【土曜日のエロ】 自分の娘をレイプして無罪判決となる日本の法律の問題と社会の問題

【土曜日のエロ】 自分の娘をレイプして無罪判決となる日本の法律の問題と社会の問題。

 土曜日のエロの日になった。

さて、実は今日でこのブログ、というかニフティのココログを使っての「宇田川敬介のC級ニュース解説と宇田川的ぼやき」は終わりにしようと思う。先週も言ったように、平成から令和になるわけえだし、また、なんとなくニュース解説ばかりやっているのも飽きてきてしまったという感じがする。もっと文化とか日本ということにこだわりたいとも思っている。

そんな時に、今年4月の初めだったか、このニフティのココログがメンテナンスを行い一週間くらい投稿ができなくなった。実は10年ほぼ毎日行っていた投稿が途切れたのである。その時にココログメッセージの中で「他にブログのプラットフォームを変えることを検討する」とも書いている。実際に、当行の画面が変わって実に不便になった。

そのように考えていたので、今回ココログをやめようと思う。

まあ、そのように行ってもまた気まぐれでいつ戻ってくるかもわからないが、まあ、ここはここでそのまま放置しておこうと思っているのである。

新しいブログは「宇田川源流」としている。すでにいくつか記事を挙げているがあまり目立っていない。ちなみにURLは「https://udagawa-keisuke.themedia.jp/」である。

引っ越しなどもあるし、連休はなんとなく休もうと思っているので、この「宇田川源流」は連休明けの5月7日からにしようと考えているのである。

さて、そのような感じであるが、宇田川源流に移っても「土曜日のエロ」は続けようと思っているのである。土曜日のエロのファンの皆さんは、安心してほしい。今年はこのようなことで、「ゴールデンウィークのエロ」がなくなってしまうのであるが、まあそこはそこで我慢していただくことにしよう。

さて、記念すべきココログ最後の「土曜日のエロ」は日本の法制度の話である。

娘を性的暴行の父に無罪判決、識者からも疑問の声「常識的な感覚を欠く」

 名古屋地方裁判所岡崎支部の裁判官・鵜飼祐充(うかいひろみつ)裁判長(59)が下した「無罪判決」が世間で物議を醸している。当時19歳だった被害女性が、被告人である実の父親によって性行為を強要された2年前の“事件”をめぐるこの裁判。判決文の内容に基づく詳細は別掲「娘を性のはけ口にした父がまさかの無罪! 判決文に見る「鬼畜の所業」」記事を参照頂きたいが、被害者は中学2年生から性的虐待を受け続けてきたという。

 ***

「法律を杓子定規に解釈すると、おかしなことが起きるという典型です。性犯罪のみならず、人が犯罪者に直面し要求されれば、怖くて抵抗できないということは多々あります。例えば金を出せ、と脅されて被害者が応じたからといって、それを自主的に渡したというのは無理があるでしょう。それと同じで被害者の女の子も、普段からずっと家庭という逃げ出すことのできない場での暴力下に置かれていたわけで、目の前で起こる出来事に対して、拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった、と考えるのが普通でしょう」

 と言うのは、評論家の呉智英氏。そんな状況に置かれてもなお、親の圧力の下から逃げれると裁判官が考えたのなら、あまりに的外れな判決だと呉氏は続ける。

「この判決を受けて、バカな親が調子にのって子供に性暴力を加えないか心配です。この裁判官には、世の中の実態を見る眼がなかったのではないでしょうか」

 改めて無罪を勝ち取った父親の代理人を務める弁護士に訊いてみると、

「刑事裁判は、被告人が道義的にどうかという問題を議論する場ではなく、犯罪そのものが成立するかどうかを審議する場所です。世間、社会一般から見て被告人を罰するべきだという意見があるからといって、『そういう意見が大勢を占めているので、あなたを犯罪者として罰します』ということになれば、裁判も何もいらなくなってしまう。『疑わしきは被告人の利益とする』という大原則に基づいた判断を、裁判所はされたのだと思います」

“大原則”に基づくという意味では、鵜飼裁判長は過去に何度も無罪判決を出すことで、界隈では知られた存在だった。

■やりたい放題

 社会部記者が言うには、

「この10年余りで少なくとも7件の無罪判決にかかわっていますが、最も注目を浴びたのは2015年の事件です。当時、全国最年少首長として注目を浴びていた、岐阜県美濃加茂市長が収賄などの疑いで逮捕されましたが、鵜飼さんが担当した一審の名古屋地裁は証人の証言を信用せず、無罪を言い渡したのです。ところが高裁では逆転有罪、最終的には最高裁が上告を棄却して有罪が確定しました」

 日本における刑事裁判の有罪率は、99・9%。諸外国と比較しても異常に高く、テレビドラマのタイトルにもなるほどで、起訴されてしまえば裁判官はほぼ「有罪判決」を下す。その現実が、冤罪事件を生み出しているとの指摘もあって社会問題となってはいるものの、今回のような法の解釈に拘泥した「無罪判決」を、世間は望んでいるだろうか。

「日本の裁判官は守られすぎていると感じます」

 と嘆くのは、刑事法学が専門で常磐大学元学長の諸澤英道氏である。

「この件では、あまりに常識的な感覚を欠く判決を下す裁判官だと言わざるを得ませんが、日本はいったん任用されたら定年まで勤め上げることが可能なんです。海外ではだいたい5年、10年と任期が区切られ、再任用の際にはどういった考え方を持っているか、過去の判決を含めて厳しくチェックされます。けれど、日本は『裁判官の独立』という名の下に、上の者が下を指導することはほとんどない。それをいいことに一部の裁判官は野放しにされやりたい放題で、最近だとSNS上にブリーフ姿を投稿した方もいましたが、戒告処分に止まっている。ネット社会になり、様々な情報が広く公開された今こそ、一般の人々がおかしいと思ったらどんどん声を上げ、裁判官の見識を問う必要があるのではないでしょうか」

 検察は判決を不服として控訴に踏み切ったが、次の裁判長殿は大丈夫だろうか。

「週刊新潮」2019年4月18日号 掲載

2019年04月18日 08時00分 デイリー新潮

https://news.nifty.com/article/domestic/society/12280-250988/?fbclid=IwAR0y3RD01L1Kp3a1wiaJY8bUGGLT2ZgOUEX5HFNCgnkZb2S8JbV94M5ZrOI


 法律というのは、ある意味で、社会的な内容が反映してできる。もちろん法律は国家がその権力で作るものであり、その国家の権力は日本の場合憲法で「国会だけで法律が作られる」ということになっている。その法律に不備があれば国会議員全体の責任である。まあ、野党の諸君は、自分たちも「立法府の代議員である」といことの自覚がないので、法律の不備に関して政府を攻撃するのであるが、残念ながら、法律の不備に関する責任は野党の諸君にもある。いや、スキャンダルと政局ばかりでしっかりと法案審議をしない野党がダメだからダメな法律がそのまま通ってしまうのである。

さて、今回は「親が子供をレイプした場合」ということになる。

刑法177条に「十三歳以上の者に対し、暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交(以下「性交等」という。) をした者は、強制性交等の罪とし、五年以上の有期懲役に処する。」というものがある。いわゆる「強制性交等罪」であり、昔の強姦罪が2017年に改正されたものである。強姦罪とのもっとも大きな違いは「女性が男性に対して強制的にレイプした場合、または男性が男性、女性が女性に対して行った場合も含まれる」ということになったということである。いわゆるLGBT対応ということなのであろうか。

さてこの罪の場合「相手の意思に反して性交等を行うものであり性別を問わない。第三者に性交等を行わせた場合も同様である。」とされ、同時に「自己の意思に反して性交等の対象となる者であり性別を問わない。」とされている。そのうえで、「強制性交等の手段としての暴行又は脅迫の存在が必要である」とされる。

つまり「暴行、脅迫」がない状態での「性交」やあるいは「意思に反していない」性交に関しえてゃ罪状に当たらないということになる。法律的には「構成要件該当性がない」ということになるのである。

「法律を杓子定規に解釈すると、おかしなことが起きるという典型です。性犯罪のみならず、人が犯罪者に直面し要求されれば、怖くて抵抗できないということは多々あります。例えば金を出せ、と脅されて被害者が応じたからといって、それを自主的に渡したというのは無理があるでしょう。それと同じで被害者の女の子も、普段からずっと家庭という逃げ出すことのできない場での暴力下に置かれていたわけで、目の前で起こる出来事に対して、拒む、拒まないという選択ができる状況にはなかった、と考えるのが普通でしょう」<中略>

「刑事裁判は、被告人が道義的にどうかという問題を議論する場ではなく、犯罪そのものが成立するかどうかを審議する場所です。世間、社会一般から見て被告人を罰するべきだという意見があるからといって、『そういう意見が大勢を占めているので、あなたを犯罪者として罰します』ということになれば、裁判も何もいらなくなってしまう。『疑わしきは被告人の利益とする』という大原則に基づいた判断を、裁判所はされたのだと思います」

<上記より抜粋>

つまり法律を買いy策すれば無罪になるし、同時にその法律において、恣意的に校正用絵kん該当性を把持して同義的な基準を持ち出してしまえば、それは「魔女裁判」を起こすことになってしまうということになる。単純に言えば、「法律の不備」であり、そのことによって様々なことを言うべきではないということになるのである。

「普通でしょう」と「大原則に基づいた判断」という二つの主張はまさに大きな法律解釈の問題である。では実際はどうであろうか。これはなかなか難しい。本人の「意思に反した」ということは「主観」であるから「どのようにしたら立証できるのか」ということがかなり難しいということになる。逆い言えば「立証できない状態の中においては、レイプはいくらでもやることができる」ということになってしまう。ある意味で「セクハラ」は主観に基づいて行うことになるが、「強制性交等罪」は客観的な証拠によって行うということになるのであろうから、その内容をいかに考えるかということになるのである。

まあ、実際に被害者の女性というか子供というかはかなりかわいそうだが、弁護士の言うとおりに立証できなかったということに他ならないということになるのではないか。同時にこれは裁判官を恨むのではなく、その法律の不備を考え、そして法改正を求めるべきではないかと思うものである。そうでないと「この判決を受けて、バカな親が調子にのって子供に性暴力を加えないか心配です。」<上記より抜粋>というような状況になってしまうのではないか。

宇田川源流

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