「宇田川源流」【土曜日のエロ】 日本人は浮気に寛大なのか?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 日本人は浮気に寛大なのか?
今週も土曜日のエロの日になった。まあ、本当にエロのネタは無くならない。もちろんそれは「エロ」が「人間の本能に基づく」からであり、人間が動物である以上、そして煩悩を持つ以上は、どうしても避けられないことなのであろう。
さて、その前に今週の出来事を見てみよう。
今週、国内では19日の高市首相の解散総選挙への会見であろうか。まあ他にもニュースはたくさんあるのだが、やはり大きなニュースというとこれであろう。基本的に解散をするというのは、内閣総理大臣の大権であり、憲法に記載された内容である。つまり、解散に関して問題であるというようなことをいう人々は、憲法の権利を勝手に自己解釈で憲法の権利を制限するということになる。それは総理大臣の解散の権利だけではなく、そのうち人権なども全て否定するようになってしまう。そのような言説を広める人々は警戒すべきでしょう。
さて解散総選挙は1月27日に公示、そして2月8日地に投開票になるということになり、今後の政治の方向性が決まることになる。さて日本人はどんな選択をするのだろうか。同時に、今回は公明党と立憲民主党が一緒になって中道改革連合という新たな政党ができたらしい。まあ、立憲民主党はそもそも、もともともは民主党政権を担った政党であった。しかし、民主党政権が終わった後になって、安倍政権になったら全くダメになったということになった。まあ、私から見ればもともとダメだったということになるのであろう。そして、後に選挙の時に、都民ファーストの会が希望の党を作ったら、いつの間にかみんな希望の党に移り、それがそののちになって立憲民主党と国民民主党に分離したのである。
その立憲民主党が、また自分の政党をなくして、今度は中道政治連盟だそうだ。政党もまた政策もすべて捨ててしまって権力の座だけを求める彼らのやり方は正しいのであろうか。何か嫌な感じがする。
<参考記事>
日本人は浮気に寛大?韓国人女性の投稿が話題=韓国ネット「実際多いと思う」「人による」
2026年01月04日 12時30分RecordChina
https://news.nifty.com/article/world/china/12181-4828535/
<以上参考記事>
韓国のネット掲示板に寄せられた投稿やコメントを見ると、日本人男性の恋愛や浮気に対する“感覚”が韓国より自由で、それがある意味で寛容に見えるという意見が散見されます。たとえば、日本で出会った男性が「既婚だが別居中だから関係ない」と軽やかに誘惑してきた、といった体験談も投稿されており、浮気に対する倫理観の違いを感じたという声があるようです。
また、韓国的な見方では、日本では連絡頻度が低いことや、風俗や一夜限りの関係を浮気と一概に見なさないという感覚がある、と指摘されています。逆に韓国では、これらは比較的厳しく「浮気」「裏切り」として受け止められる社会的空気が強い、という意見も見られます。
日本社会を考える上でしばしば話題になるのが、「建前」と「本音」の使い分けです。日常生活では恋愛や結婚に関する倫理観についても、社会的な表向き(建前)と、個人の本音や行動がしばしば乖離(かいり)している場面が見られます。たとえば結婚やパートナーへの忠誠は建前として重視されつつも、実際の男女関係や身体的な魅力、夜の逢瀬の誘惑に抗いきれないという“本音のエネルギー”が、表面下に常に流れているのです。
このことは、恋愛や性的関係が一部で「恥」や「禁忌」としてではなく、むしろ人間の本能的な欲求として扱われてきた歴史的背景とも関連しています。神話レベルでも、日本の古代の性文化は自然で神聖なものとして描かれ、性は人間関係や生命の生成と深く結びついてきました。
日本では、古来より“性的好奇心や情欲”が文化の一部として肯定的に語られてきた側面があります。例えば、男女が夜の闇に身を寄せ合い、官能的な逢瀬を楽しむという感覚が、歌や物語、日本文学の古典などでも描かれてきました。これは単に肉体的な行為だけでなく、精神的な結びつきや“人間の本能”として受け入れられてきたとも言えます。
この“柔らかい許容”は、現代の恋愛観にも影響しており、浮気やセカンドパートナーといった関係性が、表面的には否定されても、個人の内面や関係性のあり方として曖昧にされる場合があるのです。ある種の暗黙の了解として、「人間は欲望に揺れるものであり、それを完全には否定できない」という文化的土壌が存在しています。
一方、韓国文化は長く儒教的な道徳観が根強く、家族や血統、義理と責任といった価値が重視されてきました。これらの価値観は、恋愛や結婚関係においても強く働き、不倫や浮気は“倫理的逸脱”として強く否定される傾向があります。韓国社会では、恋人や配偶者への忠誠は道徳的責任として重視され、社会的な制裁や非難の目も強いことが少なくありません。これは日本に比べて「関係性の純潔さ」への期待が高い背景として指摘されています。
この文化背景の差が、韓国人から見た「日本人は浮気に寛容だ」という感覚につながっています。
日本における恋愛観には、「人間は欲望から完全には逃れられない」という暗黙の了解があります。都会の夜、バーで出会った男女が一瞬のときめきに身を委ねるような、微妙で刺激的な関係性が、どこかで“許容される余地”を残しているのです。これは必ずしも道徳の放棄ではなく、「人間の情欲を否定せず、どう調整するか」が文化的に育まれてきたとも言えるでしょう。
逆に韓国では、そのような“夜の化学反応”が社会的に許されにくく、恋愛の始まりから結婚までのストーリーが比較的直線的であるとされます。人間が抱く肉体的な衝動やときめき自体は否定しませんが、それが関係性の枠組みを逸脱することには厳しい評価が下されるのです。
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