「宇田川源流」【土曜日のエロ】 庶民感覚ということは「キャバクラに政治資金で行くこと」なのか?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 庶民感覚ということは「キャバクラに政治資金で行くこと」なのか?
今週も「土曜日のエロ」の日になった。今回の内容は政治家の認識ということを扱ってみたいので、基本的に、あまり前半部分と後半部分(後半が本論なのだが)の内容をあまり合わせる必要がないということになるので、今週の出来事に関しては、事由勝手に書いてみたい。
今週の主なニュースとしては、「中国の空母戦闘機が、自衛隊機に軍事管制用のレーダー照射とそれをめぐる日中のつばぜり合い」ということが最も面白いのではないか。この他にも、高市首相がタフな女性に選ばれたなど様々な話があるが、やはりレーダー照射事件が最も取り上げるべき内容であろう。ちなみに、この問題は、有料メルマガである「宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話」(https://www.mag2.com/m/0001647155)で取り扱いたいので、その内容に関してはこのブログっでは扱うことはないと考えている。そこでここで少し話をしてみたいと思っているのである。そのために、ここのブログでこの内容は、多分(その後の進展で扱わなければならないことが起きない限り)ここだけなのであろうと考えている。
それにしても、皆さんは中国に対してどのようなイメージがあるであろうか。現在の習近平の政治ということに関しては、様々な内容があるのかもしれないが、もともと中国といえば論語や儒教の里であり、また様々な文明の発祥の地であるというようなことがあげられる。儒教の中で最も重要なのは、「徳治」であり、軍事的な強制力を使うことを戯作と教えている。その中国が、台湾を統治(併合)するにあたって、軍事力を使う、または日本の高市発言に対して「徳」を用いないということは、かなり興味深いことではないか。
子貢政(まつりごと)を問ふ。子曰はく、
「食を足し、兵を足し、民之を信にす。」と。
子貢曰はく、
「必ず已むを得ずして去らば、斯(こ)の三者に於(お)いて何をか先にせん。」と。
曰はく、
「兵を去らん。」と。
子貢曰はく、
「必ず已むを得ずして去らば、斯の二者に於いて何をか先にせん。」と。
曰はく、
「食を去らん。古(いにしえ)より皆死有り。民信無くんば立たず。」と。
(顔淵篇12-7)
さて、この票なことを教えていながら、中国自らこれができず、最終的には自衛隊機に対して軍事的な圧力を使う。中国の徳も落ちたものだと嗤うべきであろう。
<参考記事>
維新衆院議員の“政治資金でキャバクラ″に松井一郎氏「自腹で行けよ」橋下徹氏は「はるかにアカン」
2025年12月8日 7時40分 よろず~ニュース
https://news.livedoor.com/article/detail/30157390/
<以上参考記事>
「徳がない」といえば、日本の政治家もそれほど大きな違いがないのであるが、こちらは少し違う。まあ、いたずらに軍事力を使うようなことはしているわけではないので、中国と日本はその規模が異なるのかもしれないが、それにしても「徳がある」とは言えない行動があることも認めざるを得ない。
我々政治記者をやっている人々の、とくに古い人の中に派、「下半身に人格無し」ということを言う人がいる。もちろんそのような政治報道格言をいう人そのものが化石クラスになっているので、なんとも言いようがないし、時代も変わったといえばそれまでの事なのであるが、実際に、少なくとも宇野宗助首相の「三本指スキャンダル」以前は、下半身スキャンダルなどは政治の世界には存在せず、基本的には愛人(当時は「二号さん」などと呼称していたが)がいるのが普通であった。それは与党も野党も同じで、当時の野党政治観の中には、何人も囲っていた人も少なくない。まあ、それだけうまくすみわけができていたり、または、その「二号さん」同志がうまく折衝して物事が収まったりというようなこともあったものである。
さて、しかし、時代が変わって現在は女性関係、女性の男性関係もあるが、それがスキャンダルとして政治生命的には致命傷になる。これも与野党同じであろう。とくに女性議員に関してもそのようなことが少なくないが、そのことに関してはあえて固有名詞は言わないでおくことにしよう。
逆に、今野党議員の女性スキャンダルが少なくない。それも愛人を作るというようなものではなく、「料亭政治」とか「キャバクラなどの風俗営業を政治資金で賄う」ということが多いようである。話題になった「ラブホテル市長」ももともとは立憲民主党の議員で会ったし、今回は維新の会(日本維新の会は今は与党であるが)が、政治資金でキャバクラに行ったということになる。
さて、このことは「庶民」目線でありなおかつ「政治的な考え方の少ない人が、国会議員になった」という時に、その内容が、なぜか「政治資金で風俗営業に行く」「政治資金で料亭に通う」などのイメージがあるということになる。つまり、庶民の間には、今段位「下半身に人格無しの時代の政治」がそのままそこに残っており、そこにあこがれて政治家を目指す人も出てきているということになるのではないか。
残念ながら、庶民がそのような性風俗的な政治をなくし、なおかつ庶民がそのスキャンダルで大騒ぎしているのに、逆に庶民目線を主張している人々、それも野党が、なぜか政治資金で風俗営業や制風俗、果てはラブホテルまで行くのであるから、面白いものだ。それだけ、実は「スキャンダル」が「嫉妬」であるということを意味しているのであろう。
さて、本件に関しては、キャバクラに行っただけであり、まあ、その後「同伴」や「アフター」があったかどうかは不明であるが、はっきり言って、それくらいは自費で行けという松井一郎氏の言葉はまさにそのものであろう。しかし、一方で昔のような「下半身に人格無し」の時代の政治そのものの「効果を見直す」必要もあるのかもしれない。政治家と言えど「聖人君主」ではない。その様に考えた場合、どこまで許容するのか、そのことは一度国民全体が考えるべきなのかもしれない。
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