小説 No Exist Man 2 (影の存在) 第二章 深淵 29
小説 No Exist Man 2 (影の存在)
第二章 深淵 29
北京空港に入った荒川は、周囲を警戒した。もちろん、すでに荒川が来ていることは共産党の幹部にとってはわかっているはずである。しかし、その様に考えれば、この北京空港にいる全員が彼らのスパイのように見える。いや、正確に言えばこちらがスパイなのであるから、味方の方が少ない。多くの敵とそれに敵に近しい中国国民、そして、ほんの一握りの身内がいるだけの話だ。つまり、ここの国から日本に戻るまでの間、緊張が解けることはない。
ただ今回は、香港経由で太田寅正の銀龍組も来ているはずである。また協力して虎徹会の西園寺公一も来ていると聞く。そして敵対するというか、今回中国共産党と組んでいる津島組の松本も来ているようだ、まさに、日本の暴力団組織が総出で中国に来ている。そのような意味では日本人であるからと言って気を許すこともできないが、しかし、そのことで味方も普段よりは多く入っているという。
「それにしてもなあ」
荒川は独り言を言った。日本のODAで巨大な空港ターミナルを整備したが、中国人たちはそのことを理解していないし、そもそも、まったく感謝などはしていない。以前の空港と変わったところは館内放送に日本語が入ったくらいで、あとは何も変わっていないのだ。
「さてタクシー乗り場は」
スタンドで買ったコーヒーを飲み終わり、そのカップをごみ箱に捨てる。本来このように不用意にごみを捨ててしまえばDNAを取られるということを心配すべきかもしれないが、すでに、中国共産党はあらゆるデータを持っているのに違いない。その様に考えれば、いまさらコーヒーの入っていたカップを捨てても、捨てなくても関係ないのだ。
「お車をお探しですか」
安斎である。
「まだ北京にいたのか」
「とりあえず車を待たせたる」
「雇ったのか」
「もちろん、ホテルのリムジンを取った」
そんなことをすれば目立つのに違いない。ホテルの車に録音装置がある可能性もある。しかし、無下にする必要もない。コーヒーカップと一緒でいまさらという感じである。
「それにしても、俺が今日北京に入るってどうしてわかったんだ」
「ホテルの部屋に匿名のメッセージがあったよ。」
要するに中国共産党は荒川が入ることも、そして安斎が北京にいることも、そして二人が行動を共にしていることもお見通しだというメッセージである。ハリフが死んだことなども知っているのであろう。もしもそうであるとすれば、マララなどもハリフの死などを知っていることになる。
それにしても安斎はそれらのことを全く考えていないということなのであろうか。それともまったく気にしていないのであろうか。
「忙しくなるな」
安斎がこれほど鈍感であるとは思わなかった。まあ、そこまで知られているならば、ここでタクシーに乗ったところで同じだ。荒川は車に乗り込んだ。
「一応、荒川として中国に入るのは初めてだからね」
「ああ、前回は沖田さんだったね」
「そういうことだ。」
「ならば北京市内を一応ご案内しないとね。車は半日借りてあるから」
「いくらだった」
「400元。日本円で1万円だ」
「そうか。それならば万里の長城をまず見に行こうか」
北京というのは、もともとは燕京という都市で、中国の春秋戦国時代に燕という王国がここに首都を置いていたことに由来する。しかし、この年は、春秋戦国の他の封建領主だけではなく、来たから匈奴などの騎馬民族の襲撃を受けていた。その襲撃を防ぐために馬で超えることのできない城を築いたのである。それが万里の長城である。逆に言えば、この北京という田舎町を首都にしたことによって周辺を開発できる。そのことが北京の発展の理由である。そもそもは環状線の道路がありその道路の中を開発して都市としていたが、今や第二、第三の環状線ができている。その代わり、2000年代には大気汚染もひどく、電気自動車に移行するしかなくなっていたのである。
北京空港は北京の北にある。当然に騎馬民族は都市の北からやってくるので、その騎馬民族の来る北との境界線に万里の長城を作っている。つまり市内の方向に向かうのではなく、安斎の借りたリムジンは北京とは反対側の北の方に向かったのである。荒川は、そんなことで負けるとは思わなかったが、北京空港に来るほとんどの車は南の北京市内に向かっている。そのことから、あえて北に向かった。周辺を見渡せば、追いかけてくる車はわかるであろう。まあ、衛星か何かで追跡されていたら、全くわからないという感じかもしれない。
万里の長城の後、急に天壇に向かった。
天壇とは北京の中心部にある。日本の画家梅原龍三郎氏が「天壇」という絵を描いていることで日本でも有名ではないか。明朝から清朝にかけて、皇帝が天に対して祭祀(祭天)を行った宗教的な祭壇で、現在はその周辺を含めて公園となって整備されている。
「まさかこのようなところにいらっしゃるとは。いやいや、お久しぶりです。荒川先生。」
天壇の前で突然中国人が無理に話している日本語が聞こえた。謝思文である。間違いなく、こちらに向かっていることを察知して、ここに来たのに違いない。
「どうやってここにいることを知ったのですかな」
謝は、特に否定することもなくにっこりと笑った。
「ああ、あなたが安斎さんですね。初めまして謝と申します。ちなみに、車は帰しておきました。」
「何を勝手なことを・・・」
「まあ、そのかわりに私の車でご案内しますよ。何しろ荒川先生は北京が初めてという事でしたからね」
なるほど、車の中にマイクが仕掛けてあったということであろう。車にマイクとGPSがあればどこにいるかだけではなくどこに向かっているのかもすぐにわかる。安斎の下手な北京語を聞き取るのではなく、多分、日本語でそのまま解釈したのであろう。
しかし、ここで遭遇するというのは、殺すつもりでもなさそうである。
「さて京はこの天壇の後に、面白い場所にお連れしましょう。」
「そのまま殺されてしまうのかな」
「まさか。荒川先生は我々の重要な友人であると思っております。」
謝は、またにっこりと笑った。
0コメント