「宇田川源流」【大河ドラマ 逆賊の幕臣】 来年の大河ドラマを先取り

「宇田川源流」【大河ドラマ 逆賊の幕臣】 来年の大河ドラマを先取り


 毎週水曜日はNHK大河ドラマに関して書いているのだが、今週はというか8月2日はなぜか大河ドラマが休止してしまいました。。ある意味で夏休みなのであろうということもあり、学生の自由研究の題材で自然科学者の方が良かったのではないかなど、勝手にこちらで休止理由を推測しているのですが、いずれにせよ休止してしまったので仕方なく「豊臣兄弟」以外のことを書こうと思います。

そこで、今回は「鬼が笑う」などといわれながらも「来年の大河ドラマ」である「逆賊の幕臣」について見てみたいと思います。

来年の主役は松坂桃李さんの演じる小栗忠順となります。ではいつも通りまずは小栗忠順、私などは小栗上野介といったほうがしっくりくるのですが、その人物についてみてみましょう。

小栗忠順(おぐり ただまさ、1827~1868)は、幕末の江戸幕府に仕えた幕臣であり、「明治日本が実現した近代国家構想を、幕府の立場で最も早く描いていた人物」と評されることが多い人物です。幕末の政治家の中では勝海舟や坂本龍馬、西郷隆盛ほど一般には知られていませんが、近年では日本の近代化に果たした役割が再評価されており、2027年のNHK大河ドラマ『逆賊の幕臣』の主人公にも選ばれました。

 小栗は旗本の家に生まれました。旗本とは将軍に直接仕える武士ですが、単なる武人ではなく、行政官僚として働く家柄でもありました。そのため幼い頃から学問や政治、財政を学び、若くしてその才能を認められます。非常に頭脳明晰で決断力があり、数字にも強く、外国事情にも高い関心を持っていました。一方で妥協を嫌い、自分が正しいと思うことは上司にも遠慮なく主張する性格であったため、味方より敵を作りやすい人物でもありました。

 小栗の人生を大きく変えた出来事が、1860年の遣米使節団への参加でした。日米修好通商条約の批准書交換のため、幕府は使節団をアメリカへ派遣しますが、小栗はその監察役である目付として同行します。

 当時の日本人が見たアメリカは衝撃そのものでした。巨大な蒸気船が港を行き交い、鉄道が何百キロも走り、銀行や工場が並び、国民が新聞を読み、工業生産によって国家が豊かになっていました。

 小栗は、この差は武士の精神論では埋められないことを悟ります。日本が独立を維持するには、西洋の軍事力だけでなく、その背後にある工業力、経済力、技術力を手に入れなければならないと確信しました。彼は単に「軍艦を買う」ことではなく、「軍艦を日本で造れる国になる」ことが重要だと考えたのです。

 帰国後の小栗は、その考えを実際の政策へと変えていきます。勘定奉行、外国奉行、軍艦奉行などを歴任し、幕府の財政、外交、軍事を一手に担いました。

 最も有名な功績は、現在の神奈川県横須賀市に建設された横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)の建設です。フランス人技師のレオンス・ヴェルニーを招き、近代的なドック、製鉄設備、機械工場、技術者養成施設まで備えた、日本初の本格的な近代工業施設を建設しました。

 この施設は明治維新後もそのまま新政府に引き継がれ、やがて横須賀海軍工廠へ発展します。そして日清戦争、日露戦争では、日本海軍の主力艦艇の整備・建造拠点となり、日本の海軍力を支える基盤となりました。そのため、小栗は「明治政府が使った近代化の土台を築いた幕臣」とも評価されています。

 また、小栗は財政家としても優秀でした。当時の幕府は慢性的な財政難でしたが、小栗は帳簿管理を徹底し、税制や会計制度を改善しようとしました。さらに海外との貿易や関税制度についても積極的に関わり、国家財政を近代的な仕組みに変えようと努力しました。現在でいえば、財務大臣、経済産業大臣、防衛大臣、外務大臣の役割を同時に担うような重責を負っていた人物だったといえます。

<参考記事>

松坂桃李主演 来年大河「逆賊の幕臣」初回放送日は1・10に決定 過去には1・11の年も

[ 2026年7月29日 11:10 ] スポニチアネックス取材班

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2026/07/29/articles/20260728s00041000253000c.html#goog_rewarded

<以上参考記事>

 しかし、小栗の運命は幕末の激動によって大きく変わります。

 1867年、十五代将軍徳川慶喜が大政奉還を決断すると、小栗は最後まで反対しました。

 彼は単純な「戦いたい武士」ではありませんでした。彼の考えは、幕府がまだ軍事力や財政力を持っているうちに有利な条件で政治交渉を進めるべきであり、簡単に政権を手放せば日本は混乱すると考えていたのです。

 一方、慶喜は内戦を避けるため政権返上を選びます。この意見の違いから、小栗は罷免され、領地である上野国権田村(現在の群馬県高崎市)へ戻ることになりました。

 その後、戊辰戦争が始まると、小栗は実際には大規模な軍事行動を起こしていませんでした。しかし、新政府軍は幕府の有力人物であった彼を危険視し、捕縛します。そして十分な裁判も行われないまま、1868年に斬首されました。享年42でした。現在では、証拠が乏しいまま処刑された可能性が高いと考える研究者も少なくありません。

 こうして明治政府の歴史の中では、小栗は長い間「旧幕府側の逆賊」として扱われ、その功績も十分には語られませんでした。

 ところが明治時代が進み、日本が工業国家として発展すると評価は徐々に変わります。横須賀造船所を中心とする近代工業の基盤、海軍技術者の育成、近代的な財政制度など、明治政府が成功させた政策の多くに小栗の構想が生かされていたことが分かってきたからです。特に日露戦争後には、「もし小栗がいなければ、日本海軍の発展はもっと遅れていたかもしれない」とまで言われるようになりました。

 小栗忠順という人物を一言で表すなら、「幕府を守ろうとした保守派」であると同時に、「日本を近代国家へ変えようとした改革者」という、一見矛盾する二つの顔を持っていた人物でした。彼は徳川幕府への忠誠を最後まで貫きましたが、その忠誠は過去を守ることではなく、「日本が欧米列強に負けない国になるためには何が必要か」を冷静に考えた結果でもありました。

 そのため歴史家の間では、小栗忠順は「幕末最高の実務官僚」「日本近代化の設計者の一人」「敗者となったために歴史から長く忘れられていた人物」と評価されることが多く、2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、その功績だけでなく、「なぜこれほどの人物が逆賊と呼ばれなければならなかったのか」という点も、大きなテーマになると考えられています。

 小栗忠順という人物が現代に送るメッセージは、「改革とは、過去を否定することではなく、守るべきものを未来へ残すための手段である」という点にあるのではないでしょうか。

 現代では「保守」と「改革」は対立する概念のように語られることが少なくありません。保守派は変化を嫌い、改革派は古いものを壊すというイメージです。しかし小栗忠順は、そのどちらにも当てはまりません。彼が守ろうとしたのは徳川幕府という組織でした。しかし、そのために彼が行おうとしたことは、西洋式の造船所を造り、工場を建設し、会計制度を改め、人材を育成し、海外技術を積極的に導入するという、当時としては極めて大胆な改革でした。

 つまり彼は、「組織を守るために組織を変える」という発想の持ち主だったのです。

 これは現代の企業経営にも非常によく当てはまります。例えば百年以上続く老舗企業を考えてみます。歴史がある会社ほど、「昔からこうしてきた」という文化があります。しかし、その文化だけに頼れば、市場環境の変化に対応できず、やがて衰退してしまいます。

 一方で、改革を急ぐあまり、創業以来の技術やブランド、社員の誇りまで捨ててしまえば、その会社はもはや別の会社になってしまいます。本当に優れた経営者は、そのどちらでもありません。

「この会社が百年続いてきた理由は何か。」

 その本質を守るためには、工場は最新設備へ更新し、AIも導入し、海外市場にも進出し、人事制度も変え、組織文化も変えていく。つまり、理念は変えないが、方法は変えるのです。小栗忠順は、まさにそういう人物でした。

 現代企業でいえば、創業理念を誰よりも大切にしながら、DX(デジタルトランスフォーメーション)やAI導入を積極的に進める社長のような存在でしょう。あるいは製造業であれば、「日本のものづくりを守るために、自動化やロボットを導入する」という経営者です。銀行であれば、「地域金融を守るために、店舗を減らしてデジタル化する」という経営者です。自治体であれば、「地方を守るために、古い行政制度を大胆に改革する」首長です。つまり、小栗は「変えること」が目的ではなく、「守ること」が目的だったのです。だからこそ、彼は保守派でありながら改革派だったと言えます。

 逆に現代には、「改革」という言葉だけが一人歩きしてしまうことがあります。改革そのものが目的になり、新しい制度を導入することが成果だと考えてしまう。しかし小栗は違いました。彼は常に「日本は欧米列強に負けずに独立を維持できるのか」という目的から逆算していました。だから造船所が必要であり、製鉄所が必要であり、人材育成が必要だったのです。現代風に言えば、「経営理念から戦略を考える人」であり、「流行から経営を考える人」ではありませんでした。

 さらに興味深いのは、小栗は「現場」を重視していたことです。

 アメリカへ渡った彼は、本や報告書だけで西洋を理解したのではありません。実際に工場を歩き、銀行を見学し、港湾を見て、造船所を視察し、自分の目で確かめました。現代企業でも優れた経営者は、会議室だけではなく工場へ行き、店舗へ行き、顧客の声を聞きます。現場を知らずに改革だけ叫ぶ人ではありません。小栗は「現場から改革を考える実務家」だったのです。その意味では、彼が現代で最も共感を得られるのは、大企業の中間管理職かもしれません。社長ほど自由ではなく、現場だけを見ていればいい立場でもありません。会社の未来を考えながら、現場の事情も理解し、上層部を説得し、新しい仕組みを作らなければならない。しかも改革には必ず反対があり、成功すれば組織の功績になり、失敗すれば自分一人の責任になります。小栗もまさにその立場でした。彼は将軍ではありません。しかし幕府の未来を背負う実務責任者として、誰よりも大きな責任を負っていました。

 もう一つ、小栗が現代人に教えてくれることがあります。それは「本当の保守とは未来志向である」ということです。保守とは、古い建物をそのまま残すことではありません。古い寺院も、数十年ごとに屋根を葺き替え、柱を交換し、修理を続けるからこそ千年残ります。二十年ごとに社殿を建て替える伊勢神宮の式年遷宮が象徴するように、日本の伝統には「変えることで守る」という発想が古くからあります。小栗忠順も同じでした。幕府という国家を守るためには、制度も技術も産業も変えなければならない。だから彼は、幕臣でありながら日本で最も近代化を推し進めた人物の一人となったのです。その意味で、小栗忠順という人物は、単なる幕末の悲劇の主人公ではありません。「守るために変える」という、一見矛盾するようで実は日本の組織や文化に深く根付いた思想を体現した人物として、現代の経営者、官僚、技術者、そして組織改革に携わるすべての人々に、今なお大きな示唆を与えていると言えるでしょう。

さてこのような人物の物語、来年が楽しみです。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000