「宇田川源流」【土曜日のエロ】 博多の女性は綺麗といった国民民主党への軽蔑の正体
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 博多の女性は綺麗といった国民民主党への軽蔑の正体
毎週土曜日は「土曜日のエロ」である。ある意味でジェンダーハラスメントとか、セクシャルハラスメントというようなことが言われるようになると、より多くの「エロのネタ」が増える野派、この連載にとっては良いことである。そのエロの話にする前に、今週起きたことを見てみよう。
今週は、やはり小泉進次郎農水大臣の行っている「備蓄米の任意契約による売却と備蓄米の販売」ということになるのではないか。実際に「備蓄米」の販売は「消費者」に対する内容でしかなく、生産者は全く面白くない。そもそも「5キロ2000円」と値段を決めてしまえば、「2000円で小売価格を着けることができるような状況にしなければ、米を生産することができない」ということになってしまう。そもそも「日本の文化を担っている稲作」を「市場経済の中に入れてしまう」ということ自体がおかしいのである。本来は「文化を担っている」ということで特別な扱いを受けるべきであるし、稲作農家が不遇になるというようなことがおかしい。
そして、そもそも「稲作農家の改革」が最も重要であるはずであり、農水大臣というのは、そもそも農業や漁業など一次産業を担っている大臣のはずなのであるが、残念ながら「米の販売に限定した経済産業大臣」のように経済に関する事しかできていない。要するに「消費者目線でしか物事を対処できていない」ということなのである。5キロ2000円で作ることができないということは、そのまま輸送コストなどもすべてその中に包含されるということであり、他の物価の影響があるにもかかわらず末端価格を決めてしまうという乱暴な行為を多くの人が容認できるのであろうか。
市場原理にするということは、当然に生産体制をしっかりと維持するということにつながるはずであるが、備蓄米を放出して値段を下げても話にならない。もっと言えば、「永続的に米価を安定させる」ということにはつながらないということになってしまうのであるが、そのことが小泉大臣や石破内閣が認識しているかはかなり疑問ではないか。
では、その石破内閣に代わる内閣として、数週間前まで注目されていたのが国民民主党である。しかし、代表の玉木雄一郎氏は、昨年地元香川県の観光大使のグラビアアイドルと不倫関係にあることを指摘されてしまっており、また、公認候補は不倫をして議員を失職した山尾志桜里氏を擁立している。そのうえ榛葉幹事長がセクハラ発言をしていることによって、一気に信用を失っているということになる。
<参考記事>
「やらかしすぎ」国民民主党 榛葉氏の“博多の女性きれい”発言&山尾、須藤擁立…オウンゴール連発で支持者離れの危機
2025年05月27日女性自身
https://news.nifty.com/article/domestic/society/12268-4146917/
<以上参考記事>
私自身は「発言だけで様々なことを言うつもりはない」というスタンスであるし、私自身、榛葉幹事長程度の発言は簡単にするであろうということになる。先日某所で「生まれながらのことを発言しなければよい」ということであるが、綺麗な人を見れば綺麗だといってしまうのが、人間であるのだから仕方がない。しかし、その綺麗な人というのは、相手側の主観で「この人には言われたくない」「この人に言われると、虫唾が走る」などのことが出てくることになるので、まあ、仕方がないのかもしれない。
さて、山尾氏の擁立などで、「国民民主党」というような感じよりも「国民不倫党」というような声もSNSで散見されるようになった状態では、政権を担っても、「様々な国でハニートラップでやられてしまう」というような脆弱性を持った政党が政権を担うことができるのかということになってしまう。
まあ、特に不倫をしたわけではないが、少なくとも有権者の認識はあまり良いものではない。一方有権者も、「政治家に成人君主を求めるな」ということがあるのは一般的であろう。政治家などは、愛人も少なくないというのが普通であるのであり、「性的にも盛ん」で「健啖家」という漢字が「政治もできる」ということになる。逆に言えば、「そのように遊ぶことができる人物でなければ、政治の仕事もうまくできることはない」ということになってしまい、男女ともに、そのへんの別な欲求をしっかりとやってもらいたい。要するにプライベートなどよりも、政策を重視すべきというのが、少なくとも昭和までの政治家に対する庶民の問題意識であった。これは「国民の多くが生活が困っていてよりよい政治を求めていた」ということであり、「政治家のプライベートよりも政策を重視する」ということになるのと同時に、「それだけ日本が発展してゆかなければならない危機的な状況であった」ということになる。
しかし、現在の政治家は「恵まれた大国」であり、「危機感が少ない」中でなおかつ「政策などはあまり関係なく、人気投票的に政治家を選んでしまう衆愚政治」の状況であり、政治家そのものを政策ではなくイメージで選んでしまっていると言ことになる。そのような状況を作り出したのが、小泉劇場選挙と、民主党政治であり、その民主党の片割れである国民民主党が、自ら作り出した衆愚政治によって「不倫党」と言われてしまっているのは、ある意味で因果応報ということになるのであろうか。
「不倫は文化だ」というような言葉があった。そのことばを発言したというタレントは、「私はそんなことは言ってはいない」という趣旨のことを言っているが、まあ、そのへんは、本人の記憶と記録とは異なる所があるのかもしれない。しかし、戦国の三英傑織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の「ホトトギスの俳句」のように、本人がやっていなくても、その人のイメージに有れば、その印象がついてしまう。まさに国民民主党はその意味で「異性にだらしがない」というような「エロ党」というような印象がついてしまうのではないか。私としては、それはそれでネタの供給源であるからありがたい話であるが、残念ながら、政治家としてはそれでは大成しないのかもしれない。もう少し、国民が政策本位で選挙に臨むようにならなければ難しいのではないか。
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