「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 さらば平良源内・源内を悪人にしなかった手腕に感服

「宇田川源流」【大河ドラマ べらぼう】 さらば平良源内・源内を悪人にしなかった手腕に感服


 毎週水曜日は、NHK大河ドラマ「べらぼう」について、歴史小説作家として私の勝手な内容を書いている。今回は「さらば、平賀源内」ということなので、本編に入る前に安田顕さん演じる平賀源内に関して少し見てみよう。

平賀源内は、讃岐国、現在の香川県さぬき市志度の辺りの生まれである。生家である白石家は讃岐高松藩の蔵番という足軽相当の身分の家である。源内自身は、もともと信濃国の平賀家が武田信玄に滅ぼされたのちに伊達家に仕え、苗字を変えて白石家と名乗った者であり、その伊達家の家臣が宇和島家の伊達家に一緒になって四国にわたり農民となったとの言い伝えがあり、その子孫なので平賀と苗字を変えたと主張している。

宝暦2年(1752年)頃に1年間長崎へ遊学する。身分が低いはずの平賀源内がなぜ遊学できたのかは不明であるが、高松藩は水戸藩の支藩のような感じで発展してきており、第5代藩主・頼恭は、将軍吉宗の、薬や農産物の国内生産の研究を奨励するとの方針に添う形で城下の栗林荘(現在の栗林公園)に薬草園を作らせた。ここには藩内の優秀な学者を招聘したので、そのような流れから優秀な人を遊学させたのに違いない。

長崎で本草学とオランダ語、医学、油絵などを学んだとされる(詳しい資料はない)源内は、大坂、京都で学び、さらに宝暦6年(1756年)には江戸に下って本草学者田村元雄(藍水)に弟子入りして本草学を学び、漢学を習得するために林家にも入門して聖堂に寄宿する。宝暦11年(1761年)には伊豆で鉱床を発見し、産物のブローカーなども行う。物産会をたびたび開催し、この頃には幕府老中の田沼意次にも知られるようになる。明和3年(1766年)から武蔵川越藩の秋元凉朝の依頼で奥秩父の川越藩秩父大滝(現在の秩父市大滝)の中津川で鉱山開発を行い、石綿などを発見した。

安永3年(1774年)、蔦屋重三郎が改めた吉原細見『細見嗚呼御江戸』の序文を福内鬼外名義で執筆。この辺はドラマで出てきている場所である。安永5年(1776年)には長崎で手に入れたエレキテル(静電気発生機)を修理して復元する。話題となったエレキテルを高級見せ物にすることにより謝礼を貰い生活費とし、余興まで加えて見物客の誘致に努めた。鉱山開発の指導や戯作・浄瑠璃まで書き散らした文芸活動も生活費を稼ぐためだった。

安永8年(1779年)11月20日夜、神田の源内宅に門人の久五郎と友人の丈右衛門が止宿していたが、明け方に彼らは「口論」となり源内は抜刀。両人に手傷を負わせ、久五郎は傷がもとで死去。源内はこの事件が起こる前から、よく癇癪を起こしていたとされる。翌21日に投獄され、12月18日に破傷風により獄死した。享年52。

土用のウナギを食べる習慣を作ったり、または、戯曲などで様々な文学作品をやっていたが、しかし、どれも本業とはならない。現代でいえば「何でもできる器用貧乏」で「いつも借金取りに追われていた」というようなイメージの人物ではないか。しかし、「一般の人よりもかなり先を言ってしまっていて、万人に理解されない」という天才はいるのだが、まさにそのような天才であったのかもしれない。死後、約150年たった大正13年(1924年)、従五位を追贈されている。

<参考記事>

壮絶…「べらぼう」ヤスケン劇場が凄まじ過ぎた 「こんなに辛いとは…」「涙が止まらない」

2025年4月20日 分 シネマトゥデイ

https://www.cinematoday.jp/news/N0148463

<以上参考記事>

 上記に史実というか、記録に残っている平賀源内について書いた。しかし、ドラマでは全く違う書き方になっていることは、見た方ならばよくわかっているだろう。

今回の平賀源内は、「いい人」であり「悲劇の人」である。そして、その平賀源内と田沼意次(渡辺謙さん)を陥れるのが徳川治斉(生田斗真さん)ということが、今回平賀源内の蔦屋重三郎(横浜流星さん)に向けた原稿を最後に燃やしているシーンですべてが見えてきたのではないか。逆に言えば、今後「平賀源内の遺志を継ぐ」とした須原屋(里見浩太朗さん)や、蔦屋重三郎も、もしかしたら徳川治斉に狙われるという展開もありうるのではないか。

作者の森下先生は、この物語を、逆にわかりやすくするために「大きな陰謀を仕掛ける黒幕」と「その黒幕に翻弄されながらも、必至に自分の役割を果たす正義」という対立で描こうとしているのではないか。その大きな陰謀の行く先は、現在の10代将軍徳川家治(西島秀俊さん)の後継問題で今後出てくるということになるのではないか。実際に、今までということになれば田安家の当主、そして先週に「幻の11代将軍」といわれた徳川家基(奥智哉さん)や、幕府に忠誠を誓っている松平武元(石坂浩二さん)も暗殺してしまっているのであるから、なかなかの手際である。田安家をつぶし、その後継者を松平定信として白河藩に追いやり、その後、次々と邪魔者を暗殺するだけでなく、残された人々を全て田沼意次が黒幕であるかのように仕向け、内部で対立させている。暗殺によってお互いがつぶし合うような形にしているのであるから、かなり巧妙であるということが言えるのであろう。

今回の平賀源内の死も、そもそもは田沼意次が平賀源内に徳川家基の死の新装を探らせ、ある意味で天才であった平賀源内は、手袋に毒が仕込まれていたことをすぐに見破った。しかし、その手袋が田沼意次が送ったものであるということまで分かり、平賀源内は、田沼と縁を切る形になる。

そのような所にうまく入り込んで、「田沼が仕向けた」というような形でまずは大工を入れてタバコ、というよりは「アヘン」を吸わせ、そのうえで幻覚を見させて、最後にはその煙草を手配した大工を殺した罪を着せてしまうということなのである。田沼意次にしてみれば、下手に助ければ、将軍を殺した犯人ということになってしまうので見殺しにするしかなかったということになる。同時に、その平賀源内が狙われた原因が「死を呼ぶ手袋」である、いやそのことを小説にしようとしたという行為であるということがわかった田沼は、間違いなく、次回以降「真犯人と戦う」ということになることが期待される。

田沼意次にしてみれば、疑われながら真犯人を探すということなので、かなり大変になるが、それがどのようになるのかを、今後うまく見てゆくことになる。

一方で平賀源内を慕う人々は、墓を建て、そして、「罪人の遺体は引き渡されない」という法から、「平賀源内はまだ生きている」ということにしてその志を引き継ぐようになる。まさに、そのことが、蔦屋重三郎の運命を大きく変えることになるのであろう。

平賀源内の死で、一つの節目になった。次はどうなるのであろうか。期待してしまう。

  なお来週はドラマはないということなので、この連載もどうしようか悩んでいるところである。まあ、そのような「途中の番組」もあるので、なんとなくここで一区切りという感じがするのかもしれない。

宇田川源流

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