「宇田川源流」【日本万歳!】 【訃報】 ドラえもんの声、大山のぶ代さん逝去

「宇田川源流」【日本万歳!】 【訃報】 ドラえもんの声、大山のぶ代さん逝去


 毎週月曜日は「日本万歳!」をお届けしている。

さて、「万歳!」都市ながら訃報をお届けするのは、かなりの不謹慎であると思うが、「万歳!」はコーナー名(連載名)であるので、外せないのでお許し願いたい。今回の内容が素晴らしいのは、「ドラえもん」という漫画に、「命をふき込んだ」というその内容があまりにも素晴らしく、本来であれば、生前にお話しすべきであるという感じがするのであるが、しかし、なんとなく機会を失ってしまって、逝去された時を中心にその内容をお届けしているということになるのではないか。

当然にドラゴンボールやワンピースなどよりもはるかに昔、アニメの世界ではこの「ドラえもん」よりも古いアニメを探す方が難しいというような状況になってしまっているのが、「ドラえもん」ではないか。はっきり言って、日本の国民であれば、ほぼ全員が知っているのが「ドラえもん」である。

その草創期、1979年にアニメ化が始まり、その当初からドラえもん声を担当しているのが大山のぶ代さんであった。

<参考記事>

さようなら、ドラえもん 大山のぶ代さん苦悩と葛藤 女優で大成目指すも声優イメージ出来上がり…

10/12(土) 4:30配信スポニチアネックス

https://news.yahoo.co.jp/articles/18be5e898e4e866723f40b13bb8702845daf2899

<以上参考記事>

 この参考記事によれば、大山のぶ代さんは声優・ナレーションの仕事に悩んでいたという。もともと女優である大山さんは、実際に私も小さい頃は刑事ものなどのドラマや時代書き水戸黄門にも出演していたような気がする。しかし、大山さんの希望とは全く異なるように、それらのドラマでもまた時代劇でも、我々からすれば「ドラえもん」二しか見えなくなってしまっている。それだけ、我々には大山さんの「ドラえもん」はかなり強烈な印象があった。

当時、のび太もしずかちゃんもいたのに、やはり、ドラえもんを代表していたのが大山さんではなかったか。

逝去において、二つのエピソードが改めて流された。

一つは「僕。ドラえもんです」というの派、大山さんのアドリブであったとのこと。なんだかわからない印象の「猫型ロボット」が、突然現れて自己紹介もしないのはおかしいということから、まず自分の自己紹介をしたというのである。そのまま採用されて、使われたわけであるが、しかし、そのアドリブのセリフが、そのまま「代表的な言葉」になるとは、本人も思っていなかったのではないか。

実際に机の中がタイムマシーン担っているわけだし、ドラえもんというのは、謎の生き物である。それを「自己紹介する」という「非常に現代(1970年代)の日本の常識に合わせた内容」がそのまま出てきたことが面白いのではないか。そしてそれがドラえもんを代表する言葉になっているということである。

もう一つは「原作者の藤子不二雄Fさんが、『ドラえもんってこんな声だったんだ』といったんです」という言葉である。現在のドラマも、アニメもすべてそうであるが、一つは、画風や、そのセリフなどで、キャラクターが決まるのであるが、もう一つにはやはり声の印象で、そのキャラクターの印象はガラッと変わるものである。当然に、藤子不二雄Fは、自分のイメージしていた声があったと思う。その声は、もっと美しい声であったのかまたは、ロボットであったから機械的な声であったのか、または、猫的な声であったのかという事であろう。しかし、「どら猫」の低い声がそのまま日本語を話しているような大山さんの声は、少なくとも我々視聴者のドラえもんの声にぴったりとくる。

大変申し訳ないが、海外でドラえもんの番組をやっていると、当然に子供番組であることから、地元の声優がアフレコをしている。もちろん、そもそも猫型ロボットであるから、ドラえもんの声などはどんな声でもよいはずであるが、我々は、やはり大山さんの声でないと、しっくりとこない。なんとも言えない違和感がある。ドラえもんは、まさに大山さんの声によって「完成された」ということになるのではないか。

今回の「万歳!」のポイントは、まさにここである。

本人が悩みながら、また、思考錯誤しながら、たまにはアドリブを入れながら行った内容が「最終的な感性をさせる」ちうことであろう。もちろん原作者が自分のイメージがあるが、その内容を他の人々もみんなで自分の内容を持ち寄り、そして、皆が悩み試行錯誤をしながら、一つの者を完成させる。それが、子供から大人まで親しまれ、そして、そのまま長年生き続ける。これが日本のモノづくりの原点でありまた究極の慣性系なのであろう。アニメが日本のソフト文化を代表するものになっているが、その草創期に、アニメーションとはこのようにして作るものであるというレジェンドが、ここにあったのではないか。

まさに、ここに、日本のすべての原点があるのではないか。

当然に1979年つまり、10歳の宇田川少年はそのようなことも考えずに、ただ面白くドラえもん見ていた。いや、面白く見ていたから、今になっているのであろう。当然に、現在の代替わりした声優さんたちが良くないとか、大山さんよりも劣っているとかそういうものではない。当然に、「一番初めに試行錯誤してイメージを作る人の苦労」と「二番目以降に作られたイメージを継承し、そのうえでより発展させ時代に合わせてなじませる苦労」は全く異なるものであろう。その意味で現在頑張っている皆さんのすばらしさは、また別な輝くを持っていると思う。しかし、やはりその初めの苦労をした人には、賞賛を送る価値があるのではないか。

改めて、大山のぶ代さん、ありがとうございます。ご冥福をお祈り申し上げます。

宇田川源流

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