「宇田川源流」【お盆休みの幕末偉人伝】 集団としての新選組

「宇田川源流」【お盆休みの幕末偉人伝】 集団としての新選組


 今週は、お盆休みということで「幕末偉人伝」をゴールデンウィークに引き続き行っている。幕末の人々について、幕末の小説を複数出している小説家として、とりあえず「専門家」っぽく解説をしながら、その人を小説に書く場合の「キャラクター」をここに書いてみたいと思う。

前回は「井伊直弼」を見てきた。終戦と戦争の関係に最も近い感じで見てきたが、そのように考えれば、時代的にはさまざまな意味で昭和と江戸御幕末は似ているのかもしれない。いずれも国運を売らないような状況であり、その内容が非常に大きな内容として国内外の対立につながるということになっているのではないか。

さて、今回は「新選組」という集団を見てみたい。もちろん集団だけではなく、もちろん近藤勇や土方歳三などのメンバーに関しては、別な機会にしっかりとやりたいと思う。法人格ではないが、実際に「新選組」というものが一つの生き物のように動き死して人気があるということになる。そこで今回は新選組を見てみたい。

★ 新選組

 公武合体という思想があった。水戸学が始めた「尊王攘夷」という思想は、朝廷と幕府というような二つの権力ヒエラルヒを認識させてしまった。もちろん藤田東湖や水戸学が、その権力構造を作り出したわけではない。しかし、今まで幕府だけが権力構造の頂点であったというようにしか思っていない内容が、新たな権力ヒエラルヒを発見することによって混乱をきたすことになる。

さて、少し蛇足であるが、実際にこの「武士のヒエラルヒ」と「公家というヒエラルヒ」の二つのヒエラルヒをうまく使ったのは、何も幕末が初めてではない。江戸幕府ができる前、室町幕府の時には織田信長も豊臣秀吉も、他の戦国大名もすべてこの二つの権力構造を良く知り尽くしていた。織田信長は、そもそも守護代という地位を得ていながら上総介という公家の官職も持っていた。そのように公家の官職の高位である右大臣というようになったところで、武士のヒエラルヒを崩壊させた。つまり、室町幕府が滅びたのである。

その後徳川家康が幕府を開くが、しかし、その後またヒエラルヒが二つになり、その対立が出てきた。織田信長の時は、武士側の織田信長が幕府を滅ぼしてしまった。

さて、幕末に話を戻そう。幕末は、室町幕府にならないように、公家と武家を合体させて双方が戦うことを避けようと考えた。

その結果が「皇女和宮の降嫁」である。まさに、皇女和宮は、孝明天皇の妹であり、有栖川宮熾仁親王の許嫁であったが、その婚約を完全に破棄させ、公武合体の理念のために和宮は第十四代将軍家茂に嫁ぐことになる。しかし、一方で、有栖川宮は当然に幕府への恨みを募らせることになる。

さて、このことで、天皇が兄で将軍家茂が義理の弟となる。当然に将軍が京都に挨拶に行かなければならない。そのようにすることによって、初めて公武合体がなる。しかし、討幕派も出てくるということになるので、護衛が必要になる。そこで、一つには京都守護職の会津藩松平容保、将軍補佐の桑名藩松平定敬、薩摩の島津久光、そして一橋家の徳川慶喜が補佐することになる。しかし、見てきたように一橋家は領土を持たない。そのために水戸藩が軍を貸し出すことにしたのである。この時の軍隊に中に藤田東湖の息子藤田小四郎が入っており、長州藩にそそのかされて天狗党の乱を引き起こしてしまうことになる。

さて、もうひとつ、それでも軍が足りないということと、治安維持のため、浪士を目しか変えて組織するということを庄内藩の清河八郎が提案する。庄内藩は酒井忠篤が藩主であり、江戸守護職を任されることになる。将軍や主だった幕臣が京都に行ってしまった後で、幕政は老中が行うが、江戸市中の警備などを庄内藩が行っていたことになる。この庄内藩は生真面目でなおかつ幕府に対する忠誠心が高かった。そのことから、最終的には庄内藩が薩摩藩の江戸藩邸襲撃事件が起きてしまい、その始末として鳥羽伏見の戦いが起きてしまうのであるが、それはのちの話である。

さて、この清河八郎の献策によってできたのが浪士隊になる。集まった200名あまりの浪士たちは将軍上洛に先がけ「浪士組」として一団を成し、中山道を西上する。浪士取締役には、松平上総介、鵜殿鳩翁、窪田鎮勝、山岡鉄太郎、松岡萬、中條金之助、佐々木只三郎らが任じられた。

 京都に到着後、清河が勤王勢力と通じ、浪士組を天皇配下の兵力にしようとする画策が発覚する。浪士取締役の協議の結果、清河の計画を阻止するために浪士組は江戸に戻ることとなった。これに対し近藤勇、土方歳三を中心とする試衛館派と、芹沢鴨を中心とする水戸派は、あくまでも将軍警護のための京都残留を主張した。ここで芹沢鴨を中心にした巨湯と残留組は壬生浪士隊となる。これに対して江戸にもどった部隊は、庄内藩が面倒を見て新徴組という組織になり、明治時代になるまで庄内藩に目しか買えられることになる。

その壬生浪士隊が、内部分裂を起こしながら、最終的には会津藩に召し抱えられる形で京都市内の警護を行うようになった。これが新選組ということになる。

慶応3年(1867年)10月に将軍・徳川慶喜が大政奉還を行った。新選組は旧幕府軍に従い戊辰戦争に参加するが、初戦の鳥羽・伏見の戦いで新政府軍に敗北。この際、井上源三郎が戦死。榎本武揚が率いる幕府所有の軍艦で江戸へ撤退する。この時期、戦局の不利を悟った隊士たちが相次いで脱走し、戦力が低下した。

その後、旧幕府側から新政府軍の甲府進軍を阻止する任務を与えられ、甲陽鎮撫隊と名を改め甲州街道を甲府城へ進軍するが、その途中甲州勝沼の戦いにおいて板垣退助率いる迅衝隊に敗退する。ふたたび江戸に戻ったが、方針の違いから永倉新八、原田左之助らが離隊して靖兵隊を結成。近藤、土方らは再起をかけて流山へ移動するが、近藤が新政府軍に捕われ処刑され、沖田総司も持病だった肺結核により江戸にて死亡。その後会津そして最終的には榎本武揚と函館に入って戦うことになる。

★ 実像は?

 さて、こういうことをいうと良くないのかもしれないが、はっきり言ってしまって、新選組というのは、「浪士隊」であり、まともな教育を受けていないまたは、情報不足の農民に毛が生えたような剣術自慢の集まりである。本来水戸派の芹沢鴨や、伊東甲子太郎などを中心にしたものであれば、もう少し様々な情報が入り考える集団になったのかもしれないが、天然理心流の東京の八王子の田舎者(現代の八王子が田舎といっているのではない)が中心の人々であれば、仕方がないということになる。

そのような意味でいえば、まさに「槍で風車に突撃するドン・キホーテ」と同じで時代遅れの戦いをする人々である。

この理由は簡単で、一つは「武士にあこがれた腕自慢の農民」ということであり、もう一つには「そのやり方で結局は召し抱えられている」ということである。単純に農民は土一揆などが起きないように情報も制限され鉄砲などの仕様も制限されている江戸時代の日本で、刀以外にその腕を鍛える方法はないということになるのである。その中での腕自慢は、一つには情報等ではなく、ある意味で無頼者の集団になってしまうということになる。なぜならばまじめなものは農民をそのまま続け、田畑を耕すことを中心に行うからであろう。もう一つは武士にあこがれているという事だ。つまり、武士とは刀を持った特権階級と思っているのであり、事務仕事などを行う人という役目を全く考えていない。そのように考えれば、彼らが「旧態依然とした剣道の延長線上に武士を考えていた」というようなことになり、鉄砲と大砲と黒船の時代に、刀で対抗するというようなことになってしまうことになるのではないか。その時代遅れ感が半端ないのである。

しかし、なぜか日本人はこのような「時代遅れで、保守的でありながら、その中に道を見出し、そして精神的なつながりを重視する」という物語を好きなのである。このような物語を好むことが、日本人の「保守的思考」につながっているものと考えられるしまた、その美意識こそが日本を物語っているものであるというように感ずるのである。

まさに、「新選組」は「時代遅れを大まじめのやるロマン(決して悪口ではない)」ということになるのではないか。現代で、浅草や京都の嵐山の観光で、和風などを着て歩くことを楽しみにする人が多い。外国人ばかりではなく日本人の中にもそのような人が多いのであるが、そのような「心」の中に、この「時代遅れを大真面目にやるロマン」と同じ流れがあるのではないか。

そして、もう一つは「圧倒的な強さの前に、敵わないとわかりながらも戦い、そして散ってゆく姿」ということも日本人は大好きである。まさに「新選組は日本人がこよなく愛する散る美学の結晶」ということが言えるのかもしれない。逆に、時代遅れであり、なおかつ死ぬということがわかっているだけに、人の心というのは純粋になりなおかつ相手を思うということが非常に良く出てくる。その表現も人それぞれということになり、そしてその内容が、日本人の涙腺に響く物語を作り出すのである。

「時代遅れのロマン」と「自己犠牲」というこの二つがあり、それが新選組の美学につながる。その二つの要素は「人減の純粋さ」を表しているということになるのではないか。そして日本人の保守的な思想(そのように自分で認識している人も少ないと思うが)をうまく形作っていると言ことになる。

そのようなことから、新選組を扱った小説は少なくないし、また、漫画などの創作物はどれも人気である。もちろん私はすべて読んだわけではないのであるが、まあ、どれも作者の思い入れがたっぷりと入った作品になっている。

ある意味で「幕末」が、時代として人気があるのは、子尾の新選組の役割が大きい。もちろん当時は京都のような「洗練された上流社会」の中に「無頼浪人の集団」が入り込むのであるから、かなり嫌われていたということになるのであるが、まあ、その辺は物語になるとかなりきれいに脚色されることになる。しかし、この新選組の動きは、一つは思想的な内容ではないという事、もう一つには、上層関係ではなく下級武士団の抗争ということで終わってしまうので、ある意味で「人気のある物語」の範囲を出ないという事もまた真実なのである。

そのように考えると、「幕末時代の現代への広報」としての役割を果たしている集団であるということが言えるのかもしれない。

宇田川源流

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