小説 No Exist Man 2 (影の存在) 第二章 深淵 7

小説 No Exist Man 2 (影の存在)

第二章 深淵 7

「陛下」

 現在の日本のマスコミ報道では、基本的に皇室や皇族の「公務」に関してのみマスコミが報道し、その内容を見て、皇室や皇族の相互のかかわりなどは全く出てこない。そのために、例えば「旧皇族」といわれる人々が、普段何をしているのか、またその人々が皇室とどのような関係になっているのかということが、あまりよく知られていない。

 そもそも「旧皇族」とは、もともと皇族として爵位も持っていたし、陛下の公務を補佐する役目にあった人々であり、その中で、皇室と特に血のつながりが深い人々のことを言う。ちなみに、皇室・皇族(旧皇族を含む)・華族(旧華族を含む)というのは原則で「長子相続」ということが原則になっているので、血のつながりが深いというのは、長子相続を行い家をそのまま家を存続させている人のことを言う。基本的に血がつながっているから、家系図的につながっているからどこまでも良いというものではない。また、「家を相続している」ということが要件であるために、例えば品行方正ではないとか、変な相手と駆け落ちをしたなど、嫡男としてふさわしくないということになると、「廃嫡」ということになり、血がつながっていてもそのつながりを断ち切られてしまうということになる。逆に、そのような多くの要件が重ならないと、皇室とは近いというようにされないのであるのは皇室に何かあった場合には、その皇族から天皇が選ばれるということになるからに他ならない。要するに「いつ天皇への践祚があっても大丈夫なようにしていなければならない」ということが求められる。

 旧皇族というのは、太平洋戦争において、アメリカと戦い敗戦した。そのことの責任を取って、戦争を皇族として主導したということで、参謀総長の伏見宮系列の皇族がすべて皇族としての資格を「政治的に」はく奪されたということを意味している。一つは「伏見宮系列」ということで、皇族の中の11家がはく奪されたのであり、そうではない家柄に関してはそのまま皇族として残っている。そして、もう一つは「政治的に」ということであり、それは、華族が亡くなったことによって華族としての爵位や刺客をすべて失ったということと、もう一つは、国家から給与、歳費、屋敷などのを提供されていたものがすべて失ったということを意味している。例えば、現在「東京都庭園美術館」となっている目黒区白金台の建物は、もともとは朝香宮の屋敷であった。戦後その屋敷をそのまま首相になった吉田茂が住んだことによってそのまま残され、そして吉田茂の首相引退後(吉田茂は静岡県三島市に移住する)東京都に寄付され、そのまま保存されて現在に至るのである。旧皇族の人々は、歳費もなくなったので、自らサラリーマンとして働かなければならず、通勤などをしていた記録が残る。

 しかし、ここに書いたようにあくまでも「政治的に」はく奪されたということであり、天皇と旧皇族が血がつながっていることは間違いがないしまた、親族であるということも当然のことである。特に、旧皇族の家であっても、皇族と同じような要件でしっかりと家柄をついている家は少なくない。そしてそのような人々は「政治的」「公務的」なことは関係ないものの「親族としてのプライベートな会合」では当然に一緒になる機会は少なくない。

 天皇皇后両陛下は、もちろん、プライベートもあれば、国体などに行った場合も当然に親族などが集まったり、プライベートな時間はある。そのような時に「親族として」会うことは可能である。そうではなくても、例えば趣味の為に呼んだり、何か近くの寄ったということで遊びに行ったりということは当然にある。もちろん我々一般人とは異なり、その場合は様々な警備があったりまたは、事前の調査があったりということもあり、すごいことになるのであるが、しかし、天皇皇后両陛下にとっては、それが普通なので特におかしな話ではないのである。

 この時は、天皇皇后陛下を招き、親族の食事会が行われた。

 旧皇族の嵯峨朝彦と、東御堂信仁は、食事会に招かれていた。天皇もこの二人の事情はよくわかっているので、嵯峨と東御堂は、近くの座席に案内されていた。食事をバイキング形式で採ってきて着席で食事をするスタイルである。だいたいの場所を指定されるが、そこまで厳密ではない。旧華族の江戸時代の大名家などの人々も食事会に参加している。天皇皇后は、一応すべての参加者に声をかけるが、当然に、親しい人とそうではない人との間では、一緒にいる時間は異なる。そして嵯峨朝彦や東御堂信仁のように、時間がかかるとわかる人は、最後に回されるのである。

「嵯峨さん、東御堂さん、ごきげんよう」

 陛下は、普段は人前で何かを食べるようなことは見せないのであるが、ここはあくまでも親族の会である。そのようなタブーもなく、片手に料理を乗せた皿を手に、二人の座るテーブルに近づいてきた。すぐ後ろに侍従が飲み物を持ってきたが、陛下はすぐに手で侍従を下がらせている。

「様々ありましたね」

「京都の一件以降、お健やかに過ごされているようで、安堵いたしました」

 このような時のやり取りは、嵯峨よりも東御堂の方が得意である。

「いやいや、あまり体験できない体験をさせていただきました。そういえば、あの時、一緒にドライブをした方はお健やかに過ごされているでしょうか」

 京都で暗殺計画があり、都市博の会場で爆破事件があった時に天皇を車に乗せて東御堂と荒川が車で逃げたのである。「あの方」とは当然に荒川の事であろう。

「はい、我々とともに」

「そうですか。では、何か新しい話が有るのでしょう。また、楽しい体験ができることを、

少し楽しみにしております」

 現在の天皇は、自分の一人称を「朕」とは言わない。基本的には「私」または「僕」というような一人称を使うことがほとんどである。これも戦後の改革の一つなのであろう。そして、そのことに違和感がないように、あまり一人称を使った発言もしいのである。

「あんなに肝を冷やすのは、さすがにもう体験したくないですな」

 すでに会食も後半になっているので、かなりアルコールが回った嵯峨は、多少ろれつが回らない言葉で言った。陛下は、そんな嵯峨を温かく微笑みながら見ていた。

「さて、陛下にご相談が」

「何でしょう」

 やはりこのような難しいネタを陛下に直接聞くのは、東御堂信仁の方である。

「今回、羽田の倉庫および長崎市において新種の病原菌が出てきており、数名の犠牲が出ております。」

「病気ですか。あまりニュースでやっていないのでわかりませんが」

「はい、申し訳ないことですが、阿川首相から、この件は極秘扱いにしております」

「要するに、東御堂さんの言いたいのは、この新たな病原菌が、この前の京都の件と同じ質の事件ということですね」

 さすがは天皇である。いろいろ深く話さなくても、だいたいのことは察してくれる。

「それでご相談ですが」

 東御堂は声をより潜めた。

「あまり深くやれば、他国との摩擦が増えるという事でしょう。私の考えは、私は日本の国民と国家を守るという事、そして世界平和をそのうえで守るということです。」

「はい」

「守るためには、悪とは戦わなければなりません。もちろんこのようなことを一般でいえば、今の皇室が戦争を望んでいるとか、戦えと命じたとなりますが、そうではないのです。でも、それは戦い方の問題ではないかと思うのです。私から言えることはそのようなことしかないと思います」

 天皇は、そういうと、また皿をもって立ち上がった。

「手段は東御堂と嵯峨さんに任せます。親族を信用していますから」

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

0コメント

  • 1000 / 1000