「宇田川源流」【土曜日のエロ】 健康診断で子供を裸にすることの是非をいうまえに考える事
「宇田川源流」【土曜日のエロ】 健康診断で子供を裸にすることの是非をいうまえに考える事
今週も「土曜日のエロ」の日がやってきた。今週も様々な人間の本質をあぶりだすような話をしてみたいと思う。最近は「ハラスメント」とか「男女差別」「ジェンダー」などということから、それらを主張することで「自分の欲望」をむき出しにして来る人が多く、そのことから、なかなかおもしろいネタが多くある。「そんなことを気にしているのか」というような話も少なくないのである。
その前に、今週会あったニュースを見てみよう。
今週の気になったニュースは、立憲民主党蓮舫氏の都知事選出馬であろうか。この事はオンラインサロン(https://lounge.dmm.com/detail/2838/)の休日コラムでしっかりと書いたのであるが、ブログでも、一度くらいは触れておいた補が良いのかもしれない。しかし、そもそも蓮舫氏に期待する人がいるのであろうか。旧民主党のひとびとは、どれも、他人の批判をしたり、上げ足を取ったり、関係ないことを切り抜き報道を基に大騒ぎしたりということは、非常にうまくやるし、またそれを煽り立てるのが非常にうまい。しかし、それは政治とは全く関係ない能力であり、週刊誌の編集次長くらいが持っていればよい能力である。他人のやったことをでき上がってから批判し、そして、煽り立てることと、他人を導き他人を指導し、そして手段を正しい方向に導いて発展させるということは、全く違う能力ではないかと思う。日本人は、批判する人い期待をするような「誤った風習」があるが、蓮舫氏の政治的な「ゼロから政策を提案し成し遂げた実績」は何があるのか?という問いにはなかなか答えられないのではないか。
もう一つは、星野源さんと新垣結衣さんが、インフルエンサーの思い込み投稿によって迷惑を被っており、そのことから、事務所が法的に対処するという事件。まあ、あまり見たくはないが、「最近の若者の大陸化」ということが言えるのではないか。大陸化というのは「唯物主義化」とか「責任転嫁型」「言論の無責任」というようなことで、中国政府や韓国などに多い内容である。この辺は少し注意して見てゆきたいと思っている。ある意味で「権利の肥大化と、無責任・義務否定」という権利と義務のバランスの崩壊が、その原因であり、底には道徳の不存在がある。その為に「アクセス数が稼げれば、金に成から、嘘でも何でもよい」というような感じになってしまい、迷惑系ユーチューバーなどが出てくるのである。
健康診断、女児も上半身裸?着衣OK? 横浜市の小学校で物議
学校の健康診断で上半身裸になる必要はあるのか、それとも着衣で大丈夫なのか? ネット上で議論がやまない。事の発端は20日、横浜市神奈川区の市立小学校で実施された健診。児童が上半身裸で受診したことに対し、保護者が対応を疑問視する声をSNS(ネット交流サービス)に投稿し、拡散された。
横浜市教育委員会などによると、この小学校では男性医師が聴診器を使って心音の検査などを実施。4~6年の男女児童計約100人が上半身裸で受けた。健診前には複数の女児が脱衣について不安の声を上げたが、最終的には全員が上半身裸になったという。女児の診察には女性看護師が同席していた。
児童・生徒の健診について、文部科学省は今年1月、正確な検査・診察に支障のない範囲で体操服などの着衣を可とする通知を全国の教育委員会などに出したが、皮膚や心臓などの疾患の有無を確認するため「必要に応じて体操服・下着をめくって視触診したり、聴診器を入れたりする場合があることについて児童生徒や保護者に事前に説明する」などと例示。「検査・診察の内容や方法などについて児童生徒と保護者の理解が得られるよう、事前に丁寧に説明を行う」としているが、自治体や学校で内容の解釈に差があり対応が分かれている。
この学校では7日付の「ほけんだより」で「上半身を脱衣して検査します」と各家庭に連絡していた。横浜市教委は「健診において校医らが必要と判断し、プライバシーの配慮や保護者らへの事前通知も実施している」として問題ないとの考えだ。一方、PTA関係者によると、帰宅後に「健診で脱衣するのが嫌だった」と保護者に訴える女児もいたという。同校に通う女児の母親は「病院では服の上から聴診器を当てているのに、健診で上半身裸になることに抵抗感を持つ子どもがいるのは当然だと思う。不安になった児童にも脱衣を求めるのは、子どもの人権を考慮していないのでは」と不満を語った。
学校健診を巡っては、2022年に岡山市内の中学校で医師が健診中に下着姿の女子生徒5人を盗撮したとして逮捕される事件があった。上半身裸での検査に児童・生徒や保護者らが不安を覚えるケースが相次ぐ。
学校医の経験があり、学校保健に詳しい川村孝・京都大名誉教授は「呼吸を2~3秒止めてもらえれば、体操着やシャツの上から心音は確認できるが、きぬ擦れの音が入りやすく、呼吸音の十分な診断は難しい」と指摘。一方、検査項目である、脊柱(せきちゅう)がねじれを伴って左右に曲がる脊柱側湾症については「体操着を着て立ったまま前屈してもらえれば後ろから顕著なゆがみは確認できる」とした。「学校健診は限られた条件で(異常を)スクリーニングするもの。予防医療は苦痛がないことが大事。医学的理想を追わず、安心と快適さを優先すべきだろう」との見方を示す。
医療倫理が専門の児玉聡・京都大教授は「文科省は自治体や学校が一貫した対応がとれるよう、さらに具体的なガイドラインを提示するのが望ましい」と語った。具体的には「児童・保護者に対して、脱衣▽体操着▽タンクトップ――の違いで、検査結果がどのように異なるのか、エビデンス(科学的根拠)を示した上で、健診を受けるのかどうかを保護者や生徒本人が選べるようにするなどの対応が必要だろう」と提案する。【デジタル報道グループ】
2024年5月28日 6時30分 毎日新聞
https://news.livedoor.com/article/detail/26489334/
権利の肥大化ということは「自分自身」の事よりも「自分よりも弱者に対する、正義感」ということの方が大きく行われる。自分の事ではないのに、正義感を振り回して「こうあるべき」とか「心配」「もしもこんなことが起きたらどうする」などと極端な例を振り回して大騒ぎをするというようなことになる。昔、芸人のふかわりょうさんが、ラジオで、これ等の事を「ジャスティス・ハラスメント」という言い方をして、なかなかいい得て妙であると感心したことがあるが、まさに、「本人がどのように考えているかもわからないのに、その正義感を振り回して、権力や強者を攻撃して快感を得る」というような、訳の分からない内容が少なくないのである。
今回の内容もそのような物であろう。
学校における健康診断というのは、そもそも、学校が子供たちの成長や健康を見守るということから、その内容行うものであり、その学校の指定医や市町村の指定医が行うものである。同時に、その内容に関して、「学校全体を数少ない指定医が行う」ということになるので、「効率的」でありなおかつ「時間を短くする」ということが必要になってくるのではないか。
そのことから、私が小学生の頃も、低学年までは基本的には裸で体育館や保健室に連れていかれ、高学年になったら男女別に行っていたと記憶している。これは体重測定などをするときに、そこに衣服の着脱をする場所を作ったり、そこで衣服を間違えるなどの混乱を避けることが目的であったはずである。
そのような運営の事を全く考えずに、「裸にされるのはかわいそう」「恥ずかしいといっている」などというのは、いかがなものであろうか。もちろん、最近五社もおかしな人が多いので、その中には盗撮などをして、事件になる人もいるが、それは例外的な物である。また上記の記事では「ガイドラインを作るべき」などというが、離党の学校全体で学生が10人しかいない学校と、都会のマンモス校と同様に扱うこと自体がおかしな話であるから、そのような所でどのように考えるのかということも重要な観点だ。なんでも政府に任せるということ自体がおかしな話ではないか。
そのように考えれば、今回騒いでいる人自身が「ジャスティス・ハラスメント」なのか、または学校のこれらの効率化などを全く理解していないのか、または、ここで時間をかけることで、休日などを減らされてよいと思っている人々なのであろうか。それとも、もしかしたら、学校の集団健康診断を止めるべきと思っているのであろうか。そのような個人負担をするということになれば、それはそれでまた手間が増えるということになる。
何度も言うが、「権利を増やす」、今回の件で言えば、「学校の効率化を無視して個人の自由を守る権利を主張する」ということは、そのまま「子供の健康診断を自己負担と責任で行う」という義務と責任が出てくるのであり、同時に、学校に対して健康に関する管理を押し付けることができないということを意味している。共働きが普通になってきている現代において、そのような義務と責任を各家庭に付加することが適当であろうか?
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