「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 茶々の強烈な現代批判と家康の走馬灯

「宇田川源流」【大河ドラマ どうする家康】 茶々の強烈な現代批判と家康の走馬灯


 毎週水曜日は大河ドラマ「どうする家康」について話をする予定であったが、家やsのことはあまりにも有名な作家によって語られていたことから、その内容をしっかりと見る必要もなく、まあ、いつの間にか教育論ばかりになってしまっていたような気がする。そのような意味で、「最終回」くらいはしっかりと見てみようと思う。

今回の内容は、なかなか衝撃的な最終回で反かあったか。

昨年(前作)「鎌倉殿の13人」では、最終回で、自作の「どうする家康」に配慮して、最終回の冒頭、徳川家康が吾妻鑑を愛読していたということから、徳川家康の姿の松本潤さんが、吾妻鑑を読んでいる場面が登場した。今回はその恩返しともいえるところで、天海和尚が、その鎌倉殿の13人の主役であった小栗旬さんを起用し、そのうえで、家康のエピソードをまとめる(後の東照大権現縁起になるという事であろうか)天海和尚の手に、源氏物語と吾妻鑑というような演出がある。大河ドラマにおいて前後の作品にしっかりと配慮したものであるが、物語単体としてはいかがなものかと思ってしまう部分もある。まあ、この辺がNHKの連続者のドラマということであり、見ている人しかわからない「お約束」なのであろう。

今回の作品は、様々な新解釈があり、今までのイメージや、司馬遼太郎先生や山岡荘八先生という先人が小説で書いた家康像とは全く異なる者が多く、いくつかの物議となった。私としてはCGの表現などはあまりにも極端であったことと、やはり女性の書き方があまりにもおかしな話であり「ありえない」というようなことも様々に書いているものの、まあ、ドラマとしての作品はよいのではないかという気がするのである。

その最終回は、二つの「興味深い」演出があった。一つは、大坂夏の陣の最期、つまり山里廓に押し込められた淀君と豊臣秀頼の自害の場面、そして、その後の回想シーン(鯉の話)であろうか。ここに様々な内容のテーマが流れている。

その前のシーンで、家康と本多正信が真田信繁に攻められるシーンがあり、その後場面が変わると「また生き残ってしまいましたな」という一言を本多正信が吐く。この言葉で家康が好んで戦ったのではないということや、「どうする」という題名の謎がある。仕方なく選択して運よく生き残ったという感覚が、その中に入っているということになるのではないか。何か運命に翻弄された家康像があり、それが最後の瀬名との回想シーンにつながるのであろう。

【どうする家康・最終回】衝撃ラスト!大物キャラ次々再登場しアレ披露 「まさかの…」「走馬灯か」の声

 嵐の松本潤が江戸幕府初代将軍・徳川家康を演じるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜・後8時)の第48回・最終回「神の君へ」17日、15分延長して放送された。番組のラストで懐かしい人物が登場し、ネットを驚かせた。

 本作は小国の三河(現・愛知県)に生まれ、周囲に翻弄(ほんろう)されながらも、天下統一を果たした徳川家康の生涯を描く物語。「リーガルハイ」「コンフィデンスマンJP」などで知られる脚本家の古沢良太氏が、新たな視点で家康を描いた。

 最終回の終盤、若き頃の家康が登場し、織田信長との縁組みの席で出す予定だった鯉(こい)がいなくなったことを巡り、三河家臣団らと騒動が描かれた。酒井忠次(大森南朋)、石川数正(松重豊)、本多忠勝(山田裕貴)、榊原康政(杉野遥亮)、本多忠真(波岡一喜)らおなじみの家臣が再登場した。

 “鯉泥棒”の犯人捜しをする中で、鳥居忠吉(イッセー尾形)は詰問されると、「食うておりません…、と思います」ととぼけた様子。「食うたんじゃな」と刀を抜き憤る家康に、忠吉は「誰かが首を差し出さなければならないなら、この老いぼれをお願いします」と背中を向けた。しかし、家康は斬ることはできなかった。

 忠次が「信長様にはなんと?」と聞くと、家康は「正直に言うしかあるまい」。数正が「信長様の逆鱗(げきりん)に触れたら?」と尋ねると、家康は「そんな相手なら、縁組みなんぞ、こっちから願い下げじゃ」と明言。「鯉は所詮鯉じゃ。食うて何が悪い!」と語気を強めた。

 すると、忠次は「そのお言葉、待っておりました」と言い、家臣らに笑みがこぼれた。実は鯉は料理されており、信長は来ないことが明らかになると、家康は「よかったぁ~」と安どの表情。直後に「よくないわ!主君を一同でからかうとはなんという家臣どもじゃ!」と悔しがった。家康の人柄にほれ込み、信じた上で“戯れた”家臣たちは「殿、誠にありがとうございました」と次々に頭を下げた。家康は「こちらこそじゃ…」と涙を流した。最後は家臣が「えびすくい」を踊り、幕を閉じた。

 ラスト20分の家臣団とのやりとりに、ネットでは「まさか今日、えびすくいが観れるなんて誰が想像した?」「えびすくいがしみる」「まさかの海老すくい踊りエンディング」「現実はあんなに孤独なのに夢の中では皆温かい」「末期の走馬灯か」「めっちゃ幸せなシーンだな… 皆の白兎だった殿ぉぉ」「回想から、現実へ。 途中部分が交錯してるのも上手いな。これは家康と家臣、瀬名の物語だ!という終わり方に感動した」「家臣総出でお迎えに来た感じじゃん」「この最終回、鯉バナで笑いをとるために時間延長までしたの?」といった声が寄せられた。

2023年12月17日 21時17分スポーツ報知

https://hochi.news/articles/20231217-OHT1T51223.html?page=1

 ドラマというのは、当然に「事実」を描くものではなく、現代人に歴史の登場人物を通して現代の人々に何を訴えるのかということが重要である。その意味では、今期の「どうする家康」は、そのような内容を様々に詰め込みすぎということなのではないかと思えるほどメッセージ性が強いものであった。そのうえで、最新の研究成果を追おう出してしまったので、今までのイメージを全く変えてゆくということになる。そこに違和感を持った人とそうではない人があるということは間違いがないであろう。

そのメッセージ性という中では、山里廓で最後に残された淀君であろう。「これからつまらない世の中になる。権力者のこびへつらい…」というような内容である。その内容は、現代社会をリンクして、現代の人々の風刺をしっかりと入れているのではないか。ある意味で、家康がそのようなつまらない世の中を作ったというようになり、「乱世」に自分の信念で動く人々がいなくなってしまったということになっているような感じになっている。これは実に強烈なメッセージであり、また、名優の北川景子さんであるからしっかりと演じきれたのではないか。まあ、私的話をするのはどうかと思うが、北川景子さんの御主人は竹下昇首相のお孫さんである。まあ、政治家になるようなことはないのであろうが、まさに今の政治に対して家康の前からメッセージを送っているような形になっているのはなかなか面白い。

もう一つは、まさにこの記事の中にある鯉の話であろう。まあ、その鯉の話の中にあるのは、家康が多くの家臣に慕われていたということは、誰でもわかるのであろう。そのうえで、最期のシーンは現在の東京があり、それを瀬名とそのほかの家臣たちで見ている。様々な連想があるが、徳川家康の理想とした世の中が、現代の東京というような感覚になっているのではないか。ある意味で「歴史は続いている」というような継続性を「天国」から見守っているというような感覚になっているような気がするのである。「死んでも間も見守っている」という「東照大権現」で締めるということが、今回のドラマであったのかもしれない。

様々な解釈があり、様々な内容になっている。そのようなメッセージをそれぞれが受け取ることが、今回のドラマの最大のテーマであったのかもしれない。

宇田川源流

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