「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 「自分で頑張る人を助ける」という蔦屋重三郎の助け方が今の人の心に響く
「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 「自分で頑張る人を助ける」という蔦屋重三郎の助け方が今の人の心に響く
毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」に関して好き勝手なことを書いている。まあ、本当に好き勝手なことを書いているので、制作にかかわっている人やファンの皆様に怒られてしまうかもしれないが、今のところまだだれにも怒られていないので今のペースで続けてみようと思っている。
さて、今回は「唐丸」の話であろう。唐丸に関しては、渡邉斗翔さんが非常に好演していたことと、行方不明になって同心と川に嵌った(わざと殺して落ちたということになっているが)で死体が上がっていないことなどから、どこかで生きているのであろうというような話になっていた。その為に唐丸の小隊はのちの東洲斎写楽であるとか、喜多川歌麿であるとか、または葛飾北斎であるというようなことが言われた。
前回(先週)の会で「北川豊章」という絵師がいて、様々な画風をかき分けていたことから、蔦屋重三郎(横浜流星さん)が唐丸ではないかというように考えるというストーリーである。このストーリー展開から唐丸は喜多川歌麿であったということが言われていたのである。そこで今回は喜多川歌麿についてみてみよう。
姓は北川、後に喜多川。幼名は市太郎、のちに勇助(または勇記)と改める。名は信美。初めの号は豊章といい、天明初年頃から歌麻呂、哥麿と号す。生前は「うたまる」と呼ばれていたが、直接本人を知るものが居なくなった19世紀過ぎから「うたまろ」と呼ばれるようになったようだ。この辺の「うたまる」と呼ばれていたことから「からまる」と「うたまる」というように今回の制作陣はうまくつなげたのであろう。
天明2年(1782年)刊行の歳旦帖『松の旦』に「鳥山豊章」「鳥豊章」の落款例があり、一部の美人画にも「歌麿源豊章」の落款と「鳥山」の落款印があることから、歌麿を師である鳥山石燕の子であるとする説もあり、それによると青年期の歌麿が放蕩生活の末、蔦屋重三郎の食客となったことが縁で、蔦屋の本姓の喜多川姓を名乗るようになったといわれている。
生年に関しては、没年(数え54歳)からの逆算で1753年(宝暦3年)とされ、また出身地も川越説と江戸説が有名であるが他にも様々ある。要するに幼少期や生まれに関しては全くわかっていない。鳥山石燕のもとで学び、初作は1770年(明和7年)、北川豊章名義の、絵入俳書『ちよのはる』の挿絵1点。歌麿名義では、1783年(天明3年)の「青楼仁和嘉女芸者部」「青楼尓和嘉鹿嶋踊 続」が最初期と言われる。歌麿は背景を省略して白雲母を散りばめ、更にそれまで全身を描かれていた美人画の体を省き顔を中心とする構図を考案した。これにより、美人画の人物の表情だけでなく内面や艶も詳細に描くことが可能になった。歌麿は遊女、花魁、さらに茶屋の娘などを対象としたが、歌麿が取り上げることによって、モデルの名はたちまち江戸中に広まった。これに対して江戸幕府は世を乱すものとして、度々制限を加えたが、歌麿は判じ絵などで対抗し、美人画を描き続けた。1804年(文化元年)5月、豊臣秀吉の醍醐の花見を題材にした「太閤五妻洛東遊観之図」(大判三枚続)を描いたことがきっかけで、幕府に捕縛され、手鎖50日の処分を受ける。織豊時代以降の人物を扱うことが禁じられていたからである。これ以降、歌麿は病気になったとされる。
今回は、この喜多川歌麿を、染谷将太さんが演じている。染谷将太さんといえば、私には明智光秀を主人公にした「麒麟が来る」の織田信長役が印象に残っているが、今回はどうであろうか。
<参考記事>
【べらぼう】唐丸が復活し壮絶な身の上話に「辛すぎる」の声
5/11(日) 20:46配信東スポWEB
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5f3f7ae6256ad4c76ca8527972228b054213c54
<以上参考記事>
今回のストーリーは唐丸(渡邉斗翔さん)として登場していた人が、後の喜多川歌麿(染谷将太さん)になるということ、そしてその唐丸の反省があまりにもすさまじい内容でそのことから精神的に病んでしまっていたということが語られた。
現代の人々の中にも「今までの自分が良くなかったから、自分を罰するために自分は不幸のままでよいのだ」というような思想を持つ人は少なくない。育った環境が悪い人が不良になってしまったり、または、何か失敗した人が卑屈な考えになってそれ以降頭角於表すことができなかったりということがある。その中には、今回の唐丸のように「自分を必要以上に攻めてしまい、そのことによって当たり前のこともできなくなってしまったり自信喪失をしてしまう人が少なくない」ということが上げられる。「5月病」と言われるものがあるが、現在新入社員による退職代行利用などが話題になっている。その中で「自分の思ったものと違う」として辞めてしまう新入社員もいるが、一方で「一カ月で自信を喪失してしまい、そのまま会社を辞めてしまう」というような人もいる。その「5月病」のこの時期に、ドラマの中とは言え、このように失敗が幼少のころから続いている人に対して手を差し伸べる物語をすることは、非常に有難い話ではないか。
「俺を助けたいみたいなこと言ってたけど、助けちゃいけねえんだよ、俺みたいなゴミは。さっさとこの世から消えちまった方がいいんだ」という唐丸に対して
「俺はお前のことを助けらんねえわ」というが「お前が生きてえっていうならいくらでも手を貸すぞ」と手を差し伸べる。「俺の役目はお前を助ける。俺はお前を助ける」。
この蔦屋重三郎の言葉は「人を100%頼っていては今までと同じ。そうではなく、自分で何とかしようとするならば、助けてあげる人はいくらでもいる」という今の日本の現状をしっかりと出しているのではないか。「助けてくれない」などと不満を言う暇があれば「自分でもがきながらも頑張れ」という今の若者に対するメッセージがうまく込められている。
今でいう戸籍がなかったということに関して、頭を下げながらも、殴られながらも人別帳をもらい、唐丸を一人前にする。影で努力していることを全く出さずに、唐丸のために頑張る蔦屋重三郎の姿にも感動する。我々大人は、そのようにして「頑張っている人に助けの手を差し伸べる」ということが重要なだけではなく、その人のために自分のこと以上に頭を下げて皆に協力を仰ぐということが重要なのではないか。
今回は「人の助け方」「人の助けられ方」という、今の日本人が最もできていないことが、うまくドラマの中に抱えていたのではないか。
何かとても良い物語を見たような気がする。
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