「宇田川源流」【宇田川版教育論】 何から学ぶかではなく興味あることから学ぶ姿勢を!

「宇田川源流」【宇田川版教育論】 何から学ぶかではなく興味あることから学ぶ姿勢を!


 今年は、毎週水曜日がしっかり大河ドラマについて書いてしまっているので、なかなか「宇田川版教育論」を書く暇がないので、仕方なく「水曜日」以外に進出して書いている。そもそもなぜ水曜日なのか。もともと水曜日は、このブログは古くからっまともな内容を書いていたのであるが、数年前の「麒麟が来る」の時に、その大河ドラマのときに、ちょうど明智光秀の本を書いていたことから、その内容をリンクさせて書いていたということになる。当然に当時は明智光秀の最後の本城(根拠地)があり、そして本能寺の変の時の明智光秀の出発の地である京都府亀岡市の観光教会の顧問的な仕事(正式な肩書は忘れてしまった)をしてたことから、定期的に大河ドラマについて書いていたのであるが、しかし、その内容に関してしっかりと毎週というように連載形式にしたのである。

その後「鎌倉殿の13人」まではよかったが「どうする家康」では、さすがに書くこともなく、何となく大河ドラマを批判的に書くのも面白くないので、そこで、ここは「教育論」を書いていたといういきさつなのである。しかし、今年になったら、また大河ドラマがなかなか面白いうというか、まあ、ある意味で「全く資料がない部分をこのようにうまくつなげるのか」と私の個人的な学びにつながっているので、その忘備録も兼ねてしっかりと書いているということになるのである。

さて、そのようないきさつで「はみ出してしまった」宇田川版教育論であるが、このように書きたいことがあれば、通常のところに入れて書いてみようと思う。まあ、いま日本の政治に関しては「政治と金」で停滞していて、また4月に入って予算も決まってしまったので、なんとなくっ岸田首相の自己満足で行っているようなところがあるので、真剣に書いてもあまり面白くないし、また、国際的なところも、重要なところはオンラインサロンでしっかりと書いてしまっていて、そのほか、ロシアのウクライナ侵攻に関しても長期化しそうなので、あまり確定的なこともかけないし、イスラエル=ハマス戦争に関しては、ある意味で書かなければならないことが多すぎて、単純に現在の現象だけで書くわけにはいかないということもあるのである。

そのようなことで、今回は火曜日に「宇田川版教育論」を出してみたい。

「春休みの宿題は『桃鉄』を10年以上プレイ」“教育版”も存在、全国7000校以上が導入するスーパー学校教材に

 Xに《春休みの宿題》と書かれた印刷物の画像が投稿された。そこには、題名のとおり教科ごとの“宿題”が記されているが、ある一文に注目が集まっている。

《国語 学習漢字ノート》

《社会 おいしそうな地方の郷土料理を1つ選んでレポートにまとめる》

 といった言葉に続き、《可能な人のみ》の注釈付きでこう書かれていた。

《桃太郎電鉄を10年以上プレイする》

『桃鉄』の“教育版”

『桃太郎電鉄』とは、1988年に発売されてから現在に至るまで、多くの人に親しまれているテレビゲーム。通称『桃鉄』と呼ばれ、日本中を電車で移動しながら各地の名物や特産品などの“物件”を購入し、最終的に資産の多寡を競うボードゲーム形式のコンピューターゲームだ。

 下校のチャイムが鳴ったら一目散に自宅へ戻り、ゲーム機のコントローラーを握った人も多いはず。しかし、夢中になっているときに母親から「勉強しなさい」と言われるゲームが、学校現場で使われているとは、どういうことか。

「もともと原作者である、さくまあきら先生が『桃鉄』を教育に活用したいという思いを持っていました。そこに『桃鉄』シリーズ最新作の制作を2019年に発表をしたところ、立命館小学校の先生から“教育現場に使えないか”というご提案をいただき、具体的な検討と制作が始まりました」

 こう話すのは『桃鉄』シリーズを販売する『コナミ』プロモーション企画本部の担当者。実は『桃鉄』に“教育版”が存在するというのだ。

 ただ、同社担当者は冒頭のXの投稿も確認したうえで、こんなことを言う。

「おそらくXに投稿されている内容は『ニンテンドースイッチ』でプレイできる商品を指していると思われます」

『桃鉄』は、ゲームをスタートする際、最終的に勝敗を決めるまでの“期間”を1年ごとに設定できる。冒頭の印刷物には《10年以上プレイ》と書かれているが、“教育版”は3年までしか遊ぶことができないという。

 とはいえ、学校の宿題になるぐらいなのだから、子どもたちにとっては学習効果があるはず。SNSでは、

《確かに桃鉄やっていると都道府県を覚えられる》

《桃鉄で地名覚えた人はけっこういるはず》

《特産品は覚えるかもね》

《桃鉄で各地方の特産品・グルメを知れるから、旅行に行ったときでも、その知恵は活躍する》

《息子は桃鉄で地理や歴史、人間関係の勉強もできた》

 などと、自身の体験から“勉強になった”との声が。

『ボンビー』はなし!?

 日本全国には、長万部(おしゃまんべ)、十六島花(うっぷるいばな)、吹田(すいた)、学文路(かむろ)、豊見城(とみぐすく)などの難読地名が山ほどある。これに加え、各地の名物や特産品も一緒に学ぶことができるのだ。

「“教育版”は、ニンテンドースイッチで発売されたソフトをWEBブラウザで動作させるための制作などを経て、2023年初頭から提供を開始しています」(コナミの担当者、以下同)

 “教育版”と“通常版”の違いは?

「“教育版”には管理ツールが実装されていて、先生がプレイ時間、中断や再開などをコントロールすることができます。北海道から九州・沖縄までを7つのエリアに分類しており、授業のカリキュラムに合わせて一部地域を指定してプレイすることが可能です」

 通常版ではプレイヤーの物件を勝手に売ってしまうなどの妨害をする憎き貧乏神『ボンビー』が登場する。これに悔し涙を流した人もいるのでは。

「子ども同士のトラブルに発展する可能性のある要素は排除しており、“教育版”に『貧乏神』は登場しません。アイテムを使って、誰かを指定して攻撃することもできないようになっています」

導入は7000校以上で

 学校現場からの評判は?

「当初は、小学校の地理の授業での活用を想定していましたが、難読地名の読み書き教材として国語の授業でも使っていただいております。さらに、物件の収益率の計算をする数学の授業、金融教育の入口、修学旅行先の情報収集にも。さまざまな教科や用途で幅広く取り入れてくださって、先生方の創意工夫には感激しています。

 “教育版”をきっかけに、不登校や保健室登校の生徒が授業に来るようになったというケースも聞いています。学習以外の面でポジティブな効果があることも、大変うれしく思います」

 子どもとゲームの親和性は高い。楽しく学べるだけでなく、学校生活における人間関係の“潤滑油”にもなっていた。結果、導入する学校も増え続けている。

「導入校は全国で合計7000校以上となりました。このうち小学校はおよそ4000校で、これは全国の小学校のおよそ20%に相当します。自治体や教育委員会からの申込みは、75団体となっています」

 公式ホームページによれば、学校機関への導入は無料。ただ、当初は受け入れられるのか不安もあった。

「ゲームを授業で使うことにお叱りの声をいただくことも覚悟していましたが、発表直後から、こちらの想定を超える大きさで、ポジティブな反響をいただけたことに驚きました」

 私たちが遊んだゲームが、今や学校教材になっている。時代は変わり続けるのだ――。

2024年3月30日 7時0分 週刊女性PRIME

https://news.livedoor.com/article/detail/26138515/

 記事が長かったが、要するに「桃太郎電鉄」というゲームが、教材になっているという話であり、春休みの宿題に「ゲームをしてきなさい」という宿題になったということである。

さて、我々昭和世代、つまり、現在の小学生や中学生の親世代は、昭和の最後か、平成の初め世代である。地理を学ぶくらいの都市になるということは最低でも小学校3年生、まあ計算しやすいように多少ごまかすと約10歳であろう。要するに30歳で生まれた子供と仮定すれば、その親は40歳、つまり、1984年生まれということになり、昭和の最後ということになるのであろうか。

その親の世代からすれば、自分が若い時には「ラッシュ電車の中で、ソフトアタッシュケースを開いて少年ジャンプを呼んでいた世代」であり、コンピューターゲームは「スーパーファミコン」であった。ちょうどプレイステーションが出始めた時代であったかもしれない。そのような世代は「ゲームの時間を親に制限されていた」というような感じであり、まだまだアナログとでs児樽が混在していて、アナログが中心であった時代である。そのような時代は「インターネット」などといわず「パスコン通信」などといい、過度なアニメファンを「オタク」と言って軽蔑していた時代である。その代わり、まだ画像がドット画像であったことから、ゲームのキャラクターに恋をするようなことは基本的にはなかったのかもしれない。

さて、そのような世代からすれば「ゲームが宿題になる」などというのはある意味で憧れと同時に嫉妬してしまうような状況ではないか。上記にも「お叱りをいただく」という事が書かれていたが、まさにそのような状況を覚悟しなければならない。

しかし、待ってほしい。

実際に学びというのは「何なのか」ということである。そもそも、どの人もそうであるが「学びの中心」には、「まずは興味を持つこと」が必要であり、その興味を持つことから、自分で調べ、そして自分で学んでゆくということが本来の学びであり、現在多くの中学高校で行ってるような「強制的に記憶させる」という学びは、本当に効果があるのかは、かなり疑問である。自分で遊びの中で学んだことは非常に有効であり、また記憶にもとどまるが、強制的に覚えさせられたことは、テストが終わると忘れているのである。

まさにそのようなことで「学び」というのは「興味を持つきっかけ」と「調べ方・学び方」そして「その興味を持続すること」で、あとは自分で学ぶということが必要ではないか。別段、ゲームで初めに興味を持ったところで、その後どのように勉強するかということは、本人次第だ。その「勉強に導く」ことをすべきであり、ゲームそのものを規制するのは間違いである。

つまり「何から学ぶかを強制するのではなく、ゲームや漫画などすべてのものから興味のあるものを掘り下げるということを教育とすべき」ではないのか。やっとそのようになったのかもしれないし、これが特例かもしれない。でも本当の学びをしっかりと考える時期に来ているのではないか。

宇田川源流

「毎日同じニュースばかり…」「正しい情報はどうやって探すのか」「情報の分析方法を知りたい」と思ったことはありませんか? 本ブログでは法科卒で元国会新聞社副編集長、作家・ジャーナリストの宇田川敬介が国内外の要人、政治家から著名人まで、ありとあらゆる人脈からの世界情勢、すなわち「確実な情報」から分析し、「情報の正しい読み方」を解説します。 正しい判断をするために、正しい情報を見極めたい方は必読です!

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