「宇田川源流」【土曜日のエロ】 女性を接待する「女性ホスト」とはなにか?
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 女性を接待する「女性ホスト」とはなにか?
今週も土曜日のエロの日になった。毎週本当にエロの話が出てくるのであるが、やはりそのエロの話の中に、「人間の本質」や「現代の日本人の性質」が見えているのではないか。単純に「表面しか見ない人々」には全くわからない、人の深層心理の部分がどの様に動いているのかということが見えないと、世の中を見誤ってしまうということになる。当然に「エロ」という、人間の本質の部分において、世代ごとに全く異なる内容が見えていれば、その基本となる考え方も変わってくるし、「人(好きな人という言いを含め)との付き合い方の違い」ということも見えてくるのではないか、人間の付き合い方が見えなければ社会も政治もわからないということになってしまうのである。
その「人づきあいが下手」の石破茂首相が解散をした選挙期間中なのであるが、なかなか興味深い動きになっている。「人づきあいが下手」な人の特徴として、これは政治の世界だけではなく一般論として言うのであるが、基本的に「自分の近くの人の事しか見えていない」ということになる。昭和世代の局さ暴力集団などもそうであるが「広く世界規模で世の中を俯瞰する」ということができないのが、人づきあいが下手な人の特徴になってしまい、その俯瞰する能力がないことが、そのまま「極端な思考」に走る傾向につながる。「古今東西」という言葉があるが、まさに、「歴史的な内容」や「地理的に広く世界で俯瞰する」ということになれば、必ず似たような状況がありその内容を見れば、どの様な結論になるのかが見えてくる。しかし、人づきあいが下手な人は、そのような状況が見えるものではなく、狭い範囲とその狭い範囲で見える少ない情報で物事を判断してしまうということから、基本的には判断を誤る可能性が高い。特に、情報が少なく、判断できない部分を自分の思い込みや、想像によって埋めてしまい、その思い込みや妄想を現実と錯覚してしまうことから、判断の誤りの幅が大きくなりなおかつ、習性も聞かなくなってしまう。
「こうなるはずではなかった」というような形が基本的な内容になるのであるが、残念ながら、本人がそれに気づくのは、ずっと後、結果が出て冷静になった後なので、勝負時には全く使えない。冷静さを欠いた判断が全体を引きずり込んでしまう。
今回、石破自民も、また野党各党もいたような状況にあるように見える。
さて、まさに冷静な判断力を書いているのは、ホストクラブに行っている客も同じことである。
<参考記事>
「男性といるより興奮する」歌舞伎町に異変、「女性ホスト」がホスト業界で急増していた…!
2024年10月4日 10時0分 現代ビジネス
https://news.livedoor.com/article/detail/27307484/
<以上参考記事>
さて女性の社会進出と同時に女性の「夜の世界への進出」も行われている。しかし、女性は今まで社会的な免疫がなあったことから、ホストクラブなどに嵌ってしまう人が少なくないという。
基本的に、現在の「女性運動」を見てもわかるように、女性の人々は「自分たちが特別に頑張らなければならない」というような感覚を持っており、女性と男性の平等というよりは、基本的には「男性を虐げ従えること」を目的としているような部分が多い。今回も「何故女性の議員数」が問題なのかがわからない。本来であれば、「女性の立候補者数における当選者数」ということを目的にして率で物事を換算すればよいのであり、それは理数系の大学の入学者であっても同じだ。そのうえで「そもそも機械が均等にあればよい」」野であり、女性だけ下駄をはかせるような採点はおかしいということではないか。しかし、そのような「女性の特別扱い」を求めるということは、まさに男性を超えることを目的としているのに過ぎないのである。
当然に、女性の中には、「社会に出ることが苦手」というひともいるであろうから、そのような人々が、自分の意思に反して社会に出されてしまって、頑張ってしまうと、自分が褒められたいとか、頑張らなければならないというような、「義務感」があり、そこで「ほめられたい」というような欲求になる。女性には当然に「お姫様願望」がある人がいて(もちろんそうではない人もいるが、)その人々が、一般の社会でストレスを感じることによって、逆にホストクラブなどに嵌ってしまうということになる。
と、わかったようなことを言っているが、一応インタビューや取材の結果、そのようなパターンが最も多く、ある意味で、ホストクラブに嵌ってしまう女性の場合、その一部においては「女性運動」や「女性の社会進出」という社会的圧力による「被害者」であると認識している人も少なくないということになる。なぜか、この女性の社会進出というような話になると、「社会に出たくない女性」という存在を認める多様性が全くないということに、不思議を感じることになるのである。
さて、そのような、つまりあまり社会に出たくなかったり、または普段頑張りすぎている女性の中には、「男性に嫌悪感」を持つ人もいないわけではない。そこで「ホストクラブの女性ホスト」という存在が出てくる。そもそも「女性」なのであるから「ホステス」であろうが、そうではなく「女性ホスト」なのであろう・
基本的に、例はよくないが、女性同士で「かわいい」というようなことを言ったり、または女性の相手に対してあこがれを持つ女性は少なくないし、何よりも宝塚歌劇団の女性ファンのようなものもある。女性が女性に恋をしたり、または女性が女性に接待されるということに関して、その内容をあまり否定することはなく、まあ「ホステスではなく女性ホストである」ということが最も特徴的なのであろう。
女性ホストは、徐々に増えており、銀座のママのように、多分そのうち「カリスマ女性ホスト」が出てくるのではないか。この点、男性がホストクラブに通って男性ホストに熱を上げるということは、あまり聞かないのであるが、いわゆる「新宿二丁目」の「男性ホステスバー」もあることから、この辺も同じなのかもしれない。
要するに、「女性の社会進出」にしたがって「女性の夜の世界の進出」も多くなり、そして、その女性のための夜の世界も徐々に発展しているということに他ならないし、また、その夜の世界の発展がかなりの速度で行われているということになる。女性運動をしている人々は、当然に「光が強ければそれだけ影が濃くなる」ということをよくわかっているのであろうか。まさに、女性ホストというのは、その影の濃さが増したということに他ならないのである。そして、そのうち「小学生のあこがれの職業がキャバ嬢」の様に「女性ホストを目指す学生」が出てくることになるのであろう。なんとなく、元の世界に戻ることはできないのであろうかと思ってしまうものである。
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