「日曜小説」 マンホールの中で 第二章 2

「日曜小説」 マンホールの中で

第二章 2 

 善之助は、そっとズボンの裾をまくって見せた。善之助自身は、自分自身見ることはできない。しかし、そこにはくっきりと火傷の跡が残っていた。

「次郎吉さんもきついねえ。目も見えなくなって、こんな火傷まで負って、まだ私に働けというのかい」

 言っていることはかなり厳しいことであるが、もちろん善之助の冗談であることは変わりがない。声は明るいし少しいたずらのような口調であった。

「ひ、ひどいなあ」

 次郎吉は、思った以上に残っている火傷の後に驚いた、

「いや、何も見えないから、手でこうやって触った感じしかないんだ。それに、爆風で一瞬のうちに何もわからなくなっていたから、熱いとか痛いとかそういうことはあまり関係がなかったんじゃ。そのうえ、目が覚めたときにはもう手当も終わっていて、関係なかったしな」

「そんなに長い時間、意識がなかったのか」

「ああ、家族は一時葬式の手配をしていたそうだよ」

 善之助は、楽しそうに笑った。

「そんなにひどかったのかよ。爺さん」」

「だから、自分では全くそのことがわかっていない。一番痛いときに意識がなかったから、まあ、あまり辛さは感じないんですよ。それよりも、気が付いたら目が見えなくなっていたのと、足の動きが悪くなっていたのには戸惑ったよね」

 善之助はまだ楽しそうに笑っている。次郎吉にとっては、これだけ悲惨な状況に追い込まれ、それも、人助けをしてこんな状況になっているのにもかかわらず、すべて自分の身に起きたことを自分の責任として受け入れている善之助を、改めて見直していた。

「で、生活に不便はないのかい」

「まず収入だ。これに関しては、カミさんがやっているからよくわからないが、障碍者年金だかなんだか、とにかく役所が金をくれるようになった。おかげで生活に困ることはないみたいだよ。まあ、金といわれても、紙を触ることはできるが、それがいくらだかはなかなかわからないけれどな」

「そんなもんか。今の札は端っこの方にわかるように印か何かがついていると聞いていたが」

「まあ、大体そんなことは気にしないよね。それよりもカードとか、ポイントとか、そんな感じになてくるからなおさら目が見えない私たちにはよくわからないようになった。銀行通帳もなくなってくるというから、自分の金がどこにあるのかもよくわからないからね」

「そうか」

 次郎吉にとってはなんとなく、共感するところがある。電子マネーとかカードになってしまうと、現金を自宅に置く人がいなくなってしまう。そうなると、盗むとしても現金を盗むというような方法がなくなってしまうのである。現金を盗むのは、次郎吉のような物理的にものを盗むのではなく、ハッカーとかコンピューターとかそういった人々の仕事になってしまっていたのだ。

 「便利になる」ということが、かえって、自分たちには不便になったような感じである。それは泥棒である自分には言う権利はないのかもしれないが、善之助のような障碍者もそうであるということになると、少し事情は変わってくるのかもしれない。

「そのほかの生活は、そんなに変わらない。というか昼から仕事に行かなくてよくなった。一応なんとなく仕事をするというか、通えといわれているものの、同じような障碍者のところに行って、何か相談を受けたり、そんな仕事をするしかないんだ」

「それって、それで満足なのか」

「まあ、現役で働いていた時に比べれば、なんとなく不満が残るよ」

「そうだろ」

「ああ、次郎吉さん。そりゃ、第一線で働いていたんだ。みんなに頼られて、誰からも必要とされて、そのうえ社会のためになると思っていた。それがいつの間にか、みんなに哀れまれ、邪魔な扱いをされて、そして、お義理で捨扶持をもらう存在になった。そりゃ、人を助けて、消防署か何かから表彰されて、それなりに金や生活の面ではうまく回っているかもしれんが、私自身の話となれば、そんなものではないんだよ。やりがいというか、生きがいというか、そういうものがなくなった感じ。わかるかな。」

 今度の言葉には熱がこもっている。善之助は、今まで誰にも言えない自分の心の中の不幸を、そして不満を始めて表に出した。何もこんなマンホールの下で泥棒に聞いてもらうような話ではないのかもしれない。しかし、このようなとき、そしてこのようなところでなければ、だれも聞いてくれないのである。

「ああ、わかるよ」

 善之助は、その言葉を聞いてなんとなくほっとした。

 次郎吉は単なるコソ泥ではない。やはり、自分の信念をもってしっかりとした思想のもとに、自分でできることをやっている人物なのだ、しかし、自分の能力が泥棒という社会から軽蔑されるというか、法律に違反していることしかできなかった。しかしその能力の名赤で精いっぱい社会のために頑張っているのである。持つ論手段は間違えているのかもしれない。しかし、悪いことをしている中でも、自分の中の社会感覚はしっかりとわかっている。

 人の役に立っているのに、なぜ社会からさげすまれなければならないのか。

 ここは、次郎吉も善之助も同じところに立っている共通の価値観なのである。自分の中ではできることを精いっぱいやって、なおかつそのことが社会のために立っている。しかし、なぜかそれが社会の中で白日の下にさらされると犯罪者であったり、邪魔者であったり、集団の中からはみ出した存在になってしまう。そのはみ出した存在の二人が、なぜか、完全に社会から隔離され、なおかつ誰からも気づかれない状態の中で、動けもせず二人でここにいるのである。偶然ではあるが、いや、偶然であるがゆえに、何か神とか運命という目に見えない存在のいたずらを感じるのである。

「次郎吉さん、あんたも頑張っている。私も、目が見えないし、足もあまり動かないことで頑張っている。それも、こんな体になったのは人助けをしたからという自負がある。しかし、世の中というものは、いつの間にか、現在ここにある姿でしか物事を判断しないし、また、その姿を見て、自分のためにならないとかお荷物と思った瞬間に、そのような昔の功績や、次郎吉さんのような高貴な志は全く理解されず、悪人とか障碍者という邪魔者として、排除されてしまう。そして、そのような状況を助けるという人々は、今度は、人権とか障碍者保護などといって、我々の不幸や志を全く無視し、自分たちの主張したい政治的な主張に利用するだけなんだよ。」

 善之助は、本当にそのような感覚で、話をした。目が見えなくなってから、一応人権派といわれる人々や、障碍者団体などに対しても腰を低くして接していた。しかし、善之助には、それらが偽善とまではいわないまでも、そこに、彼らのために障碍者が利用されているいう『悪意』を感じるところがあるのだ。無償のボランティアや善意のチャリティではなく、障碍者ビジネスという、あまりにも障碍者が利用される状況がそこにあった。そのうえ、犯罪者の弁護なども同じ。結局『本当に相手のためを考えて、命を懸けて人の命を救った』自分に対して、これが社会の仕打ちなのかと呆然とするところがあったのだ。

「全くだ、泥棒の我々も人権派といわれる弁護士とかがくるが、結局は自分の売名と政治的な利用しかない。俺が泥棒になったのは、政治が悪いとか、全く関係のないような話しか、出てくれないんだ。知り合いの裁判を傍聴した時は、さすがに笑ってしまったね」

 次郎吉にも同じような感覚があった。さすがに次郎吉は逮捕されたことはない。しかし、仲間とか知り合いとかいうのはいる。そのものが捕まった時に、裁判を見ていると、普段その知り合いが言わないようなことが、普通に弁護士の口から出ているのを見ていると、なんとなく利用されるという社会の悪意を感じるのである。

「なんだ、次郎吉さんも我々と同じではないか。」

「ああ、なんとなくそんな風に見えてくるな」

 二人は笑った。

 なんとなくおかしかった。一般の社会人と、泥棒、障碍者と日陰者、いずれにしても普通に生活していては全く接点のない二人が、このようにしてこのような普段では絶対に立ち入らないような場所であって、社会から切り離されて会話をして、同じ心根を知ることになる。そこに何か非常に面白みを感じるのである。

「社会活動で泥棒をする次郎吉さんは、あのような障碍者団体や悪徳弁護士から金を盗んだりはしないのかい」

 善之助は、なんとなく言葉に出していた。普段ならば他人様の物を盗むようにということはほとんど言わない。しかし、本音で語れば、あいつらの持っているものは、本来障碍者のためのものではないのか。

 そのような心が抑えられなくなっていた。

「金を盗むのはなんとなく違うんだよな」

「そうか。でもそのうち何か考えてくれ」

「ああ、金を盗むというのではなく、何かほかの方法で、爺さんの役に立つことをすることを約束するよ」

 次郎吉はにっこり笑ったが、善之助はそれを見ることができない。まあ、それでも何となく笑顔を感じることができたのではないか。

「ところで爺さん、なんでそんな連中が社会に蔓延っているんだと思う」


宇田川源流

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