「宇田川源流」【GW特集 IT時代の日本】 事件簿 スマホ片手にデマ拡散されるSNS時代の光と影

「宇田川源流」【GW特集 IT時代の日本】 事件簿 スマホ片手にデマ拡散されるSNS時代の光と影


今年のゴールデンウィークの特集はAIに関してみています。ゴールデンウィークの後半は、AIの事件簿に関してみています。前回は、IT時代にハッキングやスパイというような話を見てみました。IT時代というのは、ハッキングによって相手の機能をマヒさせることができます。実際に、様々なハッキング事件が起きていますし、また、ある調べでは人質型のハッキング事件に関して、その多くが身代金を払っているという統計が出ています。まさに日本というのは、すぐにお金で解決するというようなことをしてしまうということになってしまいますので、そのような統計が出ています。実際に、同じ統計で「身代金」を払ったにも関わらず、ウイルスを解除されず、金だけとられたということが多くあるということになっています。

このような「金さえ払えばよい」というような感覚が、そのまま「ネット詐欺」に狙われることになるのです。そして、そのネット詐欺もAIによってより巧妙化されるということになっているのです。

さて、今回はそのAiやITによっておこなわれている「デマ」について見てみましょう。

★ ネット上のデマ

 SNS上のデマの問題は、単なる「誤った情報が広がる」という話ではなく、現代の情報環境そのものの構造と深く結びついています。特に災害や事件のように不確実性が高く、人々が強い不安や関心を抱く状況では、情報の正確さよりも「早さ」や「感情への訴求」が優先されやすくなります。その結果、未確認の情報や意図的に作られた虚偽の情報が急速に拡散してしまうのです。

 象徴的な事例として、日本では東日本大震災の際に、「動物園のライオンが逃げた」といった虚偽の情報が広まり、社会的な混乱を招きました。このときはSNSが急速に普及し始めた時期であり、誰もが情報発信者になれる環境の中で、真偽の確認が追いつかないまま情報が流通する構造が明らかになりました。

 世界的に見ても同様で、例えば2020年以降のCOVID-19の拡大時には、ワクチンに関する誤情報や陰謀論が広がり、公衆衛生対策そのものに影響を与えました。この場合、単なる噂話ではなく、人々の行動や政策への信頼に直接影響するという意味で、デマが社会機能にまで影響を及ぼすことが問題になりました。

 こうした現象の背景には、SNSの仕組みがあります。SNSは利用者の関心を引く内容を優先的に表示する傾向があり、感情を強く刺激する情報ほど拡散されやすい構造になっています。デマはしばしば恐怖や怒りといった感情を強く喚起するため、結果として正確な情報よりも広まりやすいのです。さらに、AIの発展によって、もっともらしい文章や画像、さらには動画まで容易に生成できるようになり、情報の真偽を見分けることが一層難しくなっています。

 また、デマにはいくつかの異なる性質があります。単純な誤解や誤情報として広がるものもあれば、意図的に社会を混乱させるために作られるものもあります。後者は国家や組織が関与する場合もあり、いわゆる情報戦や認知戦の一部として扱われることもあります。この場合、目的は単に嘘を広めることではなく、社会の分断を深めたり、特定の政策や選挙に影響を与えたりすることにあります。

 こうした状況を受けて、各国では規制の議論が進んでいます。例えば欧州では、プラットフォーム企業に対して違法コンテンツや偽情報への対応を義務付ける動きがあり、透明性や責任の強化が求められています。一方で、表現の自由との関係もあり、どこまで規制すべきかは非常に難しい問題です。過度な規制は正当な言論まで抑圧してしまう可能性があるため、「何がデマか」を誰がどの基準で判断するのかという問題が常に付きまといます。

 日本でも、災害時の誤情報や、犯罪に関するデマが個人や地域に深刻な影響を与える事例があり、プラットフォームの対応や法的措置のあり方が議論されています。ただし、日本の場合は比較的、規制よりも啓発や自主的な対応に重きを置く傾向があります。

 結局のところ、SNS上のデマは技術の問題であると同時に、人間の心理と社会構造の問題でもあります。不安や関心が高まる状況では、人は確証のない情報でも信じてしまいやすく、それが拡散の原動力になります。そしてAIの登場によって、その情報の生成と拡散がさらに加速しているため、単純に「取り締まる」だけでは対応しきれない段階に来ています。

 したがって、この問題に対処するには、技術的な対策や法制度だけでなく、情報の受け手である一人ひとりがどのように情報を判断するかという側面も含めた、より広い視点での対応が求められていると言えます。

このSNS上のデマをもとに、マスメディアもそのデマを報道してしまうようなことがあります。最近の京都南丹市の小学生誘拐殺人事件においてもSNS上にデマが流れ台湾のメディアがそのまま報道してしまうというようなことがありました。このメディアの元を取らない傾向がよりデマを悪化させているのではないかと思います。その現象は単なる「ミスの連鎖」ではなく、結果としてデマを増幅させる構造になっています。しかも重要なのは、メディアが意図的に不正確な報道をしているというよりも、現在の情報流通の仕組みの中で、そうなりやすい条件が揃ってしまっている点です。

 まず、SNS上で発生したデマは、それ単体では「未確認情報」に過ぎません。しかし一度マスメディアがそれを取り上げると、情報の性質が大きく変わります。メディアには社会的な信頼があるため、「報道された」という事実そのものが、内容の真偽とは別に信頼性の裏付けのように受け取られてしまいます。こうして、本来は疑わしい情報が「確認された事実」に近い扱いへと変質してしまいます。

 さらに問題なのは、その後の循環です。メディアが報じた内容は再びSNSに流れ、「ニュースでも報じられている」という形で拡散されます。この段階になると、元がデマであったことはほとんど見えなくなり、あたかも複数の情報源で確認されたかのような印象が生まれます。つまり、SNS発のデマがメディアを経由することで、信頼性を「増幅」してしまう構造があるのです。

 今回のように海外メディアが関与するケースでは、この現象はさらに強まります。現地事情に詳しくないメディアほど、SNSや他媒体の情報に依存せざるを得ず、その際に「現地で広まっている情報」という形でデマが取り込まれやすくなります。そして海外で報じられた内容が、逆に日本国内のSNSに戻ってくると、「海外でも報道されている」という新たな信頼の根拠として使われてしまいます。こうして、国境を越えた“増幅ループ”が形成されます。

 「元を取らない傾向」が問題を悪化させているという見方は、かなり本質を突いています。ただし、正確に言うならば「元を取らない」というより、「元を取る前に出さざるを得ない圧力が強すぎる」という状況です。現代のメディアは、SNSで情報が拡散した時点で、すでに「報じるかどうか」という判断を迫られます。報じなければ「遅れている」「隠している」と批判される一方、報じれば不確実な情報を広めるリスクがある。このジレンマの中で、結果的に不完全な情報が流通してしまうのです。

 そしてもう一つ重要なのは、訂正の影響力の弱さです。仮に後から誤報が訂正されたとしても、最初に広まった情報の方が圧倒的に強く残ります。人は最初に得た情報を基準に認識を形成する傾向があり、その後の訂正は十分に浸透しないことが多いからです。そのため、一度メディアを通じて拡散されたデマは、訂正されても社会に残り続ける可能性があります。

 このように見ると、問題は単に「メディアが誤報した」という個別事例ではなく、SNSとマスメディアが相互に影響し合うことで、デマが強化されてしまう構造そのものにあります。SNSが発火点となり、メディアが増幅装置となり、再びSNSで拡散される。この循環がある限り、同様の問題は繰り返される可能性が高いです。

 したがって、対策も単純ではありません。メディアの検証強化はもちろん重要ですが、それだけでは不十分で、SNSプラットフォームの対応、情報発信者の責任、そして受け手側のリテラシーまで含めた全体の問題として考える必要があります。言い換えれば、デマは「個人の誤り」ではなく、「情報環境全体が生み出す現象」になっているということです。

★ SNSのデマと規制とリテラシー

まず現実的に言えば、どれだけ規制を強めてもSNS上のデマが完全になくなることはありません。なぜならデマは技術の問題だけでなく、人間の心理と社会の構造から生まれているからです。不安や怒り、関心が高まる場面では、人は「確かめられていない情報」でも受け入れやすくなり、それが拡散の原動力になります。この部分は法律だけで抑えきれるものではありません。

 そのうえで、規制の流れは世界的に見ると確実に強まっています。欧州ではプラットフォームに対して違法情報や有害情報への対応義務を課す枠組みが整備され、透明性や削除対応の迅速化が求められています。アメリカでは表現の自由との関係から一枚岩ではありませんが、選挙や安全保障に関わる偽情報については対策が進んでいます。日本でも、強い直接規制というよりは、プラットフォームへの要請やガイドライン、被害者救済の仕組みの整備といった形で、徐々に関与が強まっています。

 ただし、この規制には限界があります。どこからが「デマ」なのかを国家が決めることには、常に表現の自由との緊張関係が伴いますし、過度な規制は正当な批判や少数意見まで抑え込む危険があります。さらに技術的にも、情報の生成や拡散は国境を越えて行われるため、一国の規制だけで完全にコントロールすることはできません。つまり、規制は「被害を抑える手段」にはなり得ても、「現象そのものを消す手段」にはなりにくいのです。

 だからこそ重要になるのが、社会の側の対応です。特に日本においては、単に規制に頼るのではなく、情報との向き合い方そのものを変えていく必要があります。まず必要なのは、「情報はすぐに信じなくてよい」という前提を共有することです。これまでの社会では、新聞やテレビに出た情報はある程度信頼できるという前提がありましたが、SNSとメディアが混ざり合った現在では、その前提は成り立ちにくくなっています。情報は一度受け取ってから、自分の中で距離を置くという姿勢が求められます。

 また、「拡散に加担しない」という意識も重要です。デマは誰か一人が作るだけでは広がらず、多くの人が無意識に共有することで拡大します。特に感情を強く刺激する内容ほど、事実確認をせずに広めてしまいやすいですが、その一回の共有が結果的に社会的な混乱や個人への被害につながる可能性があります。この点で、情報の受け手は同時に発信者でもあるという自覚が必要になります。

 さらに、日本社会特有の課題として、「空気」による同調も関係しています。周囲が信じている情報に対して疑問を持ちにくい環境では、デマが訂正されにくくなります。そのため、異なる情報や視点を持つこと、あるいは「分からないまま保留する」という態度を許容する文化も重要になってきます。

 そして長期的には、教育の役割が大きくなります。単にITの使い方を教えるだけでなく、情報の信頼性をどう判断するか、どのように複数の情報源を比較するかといった力、いわゆるメディアリテラシーを社会全体で底上げしていく必要があります。これは一朝一夕で身につくものではなく、継続的な取り組みが必要です。

 結局のところ、規制は「外側からの抑制」であり、それだけでは限界があります。それに対して、個人や社会の側で情報の扱い方を変えていくことは「内側からの耐性」を作ることです。デマが完全になくならないのであれば、それに振り回されにくい社会を作るしかありません。その意味で、日本人がこれからやるべきことは、技術や制度に頼り切るのではなく、自分たち自身の情報との向き合い方を再設計していくことだと言えます。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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