「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 決戦賤ケ岳は「織田家の忠誠心」と「戦のない世の中への希望」の戦いだった

「宇田川源流」【大河ドラマ 豊臣兄弟】 決戦賤ケ岳は「織田家の忠誠心」と「戦のない世の中への希望」の戦いだった


 毎週水曜日は、NKH大河ドラマ「豊臣兄弟」について好き勝手に感想を書いています。ちなみに、先日滋賀県長浜市の大河ドラマ館に行ってきました。衣装やセットなどは少なかったような気がしますが、しかし、出演者のインタビュー動画はなかなか興味深く、言った買いがあった気がします。それ以上に、小学生や中学生と思われる子供が多かったのは非常に良かった。また歴史や大河ドラマに興味のある子どもたちが少なくないということも、なんとなくほっとしました。

さて今回は賤ケ岳の合戦です。まずは史実を見てみましょう。

天正10年(1582年)の本能寺の変後、織田信長の後継者争いと領地再編を巡り、明智光秀を討って発言力を高めた羽柴秀吉と、織田家の宿老である柴田勝家との対立が深まりました。清洲会議を経て激化する両者の権力闘争が、翌天正11年(1583年)春に直接的な軍事衝突へと発展したのが賤ヶ岳の戦いです。

 雪深い越前を拠点とする勝家は、冬季の行動が制限されていたため、秀吉はその隙を突いて近江の長浜城や美濃の岐阜城を圧迫し、有利な陣容を整えました。春を待って越前から出陣した勝家は北近江の柳ヶ瀬に陣を張り、対する秀吉も木ノ本周辺に陣を構築して余呉湖周辺で両軍が対峙し、しばらくは激しい膠着状態が続きました。

 この膠着を破る契機となったのが、秀吉に与していた織田信孝の再挙兵です。秀吉が美濃の岐阜へ向けて大軍を動かした隙を狙い、勝家方の猛将である佐久間盛政が大岩山砦などを奇襲し、守将の中川清秀を討ち取るなど戦果を挙げました。勝家は深追いを警戒して盛政に撤退を命じましたが、盛政は前線にとどまり続けました。

 大垣でこの報せを受けた秀吉は即座に引き返し、約52キロもの距離をわずか数時間で駆け戻る「美濃大返し」と呼ばれる驚異的な急行軍を成し遂げます。突如戻ってきた秀吉の大軍に盛政隊は強襲され、戦況は一気に逆転しました。

 合戦の佳境において、秀吉陣営の加藤清正や福島正則ら若手武将たちが著しい武功を挙げ、後に「賤ヶ岳七本槍」として称えられる活躍を見せました。さらに、勝家方として茂山に布陣していた前田利家が密かに秀吉側と交わしていた合意や状況の不利から戦線を離脱したことで、柴田軍の士気と陣形は壊滅的に崩壊しました。

 敗北を悟った勝家は本拠地の北ノ庄城へと撤退しましたが、追撃する秀吉軍に包囲され、妻であるお市の方とともに自害して果てました。この勝利によって秀吉は織田家中の主導権を完全に掌握し、天下人への道を決定づけることになりました。

<参考記事>

「豊臣兄弟」雪の賤ヶ岳“天下人勝家”利家の夢散る…涙の寝返り「だから決闘」殺陣&肉体美にネット興奮

[ 2026年8月23日 20:45 ] スポニチアネックス

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/08/23/articles/20260821s00041000188000c.html#goog_rewarded

<以上参考記事>

 今回の賤ケ岳の合戦は、ある意味で史実とは全く異なる「観点」で描かれていた。今回に限らずここ数年のの大河ドラマに関しては、「史実」よりも「ドラマ性」や「現代の視聴者へのメッセージ」ということをかなり重視した内容になっており、今回もその点が非常に強く出てきていたのではないか。今回も賤ケ岳の合戦そのものの流れではなく、人の心を中心に構成していたのは、非常に興味深い内容ではなかったでしょうか。

実際に、今回の主役は前田利家(大東俊介さん)であったのではないかと思います。賤ケ岳の合戦の内容は、前田利家がどうして柴田勝家(山口馬木也さん)を裏切ったのかということが大きな焦点になりますが、その中で、羽柴秀吉(池松壮亮さん)が直接七尾城迄口説きに行くとした場面設定はなかなか興味深かったのではないでしょうか。ある意味で、山崎の合戦の後の明智光秀(要潤さん)との間も同じですが、今回の秀吉は、直接相手と話をするということが非常に多く設定されており、それは、本能寺の変の直前、長浜城に織田信長を案内して接待した後の織田信長(小栗旬さん)とお市(宮崎あおいさん)の会話の中にあるように「なぜかあいつらあの思い通りに載せられてしまう」「不思議な魅力」ということがあり、その織田信長とお市の考えをそのまま踏襲させたようなドラマ構成になっているということがあります。ある意味で、織田信長は多分秀吉がこのようにすることを見ていたし前田利家などを裏切らせる魅力もあったことを見抜いていたでしょう。またお市もその様に見ていたのであり、だから、あえて織田家が衰退してゆく姿を見たくなく、柴田勝家の方に着いたというような心理が浮かび上がってくる内容になっています。

ではその秀吉の魅力とは何でしょうか。

秀吉は前田利家に対して、「自分が天下人になる」「力を貸してくれ」と言って頭を素直に下げます。そして平和な世の中をつくるということを、農民出身だからこそできる戦のない世界を作るということを訴えるのに対して、柴田勝家は、「天下人になって下れ」という前田利家に対して、「織田家を盛り立てるのが自分の仕事だ」ということを言います。今までの通り、織田家という枠組みを出ずにまた戦のない世の中をつくるという理想を持つこともなかった。実際に前田利家は、秀吉に対して「そんなことができるはずがない」と言いながら、どこかにその希望を持っていたのではないでしょうか。

まさに、現代の人へのこのドラマのメッセージはそこでしょう。「忠誠心と希望とはどちらが重いか」ということになります。

そして前田利家は、希望、それも、妻の松(菅井友香さん)の「痩せ我慢ではありませぬ。雪の間はこうして、あなた様と一緒にいられますゆえ。雪はこの北国に、平穏をもたらしまする。いっそこの日の本中に、ずっと雪が降ればいいのに」と戦を憂う姿から、戦をなくすという希望にかけたということが、まさに子の賤ケ岳の勝敗を決めたということになります。人間はある意味で希望を持っている方が、忠誠心に束縛されるよりも域外があるのではないか。そのようなドラマからのメッセージが聞こえるのではないでしょうか。

最後の場面である前田利家と柴田勝家の一騎打ちのシーン。間違いなく、戦陣を離れて武将が一騎打ちをするなどということは基本的には考えられませんから、史実とは全く関係っがないのでしょうが、しかし、ドラマとしては欠かせない感動的なシーンであったと思います。まさに、「織田家への忠誠心」と「戦のない世の中への希望」との戦いであった。そして柴田勝家が前田利家に勝ちながらも、「うぬのような弱き者を斬っても、寝覚めが悪うなるだけじゃ!二度とその面をわしに見せるな!」という柴田勝家の言葉は、まさに、前田利家に自由にしなさいということを伝えたものだけではなく、ある意味で秀吉の天下取りを心の中で認めたという事でありまた、多くの織田家の武将が秀吉に着いた「希望」を柴田勝家自身も理解していたというようなことではないかと思います。柴田勝家は、自分でもわかっていた、ある意味で織田の息子たちや三法師では天下を治めることができないことを充分に理解しながら、織田家の家老としての分を違えることができない古いタイプの人間であるということを自分自身が理解し、そして、自分から身を引いていったという、非常に格好の良い幕引きをしたのではないでしょうか。

この柴田勝家からは、ある意味で「ゼネレーションギャップ」もありながら、「本当に格好の良い老害といわれる人々の身の引き方」ということも、若者ではなく、年齢が高い人々に対してメッセージを送っていたのかもしれません。

この、心の動きをしっかりと描写したドラマはなかなか面白かったのではないでしょうか。そしてその時代の流れ、希望を全く理解しない中川清秀(すがおゆうじさん)は、希望を信じる前田利家に殺されるという、最終的な結末も見せてくれていたような気がします。

さて、来週は柴田勝家とお市の死が描かれます。この流れだと、非常に素晴らしいドラマになるのであると同時に、明確に織田家から秀吉への天下人の時代の分かれ目が見えるのではないでしょうか。そのようなことが楽しみになります。

宇田川源流

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