「宇田川源流」【お盆特集 世界から見た日本】 日本の神々

「宇田川源流」【お盆特集 世界から見た日本】 日本の神々


 毎年のことだが、お盆の休みの時期はあまりニュースもないので、毎年のことだが適当に特集記事を組んでいる。正月は「年始放談」だがゴールデンウィークとこの時期はどうしようもない。

さて、今年は「世界の中の日本」ということで、日本が世界をどうみられているかということを、もう一度見つめなおしてみたいと思います。もちろん「スパイ天国」とか「金儲けできる国」などというような悪意で見ている人々もいますが、しかし、一方で日本にあこがれている人もまだまだ少なくないのではないでしょうか。その様に考えれば、日本のすばらしさをもう一度見つめなおすのは良いことではないかと思います。

第五回目の今日は、「多神教アニミズムをいまだに大事に守っている日本の神々」について見てゆきたいと思います。

★ 無意識の日本の神々に対する信仰

マナーや安全性の高さ、クリエイティブな表現力、そして豊かな食文化??これら日本の魅力の根底を辿っていくと、確かに「日本人が八百万(やおよろず)の神々や目に見えない存在とどう向き合ってきたか」という意識のあり方に突き当たります。それは堅苦しい宗教観というよりも、日常の身振りや感覚のなかに「無意識の習慣」として息づいています。

日本の信仰の最大の特徴は、神々を遠く離れた絶対的な存在としてではなく、自然のあらゆる場所や日常の営みの中に宿るものとして捉えてきた点にあります。この感覚が、日本人の価値観や行儀、そして「恥の文化」と呼ばれる社会規範の土台を築いてきました。

いくつかの具体的な側面から、そのつながりを解き明かしてみましょう。

まず第一に節目を祝う気負いのない信仰心ということがあります。あまり侵攻をしていないと思っている人、無宗教であるという人も少なくないですが、少しお付き合いください。

正月の初詣やお宮参り、七五三といった行事は、特定の教義を厳格に守るためではなく、季節の節目や人生の岐路において「無事に過ごせたことへの感謝」と「これからの平穏」を祈るための習慣として受け継がれています。

神社に参拝する際、私たちが何気なく行う「手水舎で手を清める」「一礼して鳥居をくぐる」といった動作には、目に見えない神聖な領域に対する自然な敬意が込められています。誰かに強制されたわけでもないのに、参道の中央(神様の通り道)を避けて端を歩く姿などにも、神々に対する慎ましい配慮がそのまま表れています。日常と神聖なものが連続しているからこそ、生活の節目に自然と神前へ足を運ぶ感覚が身についているのです。

第二に「お天道様が見ている」という倫理観と「恥」の文化があります。恥という文化は、恥ずかしいから恥ずかしいことをしなくなるということをしっかりと物語っています。その恥の文化こそが、日本の多神教の庶民に対する不文律になっています。

日本人の高い倫理観や治安の良さを支えている大きな要因に、「お天道様(おてんとうさま)が見ている」という意識があります。これは特定の人物や法的な監視の目ではなく、自然界や宇宙の秩序そのものが自分の行いを見守っているという感覚です。

誰も見ていない場所であっても落ちているゴミを拾ったり、落とし物が警察に届いたりする背景には、この「目に見えない存在に対する恥ずかしさ」があります。「恥の文化」というと、単に「世間体や他人の目を気にする」という消極的な意味で捉えられがちですが、本質的には「自分を取り巻く共同体や神仏、自然に対して恥ずかしい行いをしたくない」という内省的な誇りの表れでもあります。

自分の行動が周りの空間や他者にどう影響を与えるかを敏感に察知する姿勢が、社会全体の規律や「言わなくても察し合う」独特のマナーを生み出しています。

そして、道具や自然を慈しむ「万物への敬意」ということがあります。自然の中で髪を感じるかはわかりませんし個人差がありますが、しかし、ある意味で畏敬の念があり、例えば、大災害の時にはやはり神に祈ってしまうというのは、日本人の特徴ではないでしょうか。

日本の神々は、山や海、風や雷といった自然現象だけでなく、器や道具にまで宿ると考えられてきました。針供養や人形供養のように、使い古した道具に感謝を捧げて供養する風習は、世界的に見ても非常に特徴的です。

「物を大切にする」「粗末に扱わない」という道徳は、単なる節約やエコの観点にとどまらず、「すべてのものに命や神性が宿っている」という八百万の神的な世界観から出発しています。料理人が包丁を大切にお手入れしたり、職人が道具を神聖視したりする文化も、道具との間に「他者としての敬意」を結んでいるからにほかなりません。

食前の「いただきます」という言葉も、単なる挨拶ではなく、食材となった命や、それに関わったすべての人々、そして恵みをもたらした自然の神々に感謝を捧げる儀式的な意味合いを帯びています。

このように、初詣のような分かりやすい年中行事から、街を綺麗に保つ行動、道具を愛しむ手つきに至るまで、日本人の生活態度の至るところに神々や目に見えないものへの意識が溶け込んでいます。

日本文化のすばらしさとは、高度な概念や厳格な戒律として神を信じるのではなく、「日々の暮らしや自然の営みそのものを神聖なものとして愛おしむ感覚」が、無意識のうちに人々の振る舞いを美しく整えている点にあると言えます。

★ 一神教との違い

多神教的な八百万の神々の思想と、一神教の世界観との対比は、日本の歴史や日本人の民族性を読み解くうえで非常に深いテーマです。絶対的な唯一神を掲げる思想が自己の正当性や統一した倫理観を強くもたらす一方で、日本においては「多様な神々を共存させる柔軟性」と「万物に神性が宿るという感覚」が、独自の平和維持機構と持続可能な社会基盤を作り上げ、発展の原動力となりました。

これを日本人の生活環境や歴史的背景と結びつけて考えると、いくつかの重要な側面が浮かび上がってきます。

まずは、寛容性と「争いを避ける」知恵を多神教であるということが形作っているという考え方dす。

唯一神を信奉する世界観では、何が絶対的な正義であり真理であるかが明確に定義されるため、時に異なる信仰や価値観を持つ対象との間で「正しさ」を巡る決定的な対立が生じやすくなります。

一方で日本の神観念は、「自分の神だけを正解としない」という根本的な寛容さを持っています。古来、日本人は異国の神や新たな思想が入ってきた際、既存の神々を否定して排除するのではなく、「八百万の神々の一柱(あるいは神の別の姿)」として受け入れてきました。飛鳥時代に仏教が伝来した際、神と仏を融合させた「神仏習合」という独特の信仰形態を作り上げたのはその最たる例です。

自然災害が多く、狭い国土の中で助け合って生きていかなければならなかった日本の風土において、「自分の正義を押し通して敵味方に分かれること」は共同体の崩壊を意味しました。互いの信じるものや立場を認め合い、決定的な対立を避けて調和を図る和の精神は、多様な神々をそのまま認める多神教的な柔軟性があってこそ培われた生活の知恵でした。

次に、万物への畏怖と「もったいない」精神が生んだ循環型社会ということがあります。2000年になって「MOTTAINAI」という運動が出てきて、世界でリサイクルやリユースという考え方が出てくるようになりましたが、その元は「日本のもったいないという精神」であることは間違いがありません。

万物に神や霊性が宿るという「汎神論的」な捉え方は、自然環境との付き合い方や産業のあり方にも決定的な影響を与えました。

一神教的な世界観において、自然や動物はしばしば「人間が管理・支配し、活用するために与えられたもの」と位置づけられることがあります。これに対して日本では、山も川も樹木も、そして人間が作り出した道具にさえ神性が宿ると考えられてきました。この感覚は、自然を征服する対象ではなく「人間を活かしてくれる畏敬すべき存在」として捉える姿勢を生み出します。

ここから生まれたのが、物を粗末に扱わず徹底的に使い切る「もったいない」という倫理観です。江戸時代における日本の都市文化は、世界的に見ても驚異的な資源循環型社会を作り上げていました。紙くずや灰、人間のおしっこやうんちに至るまで商品として売り買いされ、衣類は何度も仕立て直して最後は雑巾や燃料として使い切られました。

「すべての物に命や神性が宿っているのだから、感謝して大切に扱い、巡らせる」という精神的な裏付けがあったからこそ、限られた土地と資源の中で豊かな独自の文化と経済を発達させることができたのです。

そして、時代に合わせて柔軟に自己更新する社会構造ということも日本の神々のおかげであると思います。

日本の歴史において、明治維新や戦後の復興に見られるような劇的な社会の転換と急速な近代化を成し遂げられた背景にも、この神観念の柔軟性が関係しています。

ドグマティック(教条的)な絶対的教義を持たない日本の神々のあり方は、時代ごとに必要な技術や思想、他国の優れたシステムを抵抗感なく取り入れることを可能にしました。「和魂洋才」という言葉に代表されるように、日本の根本にある精神性(和の心)を守りつつも、外来の合理的な仕組みや科学技術を柔軟に吸収して自国のものへと昇華させる器用さは、他者を排除しない神観念の土台があったからこそ機能したと言えます。

このように、他者を排除せず尊重する寛容性と、万物を慈しみ再利用する持続可能な倫理観は、日本という自然の恵みと脅威が背中合わせの環境において、人々が生き残り繁栄するための最強の順応戦略でした。

一神教がもたらす強力な統合力や規範意識とは対照的に、日本の神々に対する無意識の感覚は、時代の変化にしなやかに対応しながら平和的で豊かな社会を継続させるという、日本独自の発展パターンを強力に支えてきたのです。

★ 日本の死生観

多神教的な神々の信仰から育まれた日本独自の「死生観」は、生と死を明確に切り離すのではなく、境目の曖昧な「地続きの巡りゆくもの」として捉える点に大きな特徴があります。

生者と死者、人間と自然、さらには神々や霊的な存在が同じ世界の中でゆるやかに重なり合っているという感覚は、一見すると無関係に思える日本のクリエイティブ(表現文化)や社会の安全性、治安の高さといった多角的な文化の起点となっています。

第一に無常観と「一瞬の美」を生み出すクリエイティブということがあります。ある意味で「詫び寂び」や「はかなさ」「散る美しさをたたえる文化」というようなことはここにあるのではないでしょうか。そしてそのことが「利他」というよう名考え方になっているような気がします。

日本人の死生観の底流には、あらゆるものは留まることなく移ろい、やがて消え去っていくという「無常」の感覚があります。この感覚は、死を単なる終わりや恐怖として忌み嫌うのではなく、「有限だからこそ今この瞬間が尊い」という美意識へと昇華されてきました。

満開の桜が散る姿に美を見出す「あはれ」の情操や、不完全さや経年変化の中に静かな美を感じ取る「侘び寂び」の美学は、まさにこの死生観から生まれたものです。生と死、存在と非存在が表裏一体であることを知っているからこそ、日本の伝統芸術や表現運動は、引き算の美学や余白の表現を磨き上げてきました。

現代の現代アート、アニメーション、映画などの創作物においても、この「生と死の境目のグラデーション」や「目に見えない異界との隣り合わせの日常」を描く作品が数多く存在します。異界や死の気配を恐怖の対象としてのみ描くのではなく、どこか懐かしく親しみのあるもの、あるいは慈しむべき対象として描写する独特の感性は、万物に霊性を認め、死後も霊魂が身近な自然に溶け込んでゆくと信じた死生観が直結しています。

第二に「見えない眼差し」と死者の存在が生む社会の安全性ということがあげられます。日本人には、社会の目とか、ご先祖様に申し訳が立たないというような考え方があります。そのことを忘れるわけにはいきません。

日本の治安の良さや社会の安全性を支えている心理的要因の一つに、「死者や先祖、神々がいつも身近で見守っている」という死生観があります。

日本では古来、亡くなった人々は遠い異界へ完全に去ってしまうのではなく、山や風、あるいは家の神棚や仏壇を通じて、生者のすぐそばに留まり続けると考えられてきました。お盆に先祖の霊を迎えてもてなし、再び送り出す風習などはその象徴です。

この「先祖や死者が見ている」という意識は、生者に対して強い自制心をもたらします。自分の不誠実な行動や恥ずべき振る舞いは、生きている人間だけでなく、自分を見守ってくれている先祖や神々に対しても申し訳ないという思いを抱かせます。

誰も見ていない監視カメラのない場所であっても秩序が保たれ、街が清潔に維持される背景には、法的な罰則への恐れ以上に、「目に見えない死者や神々との繋がりを汚したくない」という無意識の倫理観が働いています。社会の安全性は、警察機構などの制度だけで作られているのではなく、生きている者と死んだ者が共に紡ぐ見えない共同体意識によって保たれていると言えます。

第三に循環する生命観が生み出す職人精神とモノづくりということがあります。

死が生の終わりではなく、形を変えて次の生命や自然へと巡っていくという循環の死生観は、モノづくりや職人精神(クリエイティビティ)の精度を極限まで高める駆動源にもなりました。

自分の作った作品や建造物が、自分の死後も残されて次の世代へと受け継がれ、自然へと還っていく。そうした時間のスケールで物事を捉える感覚が、目先の利益にとらわれない丁寧な手仕事や、長年の使用に耐えうる頑丈で美しい製品を生み出します。伊勢神宮の式年遷宮のように、定期的に作り直すことで技術と精神を死生循環させ、永遠を保つという発想も日本独特の文化です。

このように、生と死をグラデーションとして捉え、先祖や神々とともに生きる日本人の死生観は、儚いものの中に宿る美を鋭敏に捉える「クリエイティブな感性」を研ぎ澄ませると同時に、見えない眼差しを意識して社会を穏やかに整える「治安と安全の基盤」を無意識のうちに作り上げてきたのです。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000