「宇田川源流」【日本報道検証】 AI時代の教育についてやっと動き出した中央教育審議
「宇田川源流」【日本報道検証】 AI時代の教育についてやっと動き出した中央教育審議
それに関連するトリビアの披露とか、報道に関する内容を言ってみたり、または、報道に関する感想や社会的な問題点、日本人の文化性から見た内容を書き込んでいる。実際に、宇田川が何を感じているかということが共有できれば良いと思っているので、よろしくお願いいたます
さて今回は、「AI時代の教育についてやっと動き出した中央教育審議会」と題して今後の日本の教育についてみてみましょう。
文部科学省が8月31日に中央教育審議会の特別部会へ示した次期学習指導要領の素案では、AIが全教科に関係するものとして位置づけられました。学習指導要領にAIが本格的に記載されるのは今回が初めてです。小学校では2028年度から、中学校では2029年度から一部先行実施し、小学校は2030年度、中学校は2031年度、高校は2032年度から全面実施する方向です。
ここで非常に大切なのは、「AIを使える子供を育てる」ということと、「AIに使われない子供を育てる」ということが、実は同じ教育改革の中に入っていることです。
今回の素案を見ると、AIに質問して答えを出してもらう能力だけを重視しているわけではありません。むしろ文科省が強調しているのは、AIが出してきた情報について、それが正しいのか、妥当なのかを自分で判断する能力です。そして、AIを利用した結果について、人間が責任を負って意思決定することも重要だとされています。
これは学校教育にとってかなり大きな転換です。
これまでの学校教育では、「正しい知識を覚える」ということが非常に重要でした。教科書に書いてあることを覚え、試験問題に対して正しい答えを書く。もちろん、これは今後も必要です。しかし、AIが大量の知識を瞬時に検索し、文章を作り、計算し、翻訳し、画像まで作るようになった現在、「知識を持っている」というだけでは人間の優位性を維持できなくなってきました。
例えば歴史のレポートをAIに書かせることは簡単です。しかし、その文章の中に誤った歴史認識が入っていたらどうするのか。AIが「この資料によれば」と説明していても、その資料そのものが存在するのか。あるいは実在する資料をAIが都合よく解釈していないか。
ここで必要になるのが、歴史そのものの知識です。
つまりAI時代には、「AIがあるから知識はいらない」のではありません。むしろ逆です。AIの答えを評価するために、人間側にも基礎知識が必要になるのです。
<参考記事>
全教科にAIの記述 学習指導要領改定に向け、文科省が素案
8/31(月) 9:32配信 毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3725b175ea609d277b81bc6500fa60e6d1dab42
<以上参考記事>
AIは「答えを出す機械」にはなれても、「その答えを社会で採用してよいのか」という最終判断まで自動的に引き受けてくれるわけではありません。
数学なら、AIが計算した答えを検証するための数学的能力が必要になります。国語なら、AIが作った文章を読んで、その論理や表現が適切なのかを判断する力が必要になります。英語なら、AI翻訳を使ったとしても、その訳文が文脈に合っているか判断する必要があります。理科なら、AIが提示した仮説が科学的に成立するのかを考えなければなりません。社会科なら、AIが提示した政治・経済・歴史について、情報源や立場を確認する必要があります。したがって、「全教科にAIの記述」というのは、実際には全教科をAI時代に再定義するという意味を持っています。
そして今回、もう一つ非常に大きいのが「情報活用能力」の強化です。中学校では現在の技術・家庭科から技術分野を切り離し、「情報・技術科」を新設する方向です。小学校では「総合的な学習の時間」を「総合的な探究の時間」とする方向で、その中に情報の領域を設ける。高校卒業時には、数理・データサイエンス・AIを日常生活や仕事などで活用できる水準を全員に保障するという考え方まで示されています。ここには、文科省のかなり明確な危機感があります。
今後、AIを使える人と使えない人の間には、かなり大きな格差が生じる可能性があります。例えば、AIを使って情報を収集し、複数の案を比較し、文章を作り、プログラムを書き、データを分析できる人間と、AIが何なのかよく分からないまま社会に出る人間では、仕事の生産性が大きく違ってくる可能性があります。だからこそ、「一部の進学校や一部の家庭だけがAI教育を受ける」という状態にしてはいけない。小学校から全員に教えようという発想になっています。
これはかなり重要な意味を持っています。家庭の経済力によってAI教育の格差が広がることを防ぐためです。一方で、今回の改革には非常に難しい問題もあります。それは、AIを教育に導入するほど、「人間に何を教えるのか」という問題が逆に大きくなることです。
例えば作文をAIに書かせれば、文章を書く時間は短縮できます。しかし、それによって子供自身が「自分の言葉で考えて文章を書く」という経験を失ってしまったらどうなるでしょうか。読書感想文をAIに書かせれば、それらしい文章はすぐできます。しかし、本を読んで「自分は何を感じたのか」を言葉にする能力は、AIでは代替できません。
だから今回の素案では、AIを使える能力だけではなく、「人間ならではの思考力や表現力」を育てることも重要な柱になっています。これは一見すると矛盾しているように見えます。「AIをどんどん学校に入れる」と言いながら、「人間にしかできない能力を育てる」。しかし、私はむしろここが今回の教育改革の核心だと思います。AIが発達すればするほど、人間に求められるものは「AIより大量の知識を持っていること」ではなくなります。それよりも、「何を問題にするのか」「何を知りたいのか」「AIに何を聞くのか」「AIの答えをどう評価するのか」「その結果を社会でどう使うのか」という能力が重要になります。つまり、AI時代の教育とは、AIを使う教育であると同時に、AIを疑う教育でもあるのです。
ここは非常に重要です。AIは、もっともらしい嘘をつくことがあります。人間の偏見を学習していれば、その偏見を反映した回答を出すこともあります。SNSなどの情報を大量に学習したAIなら、世の中で多数派になっている意見を「正しいもの」のように見せる可能性もあります。さらに今回の素案では、中学生がSNSの「エコーチェンバー」について学ぶことも想定されています。似た考えを持つ人間同士がSNS上でつながることで、同じ考えだけが繰り返され、認識が偏っていく問題です。アルゴリズムが人間の認知や行動にどのような影響を与えるかを考え、情報発信の影響や責任について学ぶ方向になっています。これは単なる「パソコン教育」ではありません。むしろ、情報社会を生きるための思想教育に近い部分があります。「ネットに書いてあるから正しい」「AIが言ったから正しい」「みんながそう言っているから正しい」という考え方を捨てさせる教育です。
そして、この能力はAI時代だけではなく、民主主義社会にとっても極めて重要です。民主主義では、有権者一人一人が情報を受け取り、自分で判断しなければなりません。もしAIやSNSによって大量の情報が供給されても、それを自分で検証できなければ、情報を操作する側の影響を受けやすくなります。その意味では、今回の「AI教育」は、実はAI教育であると同時に、民主主義教育でもあると見ることができます。ただし、私はここに一つ大きな注意点があると思います。
「考える力」を重視するあまり、「基礎知識」を軽視してはいけません。AI時代だから暗記はいらない、という方向に進むと危険です。例えば、歴史を知らなければ歴史についてのAIの間違いを判断できません。数学を知らなければAIの計算ミスを判断できません。国語力がなければAIの文章の論理的な誤りを見抜けません。つまり、AI時代には基礎学力が不要になるのではなく、基礎学力の意味が変わるのです。「試験で良い点を取るための知識」から、「AIを含めた世界から得られる情報を評価するための知識」へと、その役割が変化していく。ここを間違えると、教育改革は逆効果になります。
今回の素案が示しているのは、従来の「先生が教える→子供が覚える→試験で確認する」という学校モデルから、「人間が基礎知識を身につける→AIなどから情報を得る→比較・検証する→自分で考える→判断する」というモデルへの移行だと考えると分かりやすいでしょう。そして、これは学校だけの問題ではありません。今後は大学入試や就職試験も変わっていく可能性があります。
AIに文章を書かせれば簡単に完成するようなレポートを出させても、本当にその学生が考えたのか分かりません。そのため、口頭試問、討論、実験、プレゼンテーション、制作過程など、「本人がどのように考えたのか」を評価する方式が重要になってくるでしょう。つまりAIによって、「答え」よりも「答えに至る過程」が重要になる可能性があります。
これは教育にとって、かなり大きな変化です。今回の学習指導要領改定は、表面的には「学校でAIを教えます」という話に見えます。しかし、その本質はもっと大きい。それは、AIが知識を提供する社会になったとき、人間は何を学ぶべきなのか、という問いに日本の教育制度が初めて正面から答えようとしているということです。
そして、この改革で最も重要なのは「AIを使える子供を作ること」ではなく、AIを使いながらも、最後の判断を自分の頭でできる子供を作ることだと思います。AIに答えを求めること自体は、これから誰でもできるようになります。しかし、「その答えは本当に正しいのか」「別の答えはないのか」「そもそも何を質問すべきなのか」「その答えを社会で使ってよいのか」と考えることは、人間側の仕事として残ります。
だからこそ、これからの学校教育では、知識、読解力、数学的思考、歴史や文化についての理解、倫理観、対話する能力、文章を書く能力などが、むしろ重要になってくるでしょう。AIによって教育が不要になるのではありません。AIによって、教育の本当の目的がむしろ問われる時代になったということなのではないでしょうか。
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