「宇田川源流」【日本報道検証】 日本のメディアが反日的であることの意味

「宇田川源流」【日本報道検証】 日本のメディアが反日的であることの意味


 それに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます

 さて今回は、「日本のメディアが反日的であることの問題点」と題して、日本のメディアが「日本を批判すること」と「日本に不利な情報を、十分な検証や比較なしに提示すること」を混同していないか、そして、その結果として日本国内の言論が外国の情報工作に利用される余地を作っていないか、という問題についてみてみたいと思います。

まず確認しておきたいのは、9月6日の『サンデーモーニング』では、ネパールを襲った大規模土石流・洪水と気候変動が取り上げられていました。番組側の説明でも、ネパールの災害を扱ったこと自体は確認できます。

 報道されたところによれば、フォトジャーナリストの安田菜津紀氏が、ネパールの温室効果ガス排出量が世界的に非常に小さいこととの対比で、日本のような大量排出国には大きな責任があるという趣旨の発言をしました。一方で、今回の氷河崩落・土石流については、その直接的原因がまだ特定されていないという指摘も出ています。

 ここで問題なのは、「日本にも気候変動に対する責任がある」という主張そのものではありません。これは当然、議論してよい問題です。日本は温室効果ガスを排出してきた国ですから、地球温暖化について責任がないなどということはできません。日本が自国の排出削減や国際的な気候変動対策について責任を負うという議論には、十分な根拠があります。

 しかし、「責任がある」ということと、「今回起きたネパールの災害について日本に大きな責任がある」ということは別問題です。ここを曖昧にすると、科学的因果関係の議論が、道徳的な「日本が悪い」という議論に置き換わってしまいます。さらに重要なのは、そのときに「では、他の主要排出国についてはどうなのか」という比較が同時に提示されるかどうかです。日本だけを取り出して「先進国として責任がある」と語るなら、中国、米国、インド、ロシア、EUなどについても同じ基準で説明する必要があります。特に中国は現在、世界最大の温室効果ガス排出国です。今回の批判でも、中国との比較を求める声が出ています。

<参考記事>

『サンモニ』コメンテーター、ネパール土石流「日本に大きな責任」発言に議論噴出「中国は10倍以上温室効果ガスを排出」

9/8(火) 16:20配信 SmartFLASH

https://news.yahoo.co.jp/articles/e170127ea6796adb18be20a476da95eab0bbd846

<以上参考記事>

 ここに、メディア報道の「フレーミング」の問題があります。

 今回の報道において、同じ事実でも、「日本を含む主要排出国には、途上国で発生する気候災害に対する国際的責任がある」と報道するのと、「日本の温室効果ガス排出がネパールの災害に大きな責任を負っている」と受け取られるように報道するのでは、視聴者に与える印象がまったく違います。

 そして私は、ここで「反日」という言葉を使う場合にも少し慎重であるべきだと思います。日本政府を批判することと、日本そのものを否定することは違います。民主主義社会において、政権批判は当然認められるべきです。むしろ政権に対して厳しい質問をすることは、メディアの重要な役割です。問題なのは、政府への批判がいつの間にか「日本という国家そのものの道徳的否定」に変わってしまう場合です。

 たとえば、「日本政府のこの政策には問題がある」という批判なら政治的言論です。ところが、「日本は加害者である」「日本人は過去の責任を負い続けなければならない」「日本社会は根本的に悪い」というような一方向の物語が繰り返されるようになると、もはや個別政策の批判を超えて、国家そのものについて特定の自己認識を形成する言論になっていきます。

 ここは非常に重要です。なぜなら、現代の情報戦では、外国が日本国内に直接「日本を嫌いになれ」と宣伝する必要はないからです。日本国内のメディア、評論家、政治家、活動家、研究者などが発信した情報を、外国側が引用すればよいのです。「日本人自身がこう言っている」という形にしてしまえば、外国から発信するプロパガンダよりもはるかに説得力を持つからです。これは、いわゆる認知戦を考えるうえで非常に重要なポイントです。

 外国の情報工作というと、偽情報を大量に流すことを想像しがちですが、実際には必ずしも「嘘」を作る必要はありません。本当の情報を選択的に取り上げ、特定の方向に編集するだけでも、認知に大きな影響を与えることができます。例えば、日本で実際に環境問題が起きた、日本政府が過去に失策をした、日本企業が不祥事を起こした、日本軍が戦争中に問題行為をした――これらが事実であるなら、それを報道すること自体は当然です。しかし、その情報だけを大量に集め、「日本にはこのような悪いところがある」という物語だけを作れば、日本という国家について非常に歪んだ認識を形成することができます。逆に、日本の失敗を隠して「日本は素晴らしい国だ」とだけ報道するのも、同じ意味で危険です。

 つまり本当に必要なのは、親日報道でも反日報道でもなく、検証可能な事実を多角的に提示する報道なのです。この意味で、放送法4条の問題ともつながってきます。放送法4条は、放送番組について「政治的に公平であること」、「報道は事実をまげないですること」、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」などを定めています。政府の従来の説明でも、政治的公平性については特定の番組だけではなく、放送事業者の番組全体を見て判断するという考え方が示されています。

 ですから、私は「サンモニの一回の発言=放送法違反」と単純に結論づけるべきではないと思います。むしろ見るべきなのは、長期間にわたって、何を取り上げ、何を取り上げなかったのかです。例えば政府の失敗を100回取り上げるのであれば、政府が成功した政策も同じように検証する必要があります。日本の戦争犯罪を取り上げるのであれば、同時代の他国の戦争犯罪についても研究対象にする必要があります。慰安婦問題を扱うのであれば、日本軍・日本政府の責任についてだけではなく、当時の朝鮮半島や中国などの社会状況、民間業者、募集の実態、証言の信頼性、研究史についても扱わなければなりません。

 南京事件についても同様です。「事件があったか、なかったか」という単純な二択ではなく、死者数、事件の範囲、当時の資料、戦後の研究、証言、国際的評価などを切り分ける必要があります。慰安婦問題では、特に朝日新聞が吉田清治氏の証言を長年報道し、その後その証言を虚偽と判断して記事を取り消したことが、日本のメディア史における重大な問題として残っています。ただし、この問題については「吉田証言が虚偽だった=慰安婦問題全体が存在しなかった」と単純化することも適切ではありません。重要なのは、一つの証言がどのように検証され、どのような形で社会的認識を形成してしまったのかという報道過程の検証です。

 ここから、現在のメディア問題につながります。過去の報道であれば、それは歴史問題として終わる可能性があります。しかし現代の情報環境では違います。一度日本のテレビで放送された発言は、YouTube、X、中国語メディア、韓国語メディア、海外メディアなどによって切り取られ、再利用されます。

例えば、「日本の著名ジャーナリストが、日本にはネパールの災害について大きな責任があると認めた」という一文だけが外国語に翻訳されれば、日本側の前後の文脈を知らない外国人には、それが「日本自身が日本の加害責任を認めた」という情報に見えてしまう可能性があります。さらに悪いことに、外国政府や外国メディアがその発言を、「日本人自身も日本の責任を認めている」という形で引用すれば、日本の国内議論がそのまま外交的材料になります。これは、南京事件や慰安婦問題についても同じ構造を持っています。日本国内のメディアがある歴史認識を発信する。外国メディアがそれを引用する。外国政府や外交機関が「日本国内でもこう認められている」と利用する。それが再び日本国内に戻ってきて、「国際社会では日本はこう見られている」という形で報道される。

 こうして一種の情報循環が発生します。そして、この循環が非常に厄介なのは、最初の情報が必ずしも外国の工作員によって作られたものでなくても成立してしまうことです。だからこそ、「このメディアは中国の工作機関なのか」「韓国の工作なのか」といった陰謀論的な方向に走る必要はありません。むしろもっと現実的に考えるべきです。外国が利用できる情報を、日本のメディア自身が無意識に作り出してしまう可能性がある。これが本当の問題です。

 そして、ここで「報道の自由」と「国家安全保障」が対立するように考える必要もありません。むしろ報道の自由を守るためにも、メディア自身が自分たちの報道がどのように外国から利用される可能性があるのかを意識する必要があります。報道機関が「外国に利用されるから政府批判をやめよう」と考えてしまえば、それこそ民主主義の敗北です。

 必要なのは逆です。政府を批判する。野党も批判する。企業も批判する。自衛隊も批判する。アメリカも批判する。中国も批判する。韓国も批判する。ロシアも批判する。そして、日本自身についても肯定できるものは肯定する。この「全部を対象にする」という姿勢が重要なのです。

 今回の『サンデーモーニング』の問題についても、「日本を批判したから悪い」とするより、なぜ日本の責任を強調するなら、中国や米国など他の主要排出国との比較を同時に提示しなかったのか、なぜ今回の災害の直接原因が未確定であることをもっと明確にしなかったのか、というところを批判すべきだと思います。そこを追及する方が、はるかに強い批判になります。つまり、「日本を批判するな」ではありません。「日本を批判するなら、同じ基準で世界も批判せよ」ということです。

 これは反日・親日というイデオロギーの問題を超えています。報道機関が本当に公共性を持つためには、「日本にとって都合がいい情報」を流す必要もありませんし、「日本にとって都合が悪い情報」を積極的に流す必要もありません。必要なのは、日本にとって都合が悪い情報であっても事実なら報道し、日本にとって都合がいい情報であっても事実なら報道する。そして、外国についてもまったく同じ基準を適用することです。それができなければ、報道は「権力を監視する機関」から、「特定の価値観を社会に注入する機関」へと変質してしまいます。

 そして後者になったとき、最も危険なのが認知戦です。外国勢力は必ずしも日本のメディアを直接支配する必要はありません。日本のメディアが「日本について否定的な情報」を発信してくれれば、それを翻訳して世界に流すだけでいい。だから、現代のメディアに求められる「中立性」とは、無味無臭の報道になることではありません。

 自分たち自身が、誰かに利用される可能性を含めて、自分たちの報道を検証することです。そしてこれは、南京事件や慰安婦問題から現在の環境問題まで、かなり一貫したテーマとして見ることができます。

 過去の報道について検証することは「日本の過去を美化すること」ではありません。むしろ、日本のメディアが過去にどのような報道を行い、それが国内世論や国際社会の日本認識にどのような影響を与え、結果として外国の外交・宣伝にどのように利用されたのかを検証することこそ、これからの認知戦時代に必要なメディア研究だと思います。

今回のネパール報道も、その小さな実例として見ることができます。そして一番警戒すべきなのは、「反日メディアがいる」ということそのものより、日本国内の言論が、本人たちの意図とは無関係に外国の情報戦の素材として再利用される構造ができていることなのだと思います。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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