小説 No Exist Man 2 (影の存在) 第三章 動乱 25

小説 No Exist Man 2 (影の存在)

第三章 動乱 25


 西部戦区から始まる暴動は、その多くは安斎とマララが仕掛けたものであった。

 安斎は、厦門から脱出した後、再度謝思文と会って、詳細を打ち合わせた。そのうえで、謝は、北京の周毅頼国家主席の命令として、西部戦区に対して外国、とくにインドや中央アジアの国に対して警戒をするように命令を出したのだ。もちろん、違法な命令であり、適当なことを行っているのであるが、しかし、その命令があったので、反乱軍などの警戒が手薄になった。

 マララはその間に、西部戦区にある軍人たちに対して共産党に反乱を起こすように説得していた。もちろん軍人にそのようなことを説得できるはずがない。そこで、軍人のゆくカラオケバーでマララも、そしてウイグルやチベットの女性たちがアルバイトをして、軍人を説得したのである。その説得の最中に厦門の「軍人が厦門市民を殺している動画」と「軍に対する中国人民が怒っている」という動画を見せたのである。カラオケバーは連日中国の軍人が増えてくるようになり、下士官だけではなく士官クラスも多くカラオケバーに来るようになったのである。

 そして、安斎がウイグルについて一週間後、すでに厦門では戦争が始まっていたのであるが、その時に一気に反乱軍が蜂起したのである。主力の多くはインドや中央アジア方面に行っている間に、反乱軍が蜂起してしまったために、抵抗できる兵力はほとんどなく、簡単に駐屯地や基地が陥落してしまったのだ。

 そのうえで、安斎やマララなどは成都にそのまま居残り、そのほかの軍隊が北京に攻め上っていたのである。少なくとも安斎は、そのようなことを命じた覚えはないのだが、マララなど、ウイグルの戦士たちは、そのまま北京に攻め上るように命じたのかどうかは不明であった。ただ、ウイグルやチベット、内モンゴルの人々は北京の共産党政府には何度も煮え湯を飲まされているので、共産党憎しで北京に攻め上ったのである。ただ、安斎なども意外であったのは、その速度である。数日で成都から北京に入っていった。これは、当然に戦いながら北京に上ったわけではない。

 多くの市や町が反乱軍を支援し共産党を離れていたということになる。それは行政や警察組織もすべて同様に共産党を裏切っていた。もちろん、表立って共産党の反乱軍に与することはなかった。しかし、反乱軍に抵抗するなどということもせず、食料や弾薬などをこっそりと渡し、そのまま反乱軍を素通りさせていたのである。さすがに表立って協力するということは、共産党を裏切ることになる。しかし、ただ素通りさせるだけであるならば、後で問題になっても、素通りさせて町を守ったと言い訳ができるのである。しかし、そのような行政の態度を見て、共産党に恨みを持っていたり、民主派であったり、というような事情で反乱軍に加わる人は少なくなかったのである。

 もともと少数の西部戦区の軍人が加わっただけの素人の軍人であったが、北京に到着する頃には3倍とか5倍というような数に膨れ上がっていた。そのうえ、共産党に忠誠を誓っているはずの北京市民も雪崩を打ったように反乱軍に加わっていったのである。そのうえ、北京上空に西部戦区のミサイルが到達するにいたり、多くの北京市民が反乱を始めたのだ。

 当然に、厦門のウイルスミサイルを発射した時には、その内容が浸透しており、ミサイル発射前に、安全地帯に避難していた。当然に、荒川や太田から安斎に、そして安斎から北京の最前線に無線連絡が入っていたのである。

「瀋陽に逃げたのか。ここからは遠いなあ。」

 安斎はつぶやくように言った。

「しかし、内モンゴルからは近いです。それに、内モンゴルと満州族は同じ騎馬民族ですから、呼応するかもしれません。」

 満州族は満洲(現東北地方)を本拠に17世紀に清朝を建てた民族である。現代の中華人民共和国の成立以降、満州族のアイデンティティは「歴史的支配層の出自」として記憶され続けている一方で、今日の大多数の満州人は中国共産党(中共)体制の下で中国国民の一部として生活している。少数ながら、皇室系血統や文化言語の復興を軸にした対抗的な感情や距離感が見られることがある。

 満州族は、女真を起源とする集団が統合されて17世紀に満州出身のヌルハチ・ホンタイジらによって清朝が成立し、中国全土を支配した経緯がある。清朝の成立は満州族が国家形成の中核を担った歴史的事実である。

戦前・戦後の満州(満洲)地域は、列強や日本の影響、さらには第二次大戦後のソ連介入・共産党の介入を経て、共産党が最終的に現地の政権基盤を掌握した経緯がある。戦後期に中共は満州の重要な戦略的・物的資源を取り込み、その地域での権力基盤を強化した。

 満州語・満州族の祭祀儀礼・氏族史の保存を掲げる学術・市民団体や地域イベントがある。これらは「民族の記憶を取り戻す」ことを目的とし、主として文化振興の形式を取る。文化的再評価は歴史的優位性の記憶と結びつき、間接的に現体制との距離感を生むことがある。

 皇族(愛新覚羅〈アイシンギョロ〉)の公的存在と象徴的振る舞いを行い、清朝皇族の末裔が公的行事や記念活動、メディア出演を通じて歴史的出自を強調する例がある。皇族出自の公的な可視化は、歴史的正当性や別の政治的・社会的アイデンティティの根拠になりうるため、間接的に中共の一元的なナショナル・ナラティブと緊張を生む場合がある。

 そして、満州国とその跡地をめぐっては、戦前体制・占領期の記憶と戦後の中共支配へ移行する過程が地域の記憶として残る。戦後の権力移行や資源接収をめぐる史実は、地域住民や一部の歴史言説において現在の中央政府に対する違和感や対立感情の背景になることがある。

 地方レベルでの自治や言語復興の要求が、中央の統制や同化政策とぶつかるとき、満州族の別個の民族的アイデンティティを巡る緊張が表面化する。多くは制度内での文化保護という形で扱われるため、直接的な党政府への政治的対抗運動には発展しにくいが、感情的には距離感や不満が残る。

 歴史的に支配者層を出したという記憶は集合的アイデンティティを強くしうる。現代中国は一党体制の下で統一的な国家ナラティブを重視するため、別ルーツの誇りや伝承の強調は、体制が求める単一の民族統合物語と齟齬を生む可能性がある。

• また、満州が戦略的資源地であり、戦後に中共がそこを掌握した過程は地域住民の経験として残り、中央への懸念や不信の一因となっている。

「よし、ではマララさん、そのことをお願いしましょう」

「満州族は、清を作った民族ですから、今の弱った共産党政府ならばうまくゆくかもしれません。」

 

宇田川源流

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