「宇田川源流」 「セクシー田中さん」問題の調査報告書について
「宇田川源流」 「セクシー田中さん」問題の調査報告書について
私も作家である。歴史小説を書いているとか、様々なものを書いているが、基本的には作家である。作家とか漫画家というのは、自分でネタを探し、そしてその自分のネタを自分の力で調べ、そして自分の感性で、その世界観を作り上げ、そのうえで先本として多くの人に共感をられるように表現をするということになる。単純に一つの作品というのは、その人の「感性の塊」であり、そして、「その人の人生そのものである」とは言いすぎであろうか。
しかし、実際に「着想」「プロットの作成」「キャラクター設定」そして「調査」「感性的な受領」そしてその内容に関するすべてのことを、一番初めに書いた人は当然に保有しているということになる。それらの苦労や時間もすべてその作品の中に妻ているものである。
その作品を「二次利用」つまりテレビドラマ化したり、映画化したりというようなことは、当然に、その原作者の意向や原作者のこれらの感性をしっかりと考えなければならないということになるのではないか。今回このことができなくて原作者が自殺をしたということになる。その事件の大きさは、様々な意味でしっかりと検証されるべきであろう。
その検証の結果が、日本テレビから出た。
はっきり言って、この報告書は全文読む間に気分が悪くなった。原作者の苦労は全くわかっていない。
ここに93ページの全文を書くことはできないので要点をまとめるとこんな感じだ。
・身内の実名は非公表ね
・調査目的は安心して製作に臨む為
・原作者は「難しい人」
・小学館側が伝えてなかった!
・確認漏れてた
・人足りない忙しい
・契約書?何それ?
・反省して次に活かします
・これでビビりません
「セクシー田中さん」問題 芦原さん側との間に「ドラマ化の条件めぐり齟齬があった」日本テレビが調査報告書公表し石沢顕社長が謝罪
人気漫画「セクシー田中さん」の作者・芦原妃名子さんが亡くなったことを受け、日本テレビがドラマ化の条件について芦原さん側との間に認識の齟齬があったとする調査報告書を公表しました。
日本テレビの石沢顕社長は、「ドラマの制作関係者や視聴者の皆様にお詫び申し上げます」と謝罪しました。
この問題は、日本テレビが去年10月から放送したドラマ「セクシー田中さん」をめぐり、原作者の芦原妃名子さんが制作過程での脚本をめぐるトラブルを明かし、その後、亡くなったものです。
日本テレビは、きょう、外部の有識者とともに行った調査の結果を公表しました。
報告書では、原作の変更の許容範囲について芦原さんと小学館の原作側と日本テレビ側との意見が一致しないこともあり、芦原さんから「キャラを破綻させるような安易な改変は作家を傷つけます」などの厳しい指摘があったと明らかにしました。
芦原さんはブログで「ドラマ化するなら『必ず漫画に忠実に』」などを条件としていたと綴っていましたが、この条件があったかについては日本テレビと小学館との間に認識の齟齬があったとしました。
また、このドラマの制作期間は初回放送までおよそ6か月でしたが、結果からみると、この期間では足りていなかった可能性があると結論づけました。
一方で、ドラマの内容自体は芦原さんの意向を取り入れたものであったと思われるとしました。
今後のドラマ制作にあたっては、▼原作側が映像化についてイメージできるよう演出などが書かれた「相談書」を作成すること、▼原作者との認識の齟齬をなくすため直接の面談を要請し意見を聞くよう試みること、▼トラブルを極力回避するため原作者や脚本家との間で可能な限り早期に契約書を締結することなどを提言しました。
日本テレビの石沢顕社長は、「ドラマの制作関係者や視聴者の皆様を不安な気持ちにさせてしまったことについてお詫び申し上げます」「指摘された課題についてテレビドラマに関わる全ての方がより安心して制作に臨めるよう責任を持って取り組んで参ります」と述べました。
2024年5月31日 17時2分 TBS NEWS DIG
https://news.livedoor.com/article/detail/26514083/
日本テレビという組織は、基本的には自分のやったことそして自社の人のことを保護する立場にあるので、基本的には「外部の人」となる原作者にすべての責任を押し付けることになる。それでうまくゆかない場合は、当然に社員を「トカゲのしっぽ切」で日本テレビという組織を守ることになるのであろう。そのことがありありと見えてくる。
何しろ「外部の人」である原作者はすでになくなっており「死人に口なし」という状況なのであるから、何を言っても問題はないというような感覚になるのではないか。そのことから「今後も契約書を作る必要なない」「ドラマを作りやすくする環境を大事にする」ということが前面に出てくる。つまり「何かに拘束されて作品を制作するということはできない」ということを主張しているのである。
しかし、そのことはそのまま原作者の思いや原作者の考えを否定することになる。もちろん映像化ということは当然に、様々な制約があるし時間的な制約も存在するロいうことになる。その制約に関しては原作者も承知のうえで承諾しているということになるが、しかし、そのうえで、原作者の意向を最も重く受け止めるべきで会うr。
しかし、日本テレビのこのプロデューサーは、脚本家の方を重視したということになる。
脚本家というのは、「調べたわけでもないし、初めから着想をした人でもない」わけであり、「原作という作品が出たのちの加工者」という位置に存在するだけのことである。その加工者の最終的な意向を重視するというのは、当然に、「でき亜があった最終形を重視する」ということになるのはわかるが、一方で原作者の考え方を完全に無視したということになるのである。そのうえで、その脚本家の意向を重視し、原作者にうそをついて承諾を取り付けるというようなことをしているのである。ドラマ制作の組織として狂っているとしか言いようがない。
ネット上の多くの声は「日本テレビのドラマは見たくない」「何か原作を持った作品は作らないでほしい」というようなことが書き込まれた。要するに、日本テレビのドラマ(私はこのプロデューサーとこの脚本家のドラマと限定したいのであるが)は「原作の名前を冠していても、原作とはテイストもキャラクターデザインも全く異なった作品ということになる」というものになってしまい、それを今回の調査報告書で日本テレビが肯定してしまったということになるのではないか。
そのうえで、このプロデューサーや、脚本家は、どの様な「罰」を受けたのであろうか。
原作者一人の命が失われた事件の「社内報告書」としては、納得のできない内容ではなかった。やはり第三者の人々が、「著作権の侵害」などからしっかりと調査をすべき問題であり、ドラマ化という内容のすべての内容に影響することになるのではないかという気がするのである。
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