「宇田川源流」 「平成○○離れ」ということからわかる「平成の人々の思考」

「宇田川源流」 「平成○○離れ」ということからわかる「平成の人々の思考」

 ブログが「宇田川源流」になってから、政治や経済に関することばかりではなく、文化や習慣に関することをかけるようになったことが、非常に心的に楽になった。まあ、政治に関しては、以前、安倍晋三氏が首相になってから一年くらいになった時に書いたが「安定した一強政治になるので、政治記者としては冬の時代である」ということを書いたと思う。実際に、政治記者は安倍首相のおかげで、というと安倍首相を支持している人々にとってはあまりうれしいことではないが、政治記者を自称している「政局記者」のほとんどは、開店休業状態である。そのために多くの「政局記者」は、モリ・カケなどといって、スキャンダルを書いたり、あるいは、全く関係がないのにポスト安倍のことを書いてみたりしている、実際に、安倍内閣もここまで長続きすると、様々なほころびが出てくるものであるが、しかし、実際に政策的に正面から反対する人々はいない。スキャンダルばかりで、マスコミは政策に関する否定・批判は全くしないし、また野党も週刊誌的な話ばかりの国会を繰り返しており、政策に関しては全く話をしていない。つまり、政策に関しては「反論がない」というように解釈されても仕方がないということになる。国民もよくわかっていて、安倍内閣の支持率は7年たっても50%近く、野党はすべて合わせても10%になるかならないかということになる。

これが「平成」から「令和」に変わった時の政治状況である。ある意味で、政治に関しては「小選挙区制度」という制度の中でほんろうされたものでしかなかったのではないかという気がする。この政治制度と、「相手を批判しさえすれば自分が議員になれる」という、政策を語らない政治姿勢は、そのまま日本国民の国民性の中に様々な形で現れることになった。もちろん、政治が主導なのか、あるいは国民の意識が先で、それに政治が乗ったのか、どちらが先かはわからない。しかし、その中にある日本人の国民性の一つが、「平成の○○離れ」というような記事の中で現れているのではないか。

「平成の〇〇離れ」トップ3は「たばこ・新聞・ギャンブル」

 平成から令和へ移り変わるなかで、人々の嗜好や興味関心にも変化があった。人々が平成に置いてきたものとは何だろうか。

 株式会社エアトリは10代から70代の男女700名を対象に「平成の〇〇離れ」に関する調査を実施し、その結果を2月13日に発表した。調査時期は1月8日から14日。

 自分にとっての「平成の〇〇離れ」について該当するものを複数選択で聞くと、最も多かったのが「たばこ」の33.8%で、2位の「新聞」(20.5%)に10ポイント以上の差をつけてトップになった。以下、「ギャンブル」(19.0%)、「ゴルフ」(17.2%)、「恋愛」(17.0%)、「車」(14.6%)が続いた。「たばこ」離れについては男性の39.5%、女性の25.3%が該当すると回答しており、男女を問わずトップにランクインした。

 反対に、本当は「平成で〇〇離れしたくなかったもの」について聞くと、最も多かったのは「車」の9.3%で、以下「恋愛」(7.9%)、「ゴルフ」(5.7%)、「新聞」(4.9%)、「結婚」(3.8%)の順で続いた。また、前問でトップだった「たばこ」は全体の6位にランクインしたものの、「たばこ離れをしたくなかった」と回答した人は2.9%(男性3.7% 女性1.6%)にとどまっている。

 一般社団法人日本たばこ協会が4月に発表した「2019年度3月分の紙巻たばこ販売実績」によると、3月の紙巻たばこの販売数量は前年同月比12.7%減の102億本。2016年3月の販売数量は165億本だったものの、2017年3月に137億本、2018年3月に117億本と減少が続いている。

 前年同月比で見た紙巻たばこの販売数量は、2016年3月に同10.3%増で前年を上回ったものの、その後は連続して前年同月を下回って推移している。その間、唯一前年を上回ったのは2018年9月の同19.9%増だが、翌10月にたばこの値上げが行われており、販売数量の増加は駆け込み需要による一時的なものと予想される。また、2016年4月にも一部たばこの値上げが行われており、同年3月の販売数量の増加も、たばこの値上げが影響している可能性がありそうだ。

 3月の紙巻たばこの販売代金は、前年同月比5.5%減の2,393億円だった。過去の推移は2016年3月が3,509億円、2017年3月が2,956億円、2018年3月が2,533億円で、販売数量の減少にあわせて販売代金も減少傾向が続いている。

2019年05月18日 15時00分 MONEYzine

https://news.nifty.com/article/economy/economyall/12164-216066/

 平成という時代は何だったのか。実は「何か批判できるものを批判する時代」であり、なおかつ「格差という単語で他人との違いを極端に嫌う没個性の時代」であったと思う。

前半の「何か批判できるものを批判する」というのは、まさに、戦後の日教組教育ここに極まれりとばかりに、完全に「権利偏重・義務と責任の感覚の欠如」が生み出し、SNS文化が、それを助長したという感じではないだろうか。まさに、自分たちのことは棚に上げて、他人の批判ばかりを行うということになる。自分の身内に関しては甘く、そして世間に対しては厳しくするというような二重基準が横行し、そして、狭い自分の見える範囲内の常識がすべてだと思う村社会的な正義で物事全体を判断するバカな「ジャスティス・ハラスメント」が横行する。

 このことは、文化や習慣に関しても見舞われることになる。単純に、「体に悪い」だけではなく「タバコを吸えば近くにいる人が肺がんになるかもしれない」というような、希少な確率でしかないことをあげつらい、社会的な制裁に近い制限を加えて行くことが行われる。私自身愛煙家ではないが、しかし、あまりにも喫煙者に対する権利制限が激しい今の日本社会に異常を感じるものである。このこと「ギャンブル」も同じで、まさにそのよ「ジャスティス・ハラスメント」が、社会的正義と思っている小さな社会の正義感によってつぶされていると考えられ、それが没個性いつながり、また、権利意識の自己満足によって社会が運営されることになるのではなかろうか。

一方、「格差という単語」ということに関しても、同様に権利意識が問題になる。例えば「ゴルフ」「恋愛」ということに関しては「ゴルフをするような人は金持ちに違いない」という世の中の感覚から、ゴルフを完全に嫌がるような状況しかなくなり、そしてゴルフに対しての逆差別が行われる。まさに「逆差別」が市民権を得た時代といっても過言ではない。このことが「権力側・体制側にいることが批判の対象になる」というような、民主主義という日本国憲法で決められた意思決定手段を完全に無視するような言論がまかり通るようになる。これに関しては恋愛も同じで「恋愛したくでもできない人がかわいそう」などとう個人の問題や、意識の問題、または相性の問題などの個人的な事象を完全に無視し、誰もが誰とでも付き合えなければならないかのような、かわいそうという感覚で物事が出来上がってしまう。まさに芸能人の不倫などはそのような「嫉妬感覚による逆差別」が発生する。

まさに「格差という単語による逆差別」はそのまま「成功者に対する嫉妬がそのまま権利意識として現れる感情社会」になってしまったということに他ならない。詳しく説明しないと誤解して反発する人も出てくると思うが、では恋愛やゴルフなどは個人の自由であるのになぜ、それらが批判されるのか。そのことに嫉妬や「かわいそう」というような、合理性のない他人への干渉がなかったと言い切れるのであろうか。

まさに、「権利意識」「嫉妬の感情」ということが平成を動かしてしまったために、失われた20年などというような不思議な経済状況が出てきたのではないか。少し社会現象などをしっかりと考えるべきではないか。

宇田川源流

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