「宇田川源流」【お盆特集 世界から見た日本】 アニメコンテンツ王国
「宇田川源流」【お盆特集 世界から見た日本】 アニメコンテンツ王国
毎年のことだが、お盆の休みの時期はあまりニュースもないので、毎年のことだが適当に特集記事を組んでいる。正月は「年始放談」だがゴールデンウィークとこの時期はどうしようもない。
さて、今年は「世界の中の日本」ということで、日本が世界をどうみられているかということを、もう一度見つめなおしてみたいと思います。もちろん「スパイ天国」とか「金儲けできる国」などというような悪意で見ている人々もいますが、しかし、一方で日本にあこがれている人もまだまだ少なくないのではないでしょうか。その様に考えれば、日本のすばらしさをもう一度見つめなおすのは良いことではないかと思います。
第三回目の今日は、日本の想像力の象徴であるアニメコンテンツ王国としての日本を見てみたいと思います。
★ 世界で愛される日本のアニメ
日本のクリエイティブコンテンツが世界中で深く愛されている背景には、多神教的な価値観と、一人の英雄ではなく皆で協力して何かを勝ち取るという仲間意識的な価値観があること、また正義をしっかりと意識した内容が大きいのではないでしょうか。このような価値観、この国固有の文化的な背景が色濃く反映されています。
日本のアニメや漫画、ゲームで描かれる世界観には、自然のあらゆるものに神々や魂が宿ると考える多神教的な感性が息づいています。すべてを「絶対的な善」と「絶対的な悪」の二項対立で切り捨てるのではなく、敵対するキャラクターにもそれぞれの立場や事情、譲れない正義が存在するという複雑な人間模様が描かれるのは、まさにこの多様な価値観を受け入れる寛容さから生まれています。
また、圧倒的な力を持つたった一人の英雄が世界を救うという展開よりも、不完全な仲間たちが互いの弱点を補い合い、絆を深めながら困難に立ち向かうストーリーが多く選ばれるのも特徴的です。挫折や葛藤を共有しながら目標を達成していく「過程」を丁寧に描くことで、観客やプレイヤーは登場人物たちに強く共感し、自分もその仲間の一人であるかのような一体感を味わうことができます。
さらに、そこで描かれる正義は単なる「力の行使」や「勝利」ではありません。弱者を守ることや、誰かのために自分を投げ出す自己犠牲の精神、あるいは一度あやまちを犯した相手であっても理解し合おうとする誠実さなど、心のあり方や道徳観に基づいた深みのある正義感が根底に通底しています。
このように、多面的な視点を認める多神教的な寛容さ、共に助け合い成長する仲間意識、そして心根の正しさを重んじる深い正義感が組み合わさることで、国境や文化を越えて人々の魂を揺さぶる独自の魅力的な物語が作り出されていると言えます。
★ 「善悪二元論」ではなく一元論的な日本の創作文化
このクリエイティブには、絶対的な前とか悪という二元論的な考え方ではなく、悪も善も一つの特徴であるという一元論的な考え方があるのではないかと思います。神も荒ぶる神になれば、人に制裁を加えるし、また、「泣いた赤鬼」のような鬼なのによい鬼もいるという童話もあります。そのような日本の価値観を、古くから童話や昔話、説話の中で語られておりその内容が今のクリエイターに知らず知らずのうちに影響を与えているのではないでしょうか。
善と悪を絶対的な二元論で分けるのではなく、状況や関わり合いによって変化する一つの性質やあり方として捉える一元論的な見方は、古くからの日本人の自然観や宗教観に深く根ざしています。
日本は豊かな自然に恵まれる一方で、台風や地震、噴火などの自然災害が絶えない風土です。古来、人々にとって自然は命を育む慈悲深い存在であると同時に、時に荒れ狂って猛威を振るう恐ろしい存在でもありました。同じ山や川という自然が、恵みを与える「和魂(にぎみたま)」にもなれば、災厄をもたらす「荒魂(あらみたま)」にもなるという実感が、多神教的な神観念の基礎を作りました。神々でさえ絶対的な善悪ではなく双方の側面を持ち、荒ぶる神を鎮め祀ることで再び守り神へと戻すという発想は、自然とともに生きていくための智慧でもありました。
この自然への畏怖と共生から生まれた感覚が、仏教の伝来とともにさらに深まります。万物に仏性が宿るという考え方や、因果に応じた移ろいを認める思想は、鬼や妖怪、あるいは異界の存在であっても単なる退治すべき悪ではなく、悲しい背景や改心の余地を持つ存在として描く素地を整えました。説話や童話の中で、人間を惑わす鬼が改心して人を助けたり、人間に仇なす怪異が実は人間の身勝手さや業から生まれた哀れな存在として描かれたりするのは、この寛容な世界観の表れです。
さらに、日本は村落共同体を中心とした農耕社会を長らく営んできました。和を重んじるコミュニティの中では、個人の強い主張や絶対的な正義を押し通すことよりも、互いの立ち位置を理解し、調和を図ることが生活の糧でした。そのため、誰かを完全に排除する「絶対の悪」とするよりも、悪さをした者にも相応の理由や心情があることを汲み取り、包摂しようとする道徳観が物語を通じて育まれていきました。
こうして数千年にわたり、風土、宗教、そして生活様式の中で培われてきた説話や伝承は、世代を超えて語り継がれ、子どもの頃から自然と身体に染み込んでいく文化の「下地」となりました。現代のクリエイターたちもまた、こうした物語を親や本を通じて吸収して育つため、意識するとしないとにかかわらず、複雑な背景を持つ悪役や、立場によって姿を変える神やヒーローというテーマを自然体で生み出すことができるのです。
★ 人間不変のテーマ
間が仲間と協力する、また、自分の中で成長する、困難を克服して乗り越えて強く生きるという、多くのアニメにあるテーマは、日本人だけではなく世界のすべての人に共通の価値観なのではないかと思います。日本固有の風土や宗教観から生まれた物語の「器」の上に盛り付けられているテーマそのものは、人種や文化の壁を優に越える、人類普遍の願いや感動の源泉となっています。
仲間と協力し、自らを成長させ、目の前の巨大な困難を乗り越えて強くなっていくというプロセスは、神話学者ジョーゼフ・キャンベルが提唱した「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」にも通じる、人類共通の精神的構造です。古今東西を問わず、人は誰しも人生の中で挫折を経験し、自らの弱さに悩み、一人では抱えきれない困難に直面します。だからこそ、孤独だった主人公が仲間と出会い、互いの存在によって傷を癒やし合いながら前を向く姿に、国籍に関係なく自分自身の人生や理想を重ね合わせて深く共感することができるのです。
とりわけ日本のアニメや漫画が世界で特別な熱量をもって受け入れられているのは、その universal(普遍的)なテーマを、完璧で無敵な主人公ではなく「未完成で等身大のキャラクター」を通して描いている点にあります。努力がすぐに実を結ばないもどかしさや、一度は心が折れてしまう弱さ、葛藤しながらも一歩を踏み出す健気さといった泥臭い成長の過程を丁寧に描写することで、観客は単なる娯楽として観るだけでなく、自分自身の現実の苦難と戦う勇気や自己肯定感を受け取っています。
つまり、多神教的な寛容さや悪の背景を描く複雑な世界観という「日本ならではの語り口」を用いて、協力・成長・不屈の精神という「世界共通の人間讃歌」を描き出しているからこそ、日本のクリエイティブコンテンツは世界のあらゆる国や地域で時代を超えて人々の心を揺さぶり続けているのだと言えます。
★ この文化を広めるために
官民ファンドである「クールジャパン機構(海外需要開拓支援機構)」の失敗は、日本のコンテンツそのものの魅力が失われたからではなく、官主導による投資判断の不整合や、クリエイティブの本質を見誤った「上からの箱もの的支援」に大きな原因があったと指摘されています。
日本の誇る文化的な深みや価値観を正しく世界に届け、さらにそれを生み出す現場とクリエイターを次世代へつなぐためには、行政主導の枠組みに頼るのではない、本質的な構造転換が必要です。
現場のクリエイターへ正当な対価が還元される循環をつくることが、何よりも先決となります。日本の作品が世界中で巨大な利益を生んでいる一方で、制作の現場で汗を流すアニメーターや制作スタッフの労働環境や低賃金問題は長年放置されてきました。中間抜きや中間搾取が生じやすい複雑な流通構造を見直し、作品のグローバルな収益が現場にしっかりと還元される仕組みを整えることで、クリエイターという職業が安心して生活を成り立たせ、生涯の仕事として選べる社会的な基盤を構築する必要があります。
国家や公的機関の役割も、作品の価値やビジネスのやり方を定義・指導する「支援者」から、インフラや権利を守る「環境整備者」へとシフトすべきです。世界に向けた海賊版対策の徹底や、海外での知的財産権(IP)の保護、公正な契約交渉を支える法的・国際的なバックアップこそが官の果たすべき役目です。作品の内容やプロデュースに政治や官僚機構が介入するのではなく、民間やクリエイターが自由に挑戦できる舞台袖で後方支援に徹することが求められます。
文化の多様性と自由さを尊重する土壌を守り続けることも欠かせません。日本のクリエイティブの強みは、最初から「世界で売るための正しい答え」を目指して作られたものではなく、作家たちが自身のこだわりや内発的な情熱を突き詰めた結果として生まれた点にあります。過剰な自主規制や、海外の市場に無理に合わせに行こうとする「受け狙い」の制作方針は、かえって日本コンテンツ独特のエッジや複雑な魅力を失わせます。多様な表現や実験的な試みが許容される草の根の表現空間を大切に残していくことが重要です。
教育の面においては、技術だけでなく「物語を紡ぐ精神性」や「国際的な権利意識」を育む多面的な育成が必要となります。日本古来の説話や精神文化に対する深い理解を現代的な表現に落とし込む発想力を磨くと同時に、海外市場で自らの権利を守り交渉できるビジネスリテラシーを併せ持った次世代のクリエイターやプロデューサーを育てることが、文化の持続可能性につながります。
日本の素晴らしい価値観は、上からのスローガンや国策によって押し付けられるものではなく、現場のクリエイターたちが自らの表現を追求し、それが世界中の人々の共感を呼ぶことで自然と広まっていくものです。表現者を守り、正当に報いる土壌を整えることこそが、最も確実で息の長い文化継承への道となります。
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