「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 この世おば 我が世とぞ思う 望月の・・
「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 この世おば 我が世とぞ思う 望月の・・
毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」に関して、好き勝手なことを書いている。本当に好き勝手なことを書いているので、そのうち怒られるのではないかとも思いながら、なんとなくそう思ったということをそのまま書いている感じだ。しかし、SNSなどを見ていると私と同じような見方をしている人が少ないような感じなので、何か見る時の一つのエッセンスにしてもらえれば嬉しいかもしれない。
さて、今回はあの有名な和歌が出てくる。
この世おば 我が世とぞ思う 望月の 欠けたることも 無しと思えば
この歌は藤原実資などが後世に伝えている「小右記」等に書かれたものであり、私が学生時代の教科書などでは、道長が息子頼道に関白を譲り、自分の血族で朝廷を独占した絶頂期を表して歌った和歌であると習ったものである。しかし、今回のドラマは何かそのような感じがしない書き方ではなかったか。
ドラマの中の藤原道長(柄本佑さん)は、政敵である三条天皇(木村達成さん)を退位に持ち込み、確かに権力的には絶頂期であったかもしれない。しかし、自分の娘である女院の藤原彰子(三上愛さん)、皇太后の藤原妍子(倉沢杏菜さん)、そして後ろ一条天皇の皇后となった藤原威子(佐月絵美さん)は、いずれも「父である道長の道具とつかわれた」として、道長を恨むように心が離れてしまっており、また、自分が今まで父兼家や、または一条天皇、三条天皇にしてきたように、自分が身を引くように言われてきたというような感じである。ある意味で「熟年離婚されて家族も心が離れてしまい、仕事も引退し、終活を始めようとしている」ちうような時期である。権力の絶頂というよりも、権力の座から引きずり降ろされ、時代の狭間にかろうじて残っているようなところである。
「欠けたることもなしと思えば」は、今回のドラマで「これからは欠けてゆく一方、そして最後には光を失った新月となって、誰にも知られないうちに消えてゆく」というような悲哀に満ちた歌に聞こえたのである。
何故、ドラマの中で藤原実資(秋山竜二さん)に返歌を求めたのであろうか。ある意味で、自分のみじめな姿を笑ってほしかったし、また、自分の姿を正直に言ってほしかったのではないか。藤原実資が、ある意味で「好敵手」でもあり、また「親友」でもあり、そして「男性の中の理解者」というように考えていたのではないか。その理解者が自分のことをどのように見ているのか。そのことが最も気になっていたのかもしれない。
そして、もう一人の理解者が、まひろ(吉高由里子さん)であったのではないか。
<参考記事>
「光る君へ」まひろの父為時役・岸谷五朗「できる娘を持った誇らしさと寂しさがある」 吉高の凄みは「目」
11/17(日)スポニチアネックス
https://news.yahoo.co.jp/articles/d9bef2ca668a1e319dbe0c8a7f30171071dd5022
<以上参考記事>
そのまひろも、徐々に「年齢を重ねてゆく」ことになる。道長の家が、すでに息子頼道(渡邊圭祐さん)の代になっている。この時代は長和6年(1017年)であると想定され、藤原頼道は26歳、道長は50か51歳という感じであろうか。このころから道長の山井はかなり悪化する。実際に、この二年後に出家し、氏に引きこもるようになり、1027年に薨去することになるのである。この時代の道長は、かなり体調も悪かったのに違いない。
このように「役職を退いた後は、剃髪して出家する」というのがこの時代の貴族の習わしであったようだ。
まひろも、ほぼ同年代であるから50歳前後であろう。当然にその父は、平安時代で子供を産むのが早かったとしても、70前後であろう。その父為時(岸谷五朗さん)が出家するということが今回言われた。
出家するということは、俗世を離れるということになる。賢子(南沙良さん)が、慌てて「お寺に行ってしまうの」というように、この時代の出家に関して視聴者のために解説的な会話をしてくれているのでありがたい。
早くに(といってもドラマでは第1回の最後だから早すぎると思うが)妻ちやは(国仲涼子さん)を殺されるということで亡くし、そのうえ、その妻の仇の家である藤原兼家(段田安則さん)に頼らなければ、家計を維持できないというような状況であったのだから、男性として悔しさはいかばかりであったか。しかし、娘のまひろが源氏物語を作り、そして、藤原道長との関係で女房として収入を得られるようになった矢先に、今度は息子が無くなってしまうというような悲劇を繰り返した。まさに、不遇の一生であったと思う。
その様に考えれば、様々な感想が合えると思うが、その中で、じっと耐えて家を守る姿は、ある意味で、「日本男児の鑑」ということができるのかもしれない。目立たないが、格好いい、というような、そのような男性たちが、日本の歴史を支えてきた。そしてそのような男性たちを、夜素晴らしい女性たちが各家庭や、心の中で支えてきたという感じではないか。
そのような様々な夫婦の形が、このドラマでは書かれている。その夫婦の形が、様々に、現代の男女の心に刺さるのではないか。そんな気がする。
これからは「道長や、まひろの引き際」という、最も難しいところにかかってくる。あと4回。楽しみである。
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