「宇田川源流」【GW特集 IT時代の日本】 事件簿 AIに仕事奪われるデモはなぜ起きたか

「宇田川源流」【GW特集 IT時代の日本】 事件簿 AIに仕事奪われるデモはなぜ起きたか


 今年のゴールデンウィークの特別連載はAI・IT時代の日本に関して見てゆこうとおもっっております。ちなみに、毎年のことですが、ゴールデンウィークの連載は、間に私の誕生日が入るため、前半(かあり短いですが)と後半で分けて行うことが多くあります。今回も前半はITとAIという「なんとなく知っているけれども、いまさら聞けない詳しい定義」をしっかりと記載してみました。そのうえで、その内容のリスクを見てきたということになります。

ちなみに、今日の内容とも関係するので、AIのリスクに関して見ているということになります。非常に面白い所があるのではないでしょうか。さて、AIのリスクの中で最も世界的に有名になったのは、「仕事を取られる」ということです。ハリウッドで脚本家がデモを行っているということになります。今回は、その内容を見てみましょう。

★ ハリウッド脚本家デモ

 ハリウッドで話題になった「脚本家の反AIデモ」は、単発のデモというよりも、2023年に起きた大規模な労働争議である 全米脚本家組合ストライキ の中で展開された運動です。このストライキを軸に、内容・主張・経緯・結末を一つの流れとして理解すると、AI問題の本質がよく見えてきます。

 まず発端ですが、これは単にAIだけが原因ではありませんでした。背景には、Netflixなどの配信サービスの普及によって脚本家の収入構造が大きく変わり、「再放送料(残存収入)」が減少し、雇用も不安定になったという問題がありました。そのうえで、そこに新たに浮上してきたのが生成AIの問題です。スタジオ側がコスト削減のためにAIを活用し始めれば、脚本家の仕事が削られたり、価値が下げられたりするのではないかという危機感が一気に広がりました。

 こうして2023年5月、約1万1000人の脚本家が参加するストライキが始まります。彼らはロサンゼルスやニューヨークのスタジオ前でピケ(抗議行動)を行い、制作現場を実質的に止めることで交渉力を高めました。結果として、多くのテレビ番組や映画制作が停止し、ハリウッド全体に大きな影響が出ました。

 このとき脚本家たちがAIに関して主張していた内容はかなり具体的です。彼らは「AIを全面禁止せよ」と言っていたわけではありません。むしろ、「AIをどう使うかの主導権を人間側に残せ」という点に重点がありました。たとえば、AIが書いたものを脚本として扱わないこと、AIによって書かれた作品で人間のクレジットや報酬が減らされないこと、そして自分たちの脚本がAIの学習に無断で使われないことなどです。要するに、「AIが補助ツールになるのはよいが、雇用や報酬を侵食する形では使わせない」という線引きを求めていました。

 これに対してスタジオ側は当初、AIについて明確な制限を設けることに消極的で、「技術の進展について毎年話し合う」といった比較的緩い提案にとどまっていました。そのため交渉は長期化し、ストライキは約5か月、148日間続くことになります。

 転機が訪れたのは2023年9月です。長期化による経済的損失や制作停止の影響が大きくなり、スタジオ側も譲歩せざるを得なくなりました。最終的に合意された内容では、AIについて明確なルールが初めて契約に組み込まれます。具体的には、AIは脚本の「作者」として扱われないこと、AIによる生成物が人間の報酬やクレジットを侵害してはならないこと、そしてAIの使用は基本的に脚本家の選択に委ねられることなどです。

 この合意を受けてストライキは2023年9月末に終了し、その後組合員の投票で正式に契約が承認されました。結果として、賃金や労働条件の改善に加えて、「AIの使用ルールを明文化した初めての大規模労働協約」という意味を持つことになりました。

 この出来事の重要なポイントは、「AIそのものへの反対運動」ではなかったという点です。むしろ、AI時代において創作労働の価値をどう守るか、そして新しい技術の利益を誰が得るのかという問題をめぐる交渉でした。言い換えると、脚本家たちはAIの登場を前提にしたうえで、「それでも人間の仕事として成立する条件」を制度として確保しようとしたのです。

 そのため、このストライキはハリウッドにとどまらず、今後さまざまな業界で起きる可能性のある「AIと労働の衝突」の先例と見られています。

日本におけるAIと創作の関係を考えるうえで象徴的なのが、星新一賞の取り組みです。この賞はもともとSF作家である星新一の名を冠し、「人間とは何か」「創造とは何か」を問いかける性格を持っていました。そのため、かなり早い段階からAIによる創作を実験的に受け入れてきた点に特徴があります。

 実際にこの賞では、AIが関与した作品の応募が認められており、過去には研究者チームがAIを使って小説を生成し、一次選考を通過した例もあります。ここで重要なのは、「AIだけが完全に自律して書いた作品」が評価されたというよりも、「人間とAIがどのように協働したか」という点が問われていたことです。つまり、AIは道具であり、その使い方や構想の設計は人間に帰属するという考え方が前提にあります。

 このような取り組みが意味するのは、創作の定義そのものが変わりつつあるということです。従来、小説や脚本といった創作は「個人の内面から生まれる独創性」に価値が置かれてきました。しかしAIが登場すると、発想の一部や文章生成のプロセスを機械が担うことが可能になります。その結果、「どこまでが人間の創作なのか」という境界が曖昧になります。

 日本の文脈では、アメリカのハリウッドのように強い対立構造が前面に出るというよりも、比較的実験的に受け入れながらルールや意味を探っている段階にあります。星新一賞のようにAI作品を排除するのではなく、あえて取り込むことで「創作とは何か」を再定義しようとする姿勢が見られます。これは、技術に対して慎重でありながらも、完全に拒絶はしないという日本的なアプローチとも言えます。

 ただし、課題がないわけではありません。AIが生成した文章の著作権を誰が持つのか、学習データとして使われた既存作品との関係をどう考えるのか、そして人間の作家の価値をどう守るのかといった問題は依然として整理されていません。特にプロの作家にとっては、AIが下書きや量産を担うようになると、作品の単価や評価基準が変わってしまう可能性があります。

 興味深いのは、こうした動きが単に「仕事が奪われるかどうか」という問題にとどまらず、「創作の主体とは誰か」という哲学的な問いにまで踏み込んでいる点です。AIが書いた文章に感動したとき、その価値はAIにあるのか、それともそれを設計した人間にあるのか。このような評価が仕事を失わせる内容になります。

★ AIに仕事を奪われるというリスクは本当か

 AIが仕事を奪うという議論は、単純に「機械が人間の職を置き換える」という話に見えますが、実際にはもう少し複雑な構造を持っています。象徴的な出来事として、2023年にアメリカで起きた 全米脚本家組合ストライキ では、脚本家たちがAIの活用に強い懸念を示しました。彼らが問題にしたのは、AIそのものというよりも、AIがどのように使われるか、そしてそれが労働の価値をどう変えてしまうのかという点でした。

 まず重要なのは、AIが「仕事そのもの」を丸ごと消してしまうケースは実はそれほど多くなく、多くの場合は仕事の中身を変えてしまうという点です。例えば、文章を書く仕事であれば、AIは下書きやアイデア出し、要約といった作業を高速でこなします。その結果、人間はゼロから文章を生み出す役割から、AIが出したものを修正したり方向付けしたりする役割へと変わっていきます。この変化自体は効率化とも言えますが、同時に「専門性の価値」を下げる圧力にもなります。つまり、これまで時間と経験をかけて身につけたスキルが、AIによって短時間で代替可能になることで、報酬が下がったり、参入障壁が低くなったりするのです。

 ハリウッドの脚本家が恐れたのも、まさにこの点です。AIが完全に脚本を書くというよりも、スタジオ側がAIで草稿を作り、それを低賃金の人間に手直しさせるという構造が広がれば、脚本家という職業の価値そのものが切り下げられてしまいます。これは単なる技術の問題ではなく、交渉力や契約の問題、つまり「誰が利益を得るのか」という構造の問題でもあります。

 さらに、AIの影響は職種によって偏りがあります。単純作業だけが危険だと思われがちですが、実際にはホワイトカラーの中間層、特に「情報を扱う仕事」が大きな影響を受けています。翻訳、事務、マーケティング、プログラミングの一部などは、AIが得意とする領域と重なります。そのため、これらの仕事は完全に消えるというより、「少人数で回せる」ようになり、結果として雇用の総量が減る可能性があります。

 一方で、すべてが悲観的というわけでもありません。歴史的に見れば、産業革命 のときも同様の不安がありましたが、新しい技術は同時に新しい仕事を生み出してきました。AIについても、AIを使いこなす仕事や、AIでは代替しにくい対人関係や創造性を重視する分野では、むしろ価値が高まる可能性があります。

 ただし今回の特徴は、変化のスピードが非常に速いことです。従来は数十年かけて起きた変化が、数年単位で進んでいるため、社会や教育が適応しきれないリスクがあります。その結果、一部の人は新しい環境に適応して恩恵を受ける一方で、適応できない人は急激に仕事を失うという格差が拡大する可能性も指摘されています。

AIに仕事を奪われるという場合、日本の場合、学歴的に大学受験などでは記憶力を試されているということになり、記憶力によればAIに人間が勝てるわけがありません。そのように考えると、日本のエリートが最も仕事を奪われるということになります。「日本のエリートほど真っ先に仕事を奪われる」とまで言い切るのは少し単純化しすぎています。現実に起きているのは、エリート層の仕事が丸ごと消えるというよりも、その中身と価値の付け方が大きく変わるという現象です。

 確かに、日本の受験制度は長く知識の正確さや再現力を重視してきました。いわば大量の情報を正しく記憶し、それを適切に取り出す能力が評価されてきたわけです。しかしAIはまさにその領域を最も得意としています。膨大な知識を瞬時に参照し、一定の形式でまとめるという点では、人間が勝てる余地はほとんどありません。この意味では、従来の「知識量で優位に立つタイプのエリート」は、確かに優位性を失いやすい状況にあります。

 ただし問題の本質は、「記憶力が役に立たなくなる」ということではなく、「記憶力だけでは価値にならなくなる」という点にあります。例えば法律、金融、コンサルティング、研究といった分野では、これまで膨大な知識を前提にした分析や文書作成が重要でしたが、AIがそれを補助あるいは代替できるようになると、人間に求められる役割は単なる知識の運用から、判断や責任、文脈理解へと移っていきます。

 ここで日本特有のリスクが出てきます。日本のエリート教育は、正解が存在する問題をいかに正確に解くかに強く最適化されてきました。そのため、「正解がない状況で判断する力」や「前提そのものを疑う力」は、制度としてはあまり重視されてこなかった側面があります。AIは既存の知識を組み合わせてそれらしい答えを出すことが得意なので、このような教育を受けた人材と役割が重なりやすいのです。結果として、「AIと同じことができる人材」になってしまう危険があります。

 さらに問題なのは、企業の構造です。日本企業は年功序列や長期雇用を前提としており、若手が時間をかけて経験を積みながら中核人材へと成長していく仕組みを持っています。しかしAIが中間業務を効率化すると、その「経験を積むための仕事」自体が減ってしまいます。これにより、将来の幹部候補が育たないという構造的な問題が生じる可能性があります。つまり、単に個人が職を失うというよりも、組織全体の人材育成モデルが揺らぐリスクです。

 一方で、エリート層には依然として強みもあります。制度理解、責任の所在、複雑な利害調整といった領域は、現時点ではAIが完全に担うことは難しい部分です。特に日本の社会では、最終的な判断に「人間が責任を持つ」ことが強く求められるため、この役割は簡単には消えません。ただし、その役割に至るまでの過程、つまり分析や資料作成といった部分は大きく変わるため、従来と同じ能力構成のままでは通用しなくなる可能性が高いのです。

 結局のところ、日本のエリートが直面するリスクは、「AIに完全に置き換えられる」というよりも、「これまで価値とされてきた能力が急速にコモディティ化する」という点にあります。その結果、同じ肩書や学歴を持っていても、AIを使いこなしながら意思決定や価値創出に関われる人と、そうでない人との間で大きな差が生まれる可能性があります。

このようにAIが仕事を奪うようになれば、その仕事に関する評価が全く異なるということになります。その死後との評価が変わることで、価値が全く変わります。そのことで社会が大きく変わるのではないでしょうか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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