかということは、「蹴りたい背中」のほんの受賞以降の話題性と比べていかがなものであったかということになる。

また、吉高由里子にしても、そこでヌードになったことで、現在に何か大きな支障があることはない。そのほかにも現在大物女優として名前がありながら過去の作品でヌードを披露している女優は少なくない。その女優の人々は、すべてエミリア・クラークのように陰で泣いていたのであろうか。

このように考えると、やはり「作品への必要性」と「その中における表現方法」ということになるのではないか。その必要性が「共感が生まれるもの」でなければ話にならないし、そのようなことにはならないのではないかという気がしてならない。そのようなことがなく「興味本位」であり、なおかつ「興味本位ということが女優に伝わる」と「ヌードを撮影している」のではなく「脱がされている」というような感覚になり、辛くなるのであろう。

そのように考えた場合、ガイドラインを作らなければならないということ自体が映画や映像の中で、「大きな問題」であり、片方で女優の権利が大きくなりすぎて、作品としてまたは見る側の要求が過小評価されているということであり、同時に、そのような必要性に対して、スタッフが女優に説明できていないということになるのではないか。それだけ、映像の世界が「窮屈」になってきているような気がする。

このようなことが大きくなると、徐々に、映像そのものが面白くなくなり、そして、女優も俳優も映画界全体が縮小化してゆき、面白くなくなる。実際に、ヌードが出ないというだけではなく、何かというとジャスティスハラスメントが起きる日本テレビでは、本当にテレビ番組全体が面白くなくなってきている。世界にもそのような状況が生まれ、徐々に作品が陳腐化してくるのではないかと危惧を感じるのである。

宇田川源流

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