「宇田川源流」【宇田川版教育論】スマートフォンの悪影響をどうやって排除するか

「宇田川源流」【宇田川版教育論】スマートフォンの悪影響をどうやって排除するか

 今週の水曜日は「宇田川版教育論」をお届けしたい。少し前の記事であるが、その内容を見てゆきたいと思うからである。教育とは「国家百年の大計」といわれるほど重要な内容なのであるが、残念ながら戦後の日本はこの教育を軽視してきてしまった。本来日本で大事な内容であるはずの「忠孝」とか「仁徳」とか、そういった内容やあ、日本という国のすばらしさをしっかりと見る内容が全く見えてこないということが最大の問題になってきているのではないか。

さて今回は教育の基本はどこにあるのかということを考えてみたい。教育とは「親つまり家庭が行うもの」なのであるか、あるいは「教育が滑降などの教育機関で行うもの」なのかということが議論になる。このような議論が不毛なのは「教育」ということの定義が全く異なるということであり、その内容を統一しないで何かを言うことがおかしな話なのではないか。日本は一つの単語で複数の意味を持つ場合が少なくない。そのことは、例えば「自由」という単語であっても「freedom」と「liberty」というように二つの単語の意味が存在するように、一つの単語の中に様々な意味を包含することができる言語であるということが言える。それは、会話の中の流れや行間、または一つのコミュニティとしての社会が共通の認識を持つので、その内容がお互いに基本的には誤解がないようにできているということが、その言語的な大前提にあるということになるのではないか。

さて、今週は教育論、それも「教育に弊害があるもの」に対して、どのように対処するのかと言ことが一つの問題になる。

世の中で「便利」ということは善いことなのかということを考えないとならない。その内容をどのように考えるのかということが最も大きな問題になる。もちろん便利になるということはさまざまな意味で重要なことなのであるが、しかし「便利」ということは、何かを自分がやらなくてよいということである。しかし、ある一定の工程があり、その工程において誰かがその工程を行うということになるのではないか。つまり「便利」ということは「誰かがそこに介在する」ということを意味する。

1週間“スマホ断ち”その後… 小中学生らキャンプで生活の変化語る

 香川県は19日、インターネットやスマートフォンから離れた生活を送る「オフラインキャンプ」を五色台少年自然センター(高松市生島町)で開催した。小学5年から中学3年の男女計20人と保護者らが参加し、野外でのホットサンド作りなどを楽しんだ。

 同キャンプは昨年から始まり、今年で2回目。8月初旬に約1週間スマホ断ちをする「メインキャンプ」が先にあり、この日はその後の生活の変化を確認する「フォローアップキャンプ」として開かれた。子どもたちはほかに、心理プログラムで3カ月を振り返った。保護者はゲーム依存症に息子が陥った女性の話や、香川県依存症治療拠点機関である三光病院の海野順院長の講話などを聞き、子どもとの向き合い方を学んだ。

 善通寺市から来た中学1年の男子生徒は「以前は学校から帰ってもオンラインゲームを長時間やっていた。今はゲームの時間を短くする努力をしている」と語り、さぬき市から来た小学6年の女子児童の母親は「娘は休みの日、ずっとスマホをいじっていたが、今は友だちと遊ぶ時間を増やしているよう」と我が子の成長を感じていた。【川原聖史】

2023年11月23日 13時30分 毎日新聞

https://news.livedoor.com/article/detail/25404108/

 その「介在する」ということは、間に誰かがいるということであり、その人にはすべての情報が漏れているというようなことになる。例えば、何かを買う時にネット通販で行うということになれば、それは、通販会社に個人の住所やカード番号や、場合によっては暗証番号まですべて出てきているということであり、なおかつ宅配業者には自宅の様子や普段いるかいないかなどまですべて見られているということになる。そのうえ、どのような商品が好きなのかという好みや、場合によっては職場、そして友人などもすべて見えてくるのである。

同時にそれらのことをすべて「他人」要するに「業者」に任せてしまうということになれば、それは自分で何もできなくなってしまうということになるのである。例えば料理。昔は料理のサービスもなければコンビニエンスストアの弁当もなかった。そのことから、料理というのはすべて自分で作らなければならなかったのである。もしもそれができない人がいても、寮母さんのような人がいて、食堂が無ければ食事は食べることができなかったのではないか。しかし、弁当や安価な外食、そして、弁当の配達などがあることによって、徐々に自分で食事を作る必要はなくなり、そして、最近では料理ができるひとが少なくなってきている。

買い物などはそんなことはないということかもしれないが、しかし、例えばスマートフォンでなんでも調べられてしまうので、多分辞書を引くなどということはできなくなってしまうのではないかと考えるのである。

そもそもそのような「影響」を全く教えることはない。そのことから何もできないという事にあってしまっているのではないか。逆にその反作用において、キャンプなどが流行しているということになるのかもしれない。あえてお金をかけて便利ではないということを買う、そしておしえてもらうじだいになったのかもしれない。

何でも自分でできるということが重要であり、そのことの上で便利さを学ぶということが重要なのである。そのことが教育なのではないか。そういう教育ができることがないと、教育をしそこなってしまうのではないか。

宇田川源流

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