「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 一条天皇の崩御を美しく描くことで・・・

「宇田川源流」【大河ドラマ 光る君へ】 一条天皇の崩御を美しく描くことで・・・

 毎週水曜日は、大河ドラマ「光る君へ」に関して好き勝手な感想を書かせてもらっている。今回の内容は一条天皇(塩野瑛久)の御病気と譲位、そして崩御という状況が美しく書かれ、その内容に関して、そこにかかわる人間模様をうまく書いている。

ドラマというのは、もちろん、人間の作り物である。そのことから、病気という事も、まるで人間が毒を盛ったり、または何か疫病神に命令して憑かせるがごとく、うまく「人間が病気にさせる」というようなことが見えてくるのではないか。いくら「呪術を信じている時代」であっても、そして東寺の権力者である藤原道長(柄本佑さん)がどのように力があっても、科学的に言えば、病気を政敵に着けるようなことはできないわけであり、そこはうまく偶然が重なるなどのことがあったはずである。

さて、一条天皇は、そもそも円融天皇が、藤原兼家によって強引に廃位させられ、その後譲位されて一条天皇として即位する。この即位式に関して、血が着いた高御座を、道長が袖で拭って、これで何もなかったかのように即位式を行った描写が、ドラマの中に書かれていた。ある意味で、「道長」がしっかりと「一条天皇の即位の時から支配していた」ということを示唆するエピソードではなかったか。

その後、円融天皇の室で藤原兼家の娘、道長の姉である藤原詮子が女院として支配していた。そして、その女院の死後は左大臣だった藤原道長に支配され、最終的には藤原道長と対立してゆく。

記録に残る一条天皇は、自身が天皇親政を行うつもりでいたともいわれており、また、ドラマに描かれているように、自分の第一御子である敦康親王(片岡千之助さん)を東宮(現在でいう皇太子)ににする予定であった。自分の後は三条天皇(木村達成さん)と決まっていたために、その三条天皇の東宮を決める問いことが必要であったということになる。しかし、その後継も一条天皇の自由にはならなかった。

さて、この時に「公家」集はどう思っていたのか。

そもそも敦康親王ご誕生の時は、藤原実資(秋山竜次さん)

の日記『小右記』には「中宮が男子を産んだ。世に『横川(よかわ)の皮仙(かわひじり)』と云う。」と記された。これは「出家らしからぬ出家」という意味で、落飾しながら子を儲けた中宮に対する陰口である。一方で同じ日の藤原彰子の女御宣旨については『小右記』に詳しく記されていることから、出家した身である定子の出産が、当時の貴族の支持をいかに得ていなかったかが分かる。そしてその当時の中宮藤原定子(高畑充希さん)の出家は、先週薨去した藤原伊周(三浦翔平さん)が円融院の牛車を襲撃したということが問題であり、なおかつ、薨去する前も呪詛事件を起こしていることから、敦康親王を天皇にすることは、あまり考えられていなかったのではないか。

<参考記事>

「光る君へ」一条天皇役・塩野瑛久が3分にわたる迫真のシーン!行成にも同情殺到

10/20(日) シネマトゥデイ

https://news.yahoo.co.jp/articles/c73b11a51de5702402e1f00ee5fc99fbdc8ebb0a

<以上参考記事>

 要するに、道長は自分の権力争いをしたなかでも、それだけではなく、うまく藤原伊周の横暴を使ったということがあげられる。一条天皇もまた、今回重要な役割をする蔵人頭の藤原行成(渡辺大知さん)も、はじめ目には第一皇子が天皇になるべきといっていたが、最後には敦成親王に代わっている。藤原伊周の呪詛事件というのは、非常に大きな問題になっているということになる。皇室を呪詛する人の親族を天皇にすることはできない。後見人の話が出たのはまさにそのような意味である。

道長と対立する人を、伊周の場合は「執念にかられた人物」というように書かれたのであるが、一条天皇に関しては、美しく崩御するというように書いた。これが「一条天皇も伊周・道長の権力争いの犠牲者」であるというようなことに対照的に描いている。道長の執念もありまた、伊周の執念もあり、その執念の犠牲者が、一条天皇まで及んでしまったということになる。

そして一条天皇が犠牲者になったという事は、そのまま藤原定子皇后、そして中宮藤原彰子(見上愛さん)まで及び、それが、彰子と道長の親子の確執にまでつながったということになる。

伊周と道長が対立しているが、しかし、中宮彰子と皇后定子というようなところにも全く対立はなく、本来東宮の争いをするための敦康親王と、敦成親王との間も全く関係的ないというところが非常に皮肉にできている。周辺の関係が悪くないのに、伊周の執念が、廻りに影響を及ぼし、そして、その周りの影響が悲劇を生んでゆくという「一つの執着が

廻りの影響を及ぼし、周辺に悲劇が拡散してゆく」ということをうまく書いている。そこに執念がなく、そして対立がなければ、すべてうまくいっていたのに違いない。しかし、その対立が、様々な問題を生んでしまう。

今の世の中も同じであるが「一つ歯車が狂うと、全体がおかしな方向に向かってしまう」というような事がある。そのような事件をうまく風刺し、ドラマに取り入れている。

さて、もう一つ今回のドラマで見たいのは「まひろ(吉高由里子さん)」である。

なんと主役なのにセリフがほとんどない。いつの間にか藤原道長の物語になっており、まひろがほとんど出てきていない。そのうえ娘の藤原賢子(南沙良さん)が、誘拐されてしまいそれを双寿丸(伊藤健太郎さん)に救われる。この成り行きはまひろが若かったころの直秀(毎熊克哉さん)との関係に重なる形になる。まひろの場合はそこで道長と微妙な三角関係位なるのだが、そこに「親子」を重ねている。この重なりが藤原兼家(段田安則さん)と藤原道長の関係と重なるようにしているところが、うまい演出であると思う。「親子で、対立しているようにみえるが、いつの間にか親子で同じことをしてしまっている」ということがそのままうまく書かれている。ある意味で、藤原彰子も、記録によれば、今後「女院」として権勢を誇り、藤原詮子と同じか、それ以上の影響力を持つようになる。道長が兼家に対抗していながら、いつの間にか権力のために家族を犠牲にしてゆくのと同じように、詮子と彰子、そしてまひろと賢子というように「世代を超えて同じようなシチュエーションを繰り返してゆく」ということがあるのではないか。そのような意味で「エピソードを似せてリピートを意識させる」ということが、なかなか面白い。その意味では、まひろがいろいろとセリフを使うのではなく、何もセリフがない方がうまく様々なことが見えてくるように視聴者を誘導している。それがまた面白いところなのではないか。

  ある意味で「血筋」「運命」からは逃げられない。そのことをうまく書いているところが、今回だけ見ている人と、初めから続けてみてい人、どちらも楽しめるような作りになっているということが、このドラマの今回の面白さかもしれない。

宇田川源流

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