「宇田川源流」【土曜日のエロ】 露出が嫌なら見なければよいというインフルエンサーの是非
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 露出が嫌なら見なければよいというインフルエンサーの是非
今週はずっとゴールデンウィーク特集でAIに関しての内容を書いてきたのであるが、やはり土曜日は「土曜日のエロ」出なければ落ち着かないということもあるのではないか。大河ドラマの連載も、日本万歳!もゴールデンウィーク特集にしたのですが、まあ、この土曜日のエロだけはそのまま、この土曜日から平常に戻そうということを考えています。今後とも皆さまよろしくお願いいたします。
さて、ゴールデンウィークの話題といえば、毎年恒例の憲法記念日とか、メーデーとか、なんとなく左牧の人が盛り上がるような話題が多い中、やはり今年あ以外に事故が多かったのが印象的ではないかと思います。岩手県では山菜取りの女性が熊に襲撃されましたし、また茨城県では潮干狩りの男性が海にさらわれてしまっています。福島県では小型船舶での事故で大学生がというように、なんとなく今年は大きな事故が多かったのではないでしょうか。
そのような中で、最も話題になったのが、新潟県の高校ソフトテニス部の遠征で、遠征費をケチったことによって(といってよいのでしょうか)正規のバス会社にバスを頼まず、レンタカーとどこの人だかよくわからない60代の運転手に運転を任せ、事故を起こしてしまい、高校生が一人なくなっているという事故が大きな話題になっています。
さて、「修学旅行」と「部活の遠征」ということは違いはありますし、また、引率の先生(部活の方は顧問の先生と言っていましたが)は、今回は荷物運びと同じになっていますが、免許制度ということでは、辺野古の同志社国際高校の学生が抗議船に乗って転覆して亡くなったのと同じ構造になっています。実際に、二種免許を持っているのかとか、運送に適しているのか、事故歴の有無などを全く検査せず、また、辺野古では旅行会社、今回はバス会社が関与しながら、なぜか会社として対応せずに「素人同然」の人に丸投げしてそのままにしているという構造は「人の命を預かる」という仕事をするのに適しているのかということが大きな問題になります。同時に、高校も学生を預かるということで、とくに乗り物の場合は人の命を預かるということで、その管理体制やチェック体制が甘くなっているのではないでしょうか。
働き方改革と不景気という二つで、「人の命を預かる」という責任感やチェック義務が機能しなくなってしまい、いつの間にか安全であるはずの学校が棄権で命を落としてしまう可能性のある場所になっているということは、あまり良いことではないということではないでしょうか。そのうえ「法的責任さえ回避できればよい」というような考え方が蔓延している現在の日本の雰囲気が大きな問題なのかもしれません。
ところで、「法的責任を回避する」ということでいえば、公共の場所での「肌の露出」も同じ基準で考えてみるとどうなのでしょうか。。
<参考記事>
露出過多で苦情、韓国美女インフルエンサーが一蹴「見なきゃいい」
2026年5月7日 7時0分 スポーツソウル日本版
https://news.livedoor.com/article/detail/31196263/
<以上参考記事>
人の命と肌の露出ということでは、「人の命の危険度」という意味で全く異なるものであり、はっきり言ってしまって、「人の命が危険にさらされる」ことは絶対にゆるせない内容ですが、一方で肌の露出の場合は「喜ぶ人も少なからずいる」ということなのである。
このように核と「喜ぶのやエロの男ばかり」と勝手に決めつける人が多いのですが、実際のところ「全裸主義者」や「露出をすることが好きな人」という種類の人もいるし、また、ダイエットなどをして「自分の体のラインが美しいので他人に見てもらいたい」という人もいる。つまり「見て喜ぶ」人ばかりではなく、「見られてい喜ぶ人もいる」ということは間違いない。
実際に、芸能人の「ヌード写真集」が話題になると、一昔前(私の若いころは宮沢りえさんの「サンタフェ」が話題になったが)は、「何故ヌード写真集を撮ったのか」という質問に対して「自分がきれいなうちに撮っておきたかった」というような答えが必ず帰ってくる。ある意味で、女性も男性も(男性の場合は、筋肉を鍛えるなどで、引き締まった身体になっている人も少なくない)自分の鍛えている、またはストイックに作り出している体に対して「見せたい」という欲望がありまた「賞賛されたい」ということがあるのではないか。
もちろん見る側も、「エロい視線」ばかりではなく「美しい」という観点も間違いなくあるわけであり、フランスのルーブル美術館にある、有名な「ミロのヴィーナス」を見て、上半身が裸であることを「エロ」と見る人はほとんどいないのである。
このように考えれば、「美しさは、エロを凌駕する」ということであり、美しいものを見る時に、エロは基本的には感じなくなってしまうということになるのではないかと考えるのです。
さて、今回の参考記事にあるインフルエンサー。まあ、この女性が美しいかどうかという評価は個人的なものがあるので、そこは私自身を何か言うのは辞めておくということになるのですが、一方で、まあ、この女性の裸を見て「美しい」という人もいるでしょうし、また、「エロい妄想」をする人もいるということになるでしょう。その女性の写真に対して、「控えろ」という意見に対して、「見なければいいのに。見たいのかな」と返したということを言っております。まあ、そのような受け答えがその者であろう。
以前のブログにも書いたのですが、日本のタレントのふかわりょうさんが、ラジオの番組で「ジャスティスハラスメント」ということを言っていました。実際に、肌の露出の多い写真、それもその写真がSNSの上に掲載されていたといっても、実際に「見なければ何の関係もない」ということは間違いがないことなのですし、またわざわざ見て「露出が多すぎる」などという指摘をすること自体がおかしいのです。嫌ならば見なければよい。たったそれだけの事なのです。ではなぜ「わざわざ見て批判をするのか」ということになります。多分、その内容は「嫉妬」とか「その様に批判することに酔って注目を集めたい」というようなことなのであり、「エロ」は「万人によって非難されるべきもの」という差別的な考え方を持っている人々ということなのでしょう。
日本のSNS等では「エロ批判の主張をする人々と、左翼的な思想とが親和性を持っている」」というような形になっており、その内容が「女性差別」というよりは「男性の逆差別」に繋がっているという不思議な構造になっています。これが日本だけの構造かよくわからないので、このインフルエンサーが韓国であるので、この批判者がどのようなことなのかよくわからないのですが、まあ、いずれにせよ嫉妬であることは間違いがないのでしょう。
エロ、性的な感覚、そのようなものがなければ少子化が進みます。その少子化が進んでいる国に、エロのジャスティスハラスメントがあるということが、何か興味深いことになるのです。
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